プルデンシャル生命(以下、プルデンシャル)には、ライフプランナー(以下、LP)として働く人がいる。LPはお客さまのもとへ足を運び、お話を伺い、その人の人生に寄り添いながら保険を提案する日々を送る、保険営業のプロフェッショナルだ。
今回は2015年にプルデンシャルに入社し、現在はシングルマザーとして6歳の娘を育てながら、LPとして活躍を続ける佐藤あかねさんにインタビュー。仕事と育児を両立させるための働き方や、自分の中で決めている「My Rules(マイルール)」、さらに今後の展望までを聞いた。
後編:娘さんとの時間を最優先にするための佐藤さんのMy Rules
点と点を繋げた先に辿り着いた、LPという生き方
大学時代には経済学を専攻していた佐藤さん。もともとアナウンサー志望で、大学1年の頃から養成スクールに通っていたものの、就活には失敗してしまったという。
「キー局から地方局までほぼ全て、80社くらいの放送局を受けたのですが、見事に全部落ちてしまったんです。そこで経済学を学んでいたこともあり、前職の証券会社に入社しました」
大手証券会社で、営業成績全国1位に輝くなど優秀な成績を収めた彼女だが、4年目にプルデンシャルへの転職を決意する。その理由は、白井隆行支社長との出会いだった。「先にプルデンシャルに入社していた前職の後輩から、『LPという仕事について話を聞いてみないか』と誘われ、社名をWebで検索したんです。そこで『LPは営業のプロフェッショナル』という言葉が目に留まりました。それで、一度話を聞いてみようかと」。
そして後輩の紹介で参加した説明会で出会ったのが白井さんだった。
「白井さんの発する言葉、仕事に対する使命感、支社に掲示してあったポスターのメッセージなども含めて、全てに魅了されてしまって。これが外資系企業かと衝撃でした」
その衝撃は、当日にプルデンシャルで働くことを即決するほどだった。「保険営業はやったことがありませんでしたが、この環境下ならもっと成長できるのではないか、という直感があったんです」
それまでの経験について、「当時はあまり意識していなかったですが、大学で経済学を学んだことや前職で得た株、投資信託、債券の知識は、今の仕事でも必須で、確実に活きていると思う」と語る佐藤さん。アナウンサースクールでの学びも、お客さまとお話しする際に使える彼女の強み。過去の点と点がつながって、LPという生き方にたどり着いた。
壁を乗り越えられたカギは「量×質」の営業スタイル
入社から8年、様々な表彰を受けるなどプルデンシャルで活躍し続ける佐藤さん。しかし、入社当初はとても苦しんだという。
「前職では最初の配属先である浜松で働いていました。大学が東京だったとはいえ、東京に戻ってくるのはとても不安で。営業における人脈づくりもゼロスタートでした」。前職では職域があり、営業ができる相手に困ることはあまりなかったという佐藤さん。そのため、お客さまからご紹介をいただき、自分のマーケットを広げていくLPの営業スタイルに苦戦した。
結果が出せず、営業パーソンとしての自信を失いかけ、「もう辞めよう」とまで思いつめたこともあった。そんな彼女が、どうやって第一線で活躍できるまでになったのだろうか。
「自分を採用してくれた白井支社長に認められたい、という一心で自分自身を奮い立たせた」と当時を振り返る佐藤さん。前職ではほぼ無縁だった異業種交流会に参加、飛び込み営業も経験した。とにかく「人に会うこと」を徹底的に意識し続け、晴れて社内コンテストで入社1年目から入賞を果たす。
「やはり営業は”量×質”で考えるべきだと思うんです。“量“については、どうやったら人と会う機会を作れるのか徹底的に考えるべき。私自身も、異業種交流会に参加したり、飛び込み営業をしたり、量を増やす努力をしていた時期がありました。がむしゃらに動くことで浮上のきっかけを掴めると思うんです」
当時とは活動のスタイルは変わったが、今でも周りを巻き込んでいくために、同じくLPとして働く妹と経営者向けセミナーを開いたりしてきっかけ作りを続けている。
“質“については、「今はネットで検索したら、様々な情報が手に入る時代です。だからこそ質を意識し、お客さまには一段上の価値を提供することを心がけるべきだと思います」という。
プルデンシャルのLPとして高いレベルの金融知識を提供するために、今も勉強を続ける佐藤さん。アポとアポの間にも本を読んだり、社内勉強会に参加したりと努力は欠かさない。
妊娠・出産を経て変化した仕事への向き合い方
佐藤さんは、2016年に長女を出産し、産休・育休を取得。出産から1年半後、復帰した当初は、仕事をもう一度立ち上げるプレッシャーに加え、体調の変化や大幅な体重の増加で本当に大変だったそうだ。
復帰して仕事と育児の両立に追われる中、自分の働き方と深く向き合うようになった。
「子育てをしながら、入社当初の仕事量は保てないと思ったんですよね。しかも、娘は高校か、大学かわかりませんが、いずれ親元を離れていく……。一緒に過ごせる時間はとても短いと気付いたんです。このままではいけない。仕事の仕方を変えなければ、と」
インタビュー・執筆:野風真雪
編集:山口 真央(ヒャクマンボルト)
写真:Ban Yutaka