世の中には、「一見何か大事なことを伝えているような響きがあるけど、よく考えるとそれってどういうこと?」というフワッとしたフレーズがたくさんある。そういった「フワッとフレーズ」(と呼ぶことにする)が気持ち悪くて、出会う度にそのフワッとした何かを取り除いて真意をはっきりさせたくなる私みたいな「フワッとバスター」は案外多いのではないだろうか。

例えば選挙期間中は、「暮らしを守る」とか「まっしぐら」といった「フワッとフレーズ」が街中に溢れかえるので、私たち「フワッとバスターズ」は忙しくなる。だがこうしたフレーズの裏には、「『候補者自身の』暮らしを守る」や「『利権に』まっしぐら」といった残念な真意しか隠されていなかったり、ただなにか言った感じにしたかっただけという後ろ向きなケースも多い。前向きな真意を持った「フワッとフレーズ」にはなかなか出会えないものだ。

それでも稀にその真意を知ることで人生観まで深められるような、前向きな「フワッとフレーズ」に出会えることがある。幸運なことに私もこれまでの人生で何回かそのようなフレーズに出会うことができた。中でも私が最も強く影響を受けたのが、「家事や育児の経験は仕事にもプラスになる」というフレーズだ。

私がこのフレーズを意識するようになったのは、上の子が生まれ、妻と交代する形で育児休業を取得するなど、それまでの生活に比べて家事や育児に関わる時間が極端に増えたことがきっかけだった。なりたてホヤホヤの研究者だった当時の私は、思った以上に仕事をする時間が確保できない現実に焦っており、このフレーズが言うように、家事や育児の経験が少ない仕事時間を補うなんらかの「プラス」をもたらしてくれることを期待していた。でも当時の私にとって、このフレーズはまだとてもフワッとしており、その「プラス」が具体的に何を意味しているのか掴めてはいなかった。

私のこれまでの家事や育児への取り組みを簡単に紹介すると、上記のように研究者としてのキャリア1年目に4ヶ月間の育休を取得したことを始め、子どもたちの送り迎えや毎朝のお弁当作りを含めた家族の食事作りを全て担当するなど、キャリアの大部分を家事や育児との両立をベースに過ごしてきた。

家事や育児に取り組むようになる以前の私は、「仕事」「趣味」「恋愛」「家事」といった人生を構成する様々な要素を、それぞれ別の独立したベクトルと捉え、各ベクトルへうまく時間を分配することが、「仕事」と「家事」など複数の要素をうまく両立させることだと考えていた。そしてこの「多次元的」な人生観の中で、もし「家事や育児をテキパキこなすように仕事も効率的に進められるようになる」といったベクトル間の相互作用が起こるなら、それが「家事や育児が仕事にプラス」の意味することなのかなと予想していた。

確かに育児をしていると、何とか抱っこで寝かしつけた我が子をそーっとベッドに置いて、「チャンスッ!」とトイレに向かって走り出した途端にまた泣き声が聞こえてきて、思わず「んあぁぁ!」と叫んでしまう、といった秒単位で神経をすり減らす日々が続くので、この修行のような生活の中で仕事を効率的にこなすスキルも自然と身に付くという現象は起こる。

ところが、最終的に私が学んだ家事や育児が仕事にもたらす最大の「プラス」は、このようなスキルの問題とは種類が違い、仕事観を含む人生観そのものが、「人生を構成するベクトルは『生きる』の一つだけ」という「一次元的」なものに書き換えられるといった、文字通り別次元の現象が起こることだった。

実際、家事や育児をしていると「生」を感じる瞬間が次々とやってくる。炊事・洗濯・掃除などの生活を整える活動は生きることそのものだし、子育ての日々はそのまま命と向き合う日々だ。そんな日々の中で人生を見つめ直すと、「家事」や「育児」だけでなく「仕事」も「趣味」も何もかもが、「生きる」ことの一つの側面でしかないと思えてくる。そして私の場合、子供たちと向き合う日々が、この「一次元的」な人生観の中で私にできる最大限は「まっすぐ生きる」ことだけだと教えてくれた。

もう少し具体的には、例えば、授乳ができない男性は子どもを安心させられないから育児に向かない、という都市伝説があるが、ただシンプルに時間をかけて子どもを世話してみると、子どもを安心させることに性別による壁はないと確認できた。このように今を真剣に生きる子どもと向き合っていると、不自然な大人の都合に惑わされず「まっすぐ生きる」ことの大切さや合理性を次々と実感できた。

そしてこの「まっすぐ生きる」という視点から仕事も含めたあらゆるものを見るようになった私は、思うように仕事の時間が確保できない不安からも「キャリアアップには論文数や人脈が大事」などといった周囲の雑音からも脱し、ただ純粋にまっすぐと目の前にある現象の解明に取り組むようになった。そして結局はそれが、自身に対しても他者に対しても信頼度の高い成果を産み、海外の研究所への採用といったキャリアアップにも繋がっていった。

注意したいのは、これは欲を捨てて仕事に邁進すべしという話でも、キャリアアップの方法論でもないという点だ。実際に私は、仕事の外側にかなり多くの時間を使っているし、今では、15年キャリアを重ねた研究所勤めを辞め新たなキャリアを一から始めている。ただ、あらゆることを「まっすぐ生きる」という視点から見ることで、結果として、仕事も含め人生そのものが豊かに感じられる可能性があるという話である。

これが私が探し当てた私なりの「家事や育児が仕事にプラス」の真意だ。日本の男性が「家事・育児」に関わる時間は、女性に比べ5倍以上も少なく、G7サミット参加国の中でも最下位だ。この事実は、差別のない社会の実現を阻んでいるだけでなく、日本社会から経済的にも精神的にも豊かさを奪っているのではないだろうか。もしまだ家事や育児にあまり取り組んでいなかったら、個人のためにも社会のためにも、是非、我らが「フワッとバスターズ」に入団して「家事や育児が仕事にプラス」の真意を確かめてみることをおすすめする。


画像: 「家事や育児が仕事にプラス」の本当の意味 中川まろみ<第一回>

中川 まろみ:
まっすぐ生きたい人。2児の父親。吃音障害者。日本で理学博士を取得後、日本の研究所に4年、米国およびオーストリアの研究所に11年勤める。2022年に帰国し、キャリアを変更。現在は、子育てに軸を置きながら、妻の事業に参加し、また、フリーの立場から依頼のあった研究活動に携わる。同時に、国内外における仕事や育児関係、また障害者としての経験などを元に、幅広い話題について発信するライターとして活動中。

This article is a sponsored article by
''.