人生のある地点で、出口の見えない暗いトンネルのような時期を経験するかもしれない。「逆境」とも呼びたくなるようなその時期を、チャンスに変えるためには何が必要だろう。
今回お話を伺ったのは、プルデンシャル生命のライフプランナー、竹本亜紀さん。彼女の前に立ちはだかったのは、「環境の壁」と「離婚した女性としての壁」という二つの逆境だった。
「どうして乗り越えられたのですか」――。そう問うと、「覚悟を決めたから」そして「仲間ができたから。私は一人じゃないと思えたんです」と教えてくれた。
それぞれを乗り越え、活躍する彼女のもとには教えを乞う若者も多く集う。私たちもそのヒントを竹本さんの言葉から見つけてみたい。
後編:大切なものを託してくれた、お客さまとのエピソードと「My Rules」
「茶室がある暮らし」は、自分にとって欠かせないもの
少しひんやりとした空気が流れる秋口。今回の取材は、竹本さんのご自宅で行った。「ようこそいらっしゃいました」と笑顔の竹本さんは、その雰囲気によく似合う卯の花色の色無地で迎えてくれる。
「まずはこちらへ」と通してくれたのは、なんと茶室。ご自宅の中に、茶室をつくるほどの竹本さんは、武家茶道を代表する流儀・遠州流の師範のお免状を持つ腕前だ。
「大学を卒業してからずっと茶道を習っていましたが、結婚を機にやめちゃって。中途半端にやめてしまったことが心残りだったんです。でも、ライフプランナーになってからお客さまに遠州流を紹介いただいて、10年ぶりに再開。同じ道具を使っても、点てる人によってお茶の味は全く違うという面白さ、そして無心になれるところにどんどんハマっていきました」
静寂に包まれた茶室には、ポコポコと湯の沸く音だけが響く。この空間で、竹本さんは頭と心をリセットする時間を大切にしている。
「茶道というのは、ただ相手のことを想って心を込め、たった一杯のお茶を点てるために時間をかけてたくさんの準備をします。これはライフプランナーという仕事でも同じだと感じるようになり、相手の方とお会いする前から準備を怠ってはいけないという心構えを学びました。営業という仕事は、自分の思い通りにいかないことも多いです。そこに対して少し心が乱れることも。そんなときこそ、お茶を点てます。私にとって、茶道は心を整えるために欠かせない存在ですね」
離婚して感じたひとつ目の逆境。「世間から取り残される感覚」
「結婚を機に茶道をやめた」と話す竹本さんだが、実はその後、離婚を経験している。これこそが1つ目の「逆境」のはじまりだったという。
「私は大阪生まれ大阪育ち。結婚後は大阪のカーディーラーでショールームスタッフ、その後は営業としてキャリアを積みました」
竹本さんは当初、ショールームスタッフとして車の紹介から「販売」までを担当していた。しかし「契約」まで進むと、“セールスマン”にバトンタッチしなければならず、お客さまを担当することは許されなかったという。そこにくやしさを覚え、「ならば“セールスマン”になろう」と、大胆なキャリアチェンジを決断した。これだけでも竹本さんのチャレンジ精神が垣間見える。
「仕事は大好きでした。でも当時の夫が東京に転勤することになり、帯同するために会社を退職して東京へ……。その後、ほどなくして離婚しています」
離婚当時、竹本さんは仕事には就いていなかったそうだ。
「離婚して気がついたのは、私は夫の『傘』のもとでぬくぬくと生きていたということです。離婚後は『社会的な信用』がなく、賃貸契約の審査にも通らない。審査が通ったとしても、保証人は高齢の両親。ではもし両親が亡くなってしまったら、私はどこに住めばいいんだろう……? そんな状況でした」
「私ってただのおまけだったんだ――」とまで思いつめ、自分一人では生きていけず、世間から取り残されてしまったと感じるような辛い時期が続いた。
プルデンシャルに入社して、ふたつ目の逆境。「もっと頑張りたいのに」
