プルデンシャル生命(以下、プルデンシャル)には、DE&Iを抜群のリーダーシップで牽引する女性リーダーがいる。2002年にプルデンシャルに入社し、ライフプランナー(以下、LP)、営業管理職として活躍後、営業出身として女性初の執行役員に就任した長谷川尚子さんだ。

長谷川さんは、幼少期を海外で過ごし、国籍や人種の異なる人たちと触れ合う環境で育ったグローバルな経歴の持ち主。それだけではなく、さまざまなスポーツを通じて自身を磨き、ボディビルディングでは全国優勝を果たすなど、多彩な一面も持っている。
今回は、「女性たちの活躍を心から応援している」と語る長谷川さんの「My Rules(マイルール)」や、DE&I推進への想いを聞いた。
※DE&I=ダイバーシティ(多様性)、エクイティ(公平性)&インクルージョン(受容・包括)

前編:スポーツ一筋だった長谷川さんがなぜプルデンシャルに?(←今回の記事はココ!)
後編:営業出身として女性初の役員となった長谷川さんの「My Rules」

多様性の原点となった海外生活。そしてスポーツに明け暮れた学生時代

画像: 南太平洋フィジー共和国にて、ご家族との一枚。左端は15歳の頃の長谷川尚子さん

南太平洋フィジー共和国にて、ご家族との一枚。左端は15歳の頃の長谷川尚子さん

幼少期から、父親の海外転勤でマレーシア、オーストラリア、フィジー諸島などさまざまな国で生活してきた長谷川さん。自分とは違う人種、異なる文化や言葉に触れて育ち、「“みんなそれぞれ違う”ことは、自分にとってとても身近なことでした」と、にこやかに話しはじめた。

「柔道、テニス、水泳、アメフト……フィジー諸島に道場を建て、現地の人々に柔道を教えていた父の影響もあって、幼い頃から運動ばかりして育ちました。言葉や文化が違っても、スポーツはみんな一緒に楽しめる。多様性と同じく、スポーツもずっと身近にありましたし、今でもそうです。振り返ってみれば、私の“負けず嫌い”な性格や、“継続する力”、“挑戦する勇気”は、スポーツを通じて学び、培われたのかもしれません」

画像: (左)テニスのフィジー ジュニアチャンピオンとして地元新聞に掲載された一枚 (右)ボディビルディングの全国大会で優勝した瞬間

(左)テニスのフィジー ジュニアチャンピオンとして地元新聞に掲載された一枚 (右)ボディビルディングの全国大会で優勝した瞬間

そんな長谷川さんが日本に帰国したのは高校2年生の時。日本でも運動を続けるため、テニススクールや講道館に通った。柔道の強化のために始めたウエイトトレーニングをきっかけに、パワーリフティングやボディビルディングの大会に出るようになったという。大学に進学してからも、とにかく運動ばかりの毎日だった。

やがて長谷川さんは「スポーツが続けられる仕事がしたい」という思いから、アルバイト先のフィットネスジムを運営していた会社に入社。辛い減量とも正面から向き合い、23歳の時に、ボディビルディングの大会で全国優勝という栄冠に輝いた。
その後、インストラクターからチーフに昇格し、15年間、フィットネス業界一筋で勤め上げる。

「前職に満足していたので、転職は考えたことがありませんでした。ですから、保険業界については未踏の領域だったんです」という長谷川さん。では、なぜまったくの別業種であるプルデンシャルに興味を持ち、入社したのだろうか?


「自分の“本当の実力”を知りたい」 プルデンシャルならそれが出来た

画像: 「自分の“本当の実力”を知りたい」 プルデンシャルならそれが出来た

長谷川さんがプルデンシャルを知ったのは、インストラクターの同僚がプルデンシャルに転職したことがきっかけだった。「彼に『保険の話を聞いてほしい』と言われて試しに聞いてみたら、初めてのニードセールスというものに感動して。それでプルデンシャルの保険に加入したんです」

プルデンシャルとの最初の接点は、「お客さま」という立場だった。しかし、話はそこで終わらない。

「数年後、その彼がプルデンシャルで人を採用する営業所長という立場になり、『一緒に働かないか』と声をかけてくれたんです。『話を聞くだけならいいよ』という軽い気持ちで説明会に行きましたが、そこで出会った人やLPの働き方には大きな魅力を感じました」

それまで、フィットネス業界こそ“天職”だと考えていた長谷川さん。
「でも実は、心のどこかに『私はこの業界以外では通用しないんじゃないか』という不安が生まれていたんです。その気持ちに気づかないふりをしていました。今こそこの不安と向き合うべきで、『この縁は、自分の実力を試せる絶好の機会なんじゃないか』と感じて、入社を決意しました」

説明会で聞いた、“プルデンシャルのLPは、自らマーケットを広げていく必要があり、お客さまの評価がダイレクトに報酬に反映されるフルコミッション制(完全歩合制)だからこそ、自分の本当の実力が試せるんですよ” という言葉が、長谷川さんの”新たな一歩”を後押ししていたのだ。


37歳にして、初めて保険業界に足を踏み入れた長谷川さん。まったくの異業種への転職に自信があったのか?と問うと、「たとえうまくいかなかったとしても、命をとられるわけじゃないと考えてました」 と、笑って答えてくれた。

「保険の営業に関して、何もわからない状態だったのが、逆に良かったのかもしれません。わからないからこそ、営業所長や先輩から教わったことを素直に吸収できました。苦しい時期もありましたが、『自分を信じて保障を預けてくださったお客さまがいる以上、絶対に辞めない』と心に誓っていましたね。お客さまの存在が支えになっていたのだと思います」

続けて、「一生、フィットネス業界で生きていくと思っていましたが、私の場合はその仕事しかしたことがないから、その世界しか知らないというだけだったのかなと。プルデンシャルに転職して、視野がパっと広くなり、新しい世界が広がったと感じたことは、今でも鮮明に覚えています」。


女性初の営業所長、そして支社長に

画像: 女性初の営業所長、そして支社長に

長谷川さんがLPとして奔走し、1年ほど経ったある日。突然、当時の社長から直々に「営業所長にならないか」と打診を受けた。当時プルデンシャルの営業現場には、管理職である営業所長の役職に就いている女性はいなかった。

「私が入社した頃は、女性が活躍できる場をもっと増やすため『女性営業社員を増やす』『女性の管理職登用を推進する』と、会社が未来へ向けて動きはじめたタイミングだったんだと思います」と長谷川さん。

だからと言って、ロールモデルにできる女性は社内に誰もいない。自分に管理職など務まるのだろうか…。そんな不安が頭をよぎる。

「とても悩みましたが、何事もやってみなくちゃわからないなと。プルデンシャルには、“自分の本当の実力を知りたい”という思いで入社しましたから、まさに自分の力を試せるチャンスだと思うことにしたんです」

プルデンシャルの中でも、進み続けたい。進まないと、道はひらけない――。

長谷川さんは打診を受け入れ、入社から2年で初の女性営業所長に就任。その後支社長に昇格して支社経営を経験した。そしてついに、2022年、営業出身の女性として初めての執行役員となる。



取材・執筆:ヨコシマ リンコ
編集:山口 真央(ヒャクマンボルト)
写真:Ban Yutaka

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