困難を抱えても生きていける、“つながり”で支え合う地域へ

画像1: 困難を抱えても生きていける、“つながり”で支え合う地域へ
――それぞれができる範囲の心がけで、支え合う地域ができていく。だんだんのできる範囲については、近藤さんはどう捉えていますか?

近藤:日々持ち込まれるいろいろな相談に対して臨機応変に対応できるのが、地域の支援のいいところです。だから、それを続けることかなと思っています。

ひとつひとつ、困っている人の荷物を少しでも軽くできることを考えていく。新しいことをやって活動を広げていこうとは考えていません。ボランティアの皆さんや自分自身の生活が苦しくなってしまったらいけないから。

――歯科衛生士のお仕事やご自身の生活がありながらのボランティア活動――。なぜ続けてこれたと思いますか?

近藤:「続けねばならない」とは思っていないからかもしれないです。明日辞めてもいいし、この場所は私で終わってもいいと思っています。

「次世代に引き継がないといけない」と言われることもありますが、ここがなくなっても、みんな他の場所をすぐに見つけられるから大丈夫。それに、私の活動を理解して「自分も何かできることはないか」と考えてくれる、かつての“子どもたち”がいるから安心しています。

彼ら・彼女らには「あなたたちもこういう活動をしなさいよ」とは、一度も言ったことがないんですけどね。むしろ「支援を法人としてやりたい」という子がいれば、一度は止めますよ。自分の生活をちゃんと成り立たせられるような収入があって、ボランタリーな活動としてやるのはいいと思うよという話はします。

――子どもたちの幸せを想う、厳しくもあたたかいアドバイスですね。なんだか、自分のおばあちゃんに語りかけられた気持ちです。

近藤:本当にここが“おばあちゃん家”みたいになっている人たちがたくさんいますよ。

今まですごく大変だったけど、それがやってきた意味なのかなと。「人とつながるっていいな」と思える場所のひとつになっていたらそれで充分です。ふとした瞬間思い出せる場所にね。

「時間ができたから近藤さんの顔を見に行ってみよう」とか、「あの椅子にちょっと座りに行こうかな」とか。続けられる間は、つかず離れずの距離感でここに存在できたらいいなと思います。

――最後に、近藤さんが描く地域の未来について教えてください。

近藤:困難を抱えていても生きていける状況を、“地域”で作っていかなくちゃいけない。人が抱える困難は、周りの手を借りられたとしても簡単に解決できるものじゃないと思います。でもその重さに負けて社会から滑り落ちそうなとき、何か引っかかれる場所があれば、生きていける。その引っかかりになるような、つながりの場所として地域は存在できるはずです。逆にそれしかできないとも思います。「支援」って簡単じゃないから。

きっと自分にできるお手伝いはあるはずなんです、みんなね。こども食堂じゃなくていい。例えば、隣の家のおばあちゃんが重たそうにゴミを出しに行っていたら、「お手伝いしましょうか」と声をかけてみてください。いらないって言われるかもしれないけど、その一言があるかないかってすごく重要なポイントだと思います。声をかけた相手にとっても、自分にとっても。

今は健康でも、いつ自分が弱くなるかわからないじゃないですか。そんな時に、声をかけてもらうと嬉しいと思う。声をかけてもらってその時は必要なかったとしても、「ああ、気にかけてもらえているんだな」と感じられる場所にはなるでしょう。そういう言葉がお互いにかけられるような地域になればいい。

「身近でできる、そういうやりとりが何より大切なんだよ」と、これからも子どもたちに伝えていきたいです。

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画像: 「こども食堂」生みの親・近藤博子さんの願い。“地域のつながり”で支え合う社会とは

近藤博子

島根県生まれ。歯科衛生士としてキャリアを始める。2008年気まぐれ八百屋だんだんをスタート。だんだん寺子屋なども開催。2012年こども食堂。2015年こども笑顔ミーティング、2022年ファーストリーチプロジェクト(5団体で)をスタート。このほか母子保健推進会議、支援の輪プロジェクト、学校地域教育連絡協議会等の委員として現在に至る。

執筆:紡もえ 撮影:梶礼哉

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