離婚後、世間から取り残されるような感覚に襲われた竹本さん。「こんなのはもう嫌だ、自分の足でしっかりと歩いていきたい」そう強く感じていた時に、プルデンシャルからライフプランナーとしてスカウトを受けた。
「当時の私はプルデンシャルを知りませんでした。でも銀行に勤める知人に相談してみると、『プルデンシャルは、男性営業が大半だと聞く。そんな中で女性のあなたに連絡が来たのはすごいことなんじゃない?一度話を聞いてみたら』と背中を押してくれたんです。で、採用面接へ。後からわかったことですが、私がスカウトを受けたのは当時女性のライフプランナーが少なかったプルデンシャルで、女性採用強化のために発足したプロジェクトの一環でした……」
通常ライフプランナーは、入社後約2年かけて営業所長や先輩から指導を受け、独り立ちしていく。プルデンシャルの確立された「営業プロセス」そして「生命保険の知識」、「営業パーソンとしての姿勢」など、多くのことを学ぶ重要な期間だ。しかし、竹本さんが入社したのは、支社長以外は全員「入社したばかりの女性」という特殊な新設支社。頼れるはずのベテランの先輩はもちろん、生命保険に関する知識や経験のある営業所長もいなかった。
「現在のプルデンシャルにはそういった支社はありませんのでご安心ください(笑)。会社も女性採用のために色々と模索していた時期だったことは理解しています。ただ、当時私が入社した支社では、いつも『どこにランチにいくか』といった会話が普通で、1件のご契約をお預かりしただけで『すごいすごい』と褒め合うような雰囲気。お互いに高め合って成長していけるという、思い描いていた環境とは全く違ったんです」
この会社に転職してよかったのだろうか……そう自問自答する日々の中、さらに竹本さんを追いつめたのは、「地元ではない場所」という壁だった。「私の地元は大阪です。入社直後の新人は、友人知人から営業に行きますが、東京にいる私にはその相手がいませんでした。だから、とにかくがむしゃらにやるしかなかったんです」
頼れる人がいない、行くところもない……。竹本さんはその状況からどうやってお客さまを見つけていったのか。竹本さんのライフプランナーとしての原点と言えるエピソードがある。
「『知っている人がいないなら、これから出会えばいい』と考えて、たくさんの人に『プルデンシャル生命・竹本亜紀』の名刺を携えて会いに行きました。企業に飛び込みに行ったり、オフィス街ですれ違う人と名刺を交換してそこからご紹介をいただいたり……。でも、すぐにうまくいくようなものではありません。心が折れかけたことは何度もありました。でも『100人と名刺交換するまで絶対にやめない』と決めて、やり続けました。決して環境のせいにはしたくなかった。これは、『傘から抜け出して、ひとりのライフプランナーとしてやっていくんだ』という覚悟を決めていたからです。」
逆境を乗り越えられたのは「仲間がいたから」。支社の外で見つけた存在
プルデンシャルのライフプランナーならば、必ずと言ってよいほど皆が目指す “社内コンテスト”がある。コンテストの基準を満たせるのは、全営業社員のうちわずかしかいない。その表彰式では多くのライフプランナーがお互いの功績を称え、握手を交わす。
「入社時からコンテストの存在は知っていました。だから私は、『ライフプランナーになったなら当然目指さなくては』と思っていて。でも、同じ支社のメンバーは全く興味がなさそうだった。ある日『コンテスト入賞を目指さない?』と誘ってみたら『なに夢みたいなこと言ってるの?』と冷たく返されました。悔しかった。そうか、そういう感じか……って。たとえ一人でも頑張るしかない、やってみようと決めたんです」
以降、竹本さんは初年度から現在まで、女性で初めて15年連続でコンテストの基準を達成している。これは竹本さんのライフプランナーとしての覚悟でありプライドなのかもしれない。
率直に「すごいですね」と伝えると、竹本さんは「ひとりじゃなかったから」と微笑む。
インタビュー・執筆:山口 真央
写真:梶 礼哉