約4.4組に1組、パーセントに直すなら22.7%。 この数字は、実際に不妊の検査や治療を受けたことがある(または現在受けている)夫婦の割合だ。そして不妊治療をしたことがある(または予定している) 働く人のなかで、「仕事との両立ができない」と回答した人の割合は、26.1%にのぼる*。そしてその多くが、「子どもを授かりたかったが諦める」という選択をする。
今回の主人公、プルデンシャル生命のライフプランナー・小峯亜希子さんは、結婚当時に「自分たちで子どもを授かるのは難しい」という答えを出していた。そして「ならば、いつかは養子を迎えたい」とも。
「それを叶えるのが、今、ここでよかったと思っているんです」
2024年、特別養子縁組を経て母になった小峯さん。この言葉の意味と、これまで、そしてこれからを聞く。
*不妊治療に関する数値は、厚生労働省 令和7年度「不妊治療と仕事との両立サポートハンドブック」をもとに記載
保育士からライフプランナーへ。そして、『いつか』を叶えるとき

この小さな男の子の赤ちゃんが私の子なんだ――。
小峯さんは、出産を経て母になる女性と同じ感覚を覚えた。だが、その言葉が持つニュアンスは、いわゆる「普通の母」とは違った意味を持つ。
初めて息子さんと対面した日のことを振り返って、小峯さんは 「なんだか、懐かしい感じがしたんです」 と話し始めてくれた。
ようやく出会えたわが子。一度は「自身の子を持つ」ということを諦めた小峯さんは、わが子を抱き、その重みをかみしめる瞬間を待ちわびていた。
「私は保育士でしたから、子どもを抱くことは慣れています。だから、保育士時代の感覚がよみがえってきて、懐かしさを感じたのかもしれません。でも、丸一日子どもの面倒を見るようになって、保育士との違いを実感しましたね。“育てる”という責任が生まれて、『ああ、養子をもらったんだな』と。出産を経て母になる女性たちとはちょっと違う形でしたが、そのとき私は『この子と一緒に生きていこう』 と決めました」
小峯さんが結婚したのは2012年、保育士として働いていた30歳のときだ。結婚後すぐに、夫婦の子どもを望むのは難しいことがわかったのだという。
「不妊治療など、いろんな選択肢を模索しました。夫と何度も話す中で、『じゃあいつかは養子を引き取ったらどうかな』って。でもその後、私がプルデンシャルにライフプランナーとして転職して忙しくなり、その『いつか』は先延ばしになっていきました……」
小峯さんにとっては、ライフプランナーとしての生活が新鮮で、「とにかく楽しかった」そうだ。
「営業の経験はなかったけれど、目の前の方の人生を真剣に考えて対話する楽しさ、信頼していただける喜び、毎日の仕事に全力投球できるライフプランナーの仕事にやりがいが感じられた」と話す。
「夢中で仕事をしていたら、あっという間に40代に突入していましたね(笑)。でも、仕事がある程度自分のペースでできるようになってきて、自分や両親の年齢なども考えると、『そろそろ真剣に養子を引き取ることを考えた方がいいかもな……』って。それが、2023年のはじめの頃でした」
今の私なら、全部諦めなくていい。その強い気持ちを持って母になった

心を決めた小峯さんの行動は、早かった。その年の4月には行政機関に申請し、夫婦で養子を引き取るための研修を受ける。11月には「育ての親」としての待機候補者に登録され、その後、乳児院へも頻繁に通い始めた。
「12月に入って、乳児院から 『こんな子がいますが、どうですか』 と連絡をいただきました。
とはいえ、写真はないし、名前もわからないという状態で……。先が見えず、不安な気持ちもよぎり、何度も自分に問いかけました。でも最終的には、こうしてご連絡をいただけたのは何かの縁。夫とも話し合って、引き受けることにしたんです」
こうして2024年3月末に、小さな男の子の赤ちゃんが小峯さんの家にやって来た。親子としての共同生活がスタートしたのだ。
しかし、この「共同生活」までの道のりには、高いハードルがある。待機候補者として、母親・父親候補ともに何度も研修を受け、最低でも数か月間は乳児院に通う必要があった。さらに申請手続きは複雑で、公的機関への申請となるため、平日の昼間に仕事の調整をしなければならない。子どもを引き取り自宅での共同生活がスタートしても、最初の1か月間は県外に出ることは許されず、保育園や父・母の両親を頼ることも認められない。共働きの場合、「仕事をしながら夫婦のみで育児をすること」が求められるのだ。
「その点、ライフプランナーである私はこの条件をクリアしやすくて、とても助かりました。夫は土日がお休みの会社員なので、平日の時間調整は難しい。一方の私は、働く場所も・時間も自分で自由に決められるので、仕事をうまく調整して2か月ほど自宅で子どもと過ごす時間を作れました。仕事と育児の両立ができずに特別養子縁組を諦める夫婦も多いと聞きますが、私は仕事も育児も諦めずに済みました」

▲小峯さんとお子さん(ご本人提供)
初めての子育て。しかし小峯さんは、「育休をとらず、仕事と両立する」ことを決めた。
「プルデンシャルには、子どもが3歳になるまで育休を取得できる制度があります。私が所属する支社の皆さんからも、『育休は取ったら?』と勧められることもありました。でも、育休を取得したら、お客さまに万が一のことが起きたときに、自分で対応することができない。私にとっては、『お客さまのために動きたいのに動けない』 というストレスが、逆に自分の負担になると感じたんです。私は出産で自分の身体を痛めたわけではないし、息子が自宅に来てからの2カ月間、自宅で仕事も育児も両方諦めずに頑張れたというのも大きな理由です。もちろん、私だけの力でできていることではなくて、夫の協力や周囲の理解、お客さまの応援があったからこそ、この働き方ができています」
「全部諦めないでいいんですよ、ここは」。 そう言って小峯さんは頬笑んだ。
