あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために使ってください――。

これは2019年、東京大学の入学式で新入学生たちに贈られた祝辞の一節だ。この14分間に及ぶスピーチは大きな話題を集め、心を打たれる人も多かったのに対し、なかには「入学式の祝辞には相応しくない」という強い批判もあった。

未来を背負っていく学生たちに対し、この祝辞を贈った人物こそが、今回のミモザなひと。日本を代表するフェミニストである社会学者・上野千鶴子さん。

上野さんはこれまでずっと、この国の男女間格差について声を上げてきた。しかしこの日本ではいまだに、それに反発する声が寄せられることも珍しくない。それなのになぜ、上野さんはフェミニズムの先頭に立ち、闘ってこられたのだろうか。その半生と胸中に迫る。


「深窓のガキ」として育ち、窮屈な家から逃げ出すために大学へ

画像: 「深窓のガキ」として育ち、窮屈な家から逃げ出すために大学へ
――幼い頃、上野さんはどんな子どもでしたか?

上野:チビで、トムボーイで、とにかくやんちゃな子でした。それでいて塀から外に出たことがないような世間知らずでもあったから、友達からは「深窓のガキ」って呼ばれていました。

――どんな家庭環境だったのでしょうか?

上野:父は医者をしていて、ワンマンな亭主関白でした。開業医でお山の大将だったせいで社会性もなくて。癇癪持ちで、母は夫の顔色を見て暮らしていました。恋愛結婚だった母は「男選びを間違った」と愚痴をこぼしていたし、そういう母を間近で見ていて、「女である自分にはこんな人生が待っているのか……」と絶望して。子ども心にも、こういう人生は送りたくないって思っていましたね。

私の母は、地方で三世代が同居する家の長男に嫁ぎ、嫁姑の確執があった上に夫婦仲も悪かった。家庭内の雰囲気はあまり良くなかったし、そんな複雑な人間関係をじっと見ていたおかげで、私は性格の悪い娘になったのかもしれませんね(笑)

だから大学に進学したのも、“逃避”だったんです。とにかく家から逃げ出したかった。

――それくらい息苦しい環境だったんですね。

上野:当時の女子の大学進学率は同年齢人口のわずか5%ほどで、とても低かったの。女子が大学に行ったってなんのメリットもないと思われていた時代でした。

女子が大学に行くと、婚期は遅れるし、(年齢が高くなると企業が採用しなくなるので)就職先だってなくなるし、ろくなことがなかった。企業は高卒や短大卒の女性を優先的に採用していましたから。

――高卒や短大卒を積極採用。それはなぜですか?

上野:高卒の女性は結婚退職まで5年以上はたらいてくれるし、短大卒の女性は、「身元の確かなお嫁さん候補」だったのよ。だから、短大を卒業してブランド企業に入り、そこで社内結婚して寿退社するのが、女にとっての“アガリ”でした。

そんな時代だったけれど、それよりも私はとにかく家を出たかった。母の姿を見ていましたから、結婚なんかクソくらえだと思っていたし。だから、地元の金沢から遠く離れた京都大学を選びました。

――京都大学では大学院まで進まれています。勉強や研究がお好きだったのでしょうか?

上野:院に進んだのも、就職したくない、親元に帰りたくないという不純な動機での”モラトリアム入院”でした(笑)。嫌なことを先延ばしにするために「もっと勉強したい」なんて、親を騙してね。

あの頃は、大学院に進むことを「入院」と呼ぶ人もいて。“入院生活”が長期化すると、社会復帰が困難になる、なんて自嘲しながらね。先の展望は何もありませんでした。

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