自らスカウトしたメンバーが活躍し、管理職としての醍醐味を味わっていたプルデンシャル生命の安澤哲郎さん。しかし、支社長に昇進してからは、組織の長として厚い壁に直面する。それまでの成功体験に基づいた営業スタイルを支社全体の方針に掲げ、徹底したことで、周囲との温度差が生まれてしまったのだ。

支社長としての熱い気持ちとは裏腹に、メンバーから生まれた反感の声。従来のマネジメント法の限界を感じた安澤さんを救った言葉とは?


▼プロフィール
安澤哲郎(やすざわ・てつろう)

滋賀県生まれ。早稲田大学卒業後、滋賀県を拠点とする金融機関に入社。2006年にプルデンシャル生命に入社。ライフプランナー、営業所長として経験を積み、2015年から支社長に就任。




成功体験の呪縛から抜け出すまで

ライフプランナー、営業所長として順調な道のりを歩んできた安澤さんは、41歳で岐阜支社の責任者である支社長に就任した。新たなメンバー、そして組織の長としての新たな歩みということもあり、熱血指導にさらに力が入っていた。

「ベテランのライフプランナーに対しても、『今までの営業スタイルを全部忘れて欲しい』と言い、私が実演した営業のロールプレイをDVDで渡していました。営業スタイルを半ば強制したのです」

それでも安澤さんの支社を盛り上げたいという想いが伝わり、メンバー全員が成果を挙げるなど「結果」は伴った。支社の雰囲気も変わり、手応えを感じた。しかし一方で、そのマネジメントに歪みが起こり始める。

たとえば支社メンバーとの会食の際に起こった言い争い。些細な軽口からメンバーを叱責したことは、管理職としての自分を疑う種となった。その後、支社の統合により、現職となる名古屋地区の大きな支社の支社長に就任。ここでも自分がよしとするスタイルにこだわってしまったと苦い顔をする。

「メンバーの育成は営業所長を介して行い、支社長は支社全体の運営に軸足を置くのが正しい線引きです。しかし私は、自分の成功体験を信じすぎていたせいで、営業所長たちのやり方に口出ししすぎてしまった。自分は管理職の道でもやっていけると確信していましたが、私にとっては組織の長である支社長になってからが管理職としての本当のスタートだったのです。おそらく営業所長たちも不満を持っていたはずですが、私を立ててくれたことで支社としては実績も上がり、当初はうまく回っていました」

画像1: 成功体験の呪縛から抜け出すまで

しかし、若い世代の入社や共働き夫婦の増加など、支社内でも働き方の変化や多様な価値観が当たり前になり、支社長としてマネジメントの変化を余儀なくされた。決定的だったのは、メンバーに対して行ったアンケートへの回答だった。

「『安澤さんのスタイルは古い。過去の成功体験に固執している』と書かれているのを見たとき、驚き、怒り、さまざまな感情が湧き上がりました。加えて別の会議で、活動量が少ないメンバーを叱責したら、『心理的安全性がなく、つらいです』と言われて……。私はこれまで、自分が怒る基準は世間とズレていない、自分が腹を立てているということは誰もが怒るレベルのことを相手がしたからだと信じていました。しかし、怒ったことで状況が改善されないどころか、悪化している。怒ること以外のマネジメントが必要であり、自分が変わらなければいけないタイミングだと気づいたのです」

画像2: 成功体験の呪縛から抜け出すまで

そうして自ら申し込んでアンガーマネジメント研修を受け、実践的なテクニックも習得したが、安澤さんにとって一番の特効薬となったのは、間原寛さん(現プルデンシャル生命保険代表取締役社長)にかけられた、「支社長にとって一番必要な能力は、メタ認知能力だよ」というアドバイスだ。

「常に私の斜め上に“ミニ安澤”を浮遊させて、『自分が今どういう状況にいるか』を俯瞰するんです。自分はいま怒っている、落ち込んでいると理解することで、感情に左右されることなく対処できるようになりました」【My Rules①】

昔から知る先輩や同僚、支社のメンバーには、「人が変わったようだ」「以前の怒っている安澤さんが懐かしい」と言われることもある。変化することに恐れやためらいはないが、それでも今の自分が管理職として正しいのか、常に自問自答しているという。

「ダーウィンの進化論じゃないですが、ビジネスにおいても生き残るのは強いものではなくて、変化できるものだと思います。成功体験を過信して自分の価値観を押し付けるのではなく、目の前の相手の価値観を理解すること。そして、自分がよりよいものを提供できるように感覚を研ぎ澄まし、相手に向き合っていきたい」【My Rules②】

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