個人と組織の幸せをはぐくむキーとなる「心理的安全性」。心理的安全性の高いチームでは誰もが気兼ねなく意見を言いあい、達成したい目的にまっすぐ向かっていくことで、仕事のやりがいも感じられるといいます。
株式会社ZENTechではそうした幸せなチームを増やすため、科学的理論と現場での実践に基づいて、さまざまな企業の組織・チーム作りをサポートしています。ZENTech共同代表である石井遼介さんは、2020年に著書『心理的安全性のつくりかた』も上梓。石井さんが人や組織に興味を抱いた理由や、幸せなチーム作りにかける想いなどを伺いました。
個人を輝かせるには、組織を変える必要があった
石井:中学でも高校でも物理が好きで、大学では精密機械工学を学びました。物理学や工学の魅力は、メカニズム(理論や物理法則)に基づいて、同じ状態や同じものを作ることができる点です。
たとえば工場で同じ製品を量産できるのも、物理学の「物事の仕組みを説明する能力」と、工学の「そうした仕組みを再現する能力」によるもの。そうした面白さが、当時の私の心をとらえました。
石井:そう思われますよね。でも、じつはそうでもなくて。現在私は「心理的安全性」をはじめ、組織やチームがうまく働くメカニズムや原理原則を見出し、「良いチーム・良い組織」をたくさん作ることを目指しているんですね。
そのなかで私自身もプログラムコードを書いて組織や人事のデータを分析しています。個々人を「点」、個人間の関係を「点と点をつなぐ線」だととらえると、学生時代に「点」と「線」でメカニズムを処理していた考え方は、同じように活用できると感じているんです。もちろん、個人やその組織なりの特別さを尊重するという重要な差異はあるけれど、学生時代に工学部で学んできたことが、とても活きていますね。
石井:最初は「個人の変容」に興味を持っていたんです。慶應義塾大学が140周年事業としてスタートした「福沢諭吉記念 文明塾」という、学生と社会人が一緒に学ぶリーダーシップ教育プログラムに参加したことが、研究をはじめたきっかけでした。
当時設定したテーマは「人間はどうしたら変われるのか?」。自分自身が多様な人との出会いに恵まれて変化してきた実感もあったので「人は何かの刺激を受けると変化するんだ」「じゃあ、その刺激って何だろう?」という関心が高まり、メンタルトレーニングの構築に挑戦したんです。たまたま同じチームになった志村祥瑚さん(現在は精神科医で企業向けイノベーション教育にも携わる)と一緒に、プログラムが修了した後も探求を続けました。
石井:人が変わるには、その人の周囲の環境の影響、特に所属する組織やチームの影響がとても大きいと感じたんです。志村さんとつくったメンタルトレーニングは確かに成果が出たのですが、すぐに以前のネガティブなメンタルに戻ってしまう人が一定数いらっしゃって……その理由を探っていくと、どうやらその方がいる環境に問題があるようだったんですね。例えば、どれだけ個人のメンタルをトレーニングしても、パワハラが日常的に起きる環境で働き続けると、やっぱり気持ちが落ち込んでしまう……といったイメージです。
石井:学生時代などを振り返ってみると、学生への接し方やマネジメントが優れた教授がいる研究室では学生がいきいきと輝いていたし、圧迫感の強い教授がいる研究室は、優秀なはずの学生が本来のパフォーマンスが出せていないように見えたり、辞めてしまったりしていました。
僕が最終的に目指したいのは「一人ひとりが情熱と才能を発揮して輝けること」なんです。でも、そういう状態をつくるためには「個人」と「組織」をセットで考える必要があった。個人が活動する場である組織やチームと向き合っていかなければ、本当の意味での成果は出せないと感じるようになりました。
石井:理由はふたつあります。ひとつは、やはり人ですね。ZENTechには、いま共同代表を務めている金さんが誘ってくれたんです。そもそも先ほどの文明塾も金さんが教えてくれたプログラムだし、文明塾のOB・OG会で、1,000人規模のコミュニティ運営に尽力する金さんの姿も見てきました。彼が優れたプロデューサー、いわば舞台をつくれる人材だということをよく知っていたんです。だからこそ彼としっかり仕事をしてみたい。その方が大きなインパクトを世界に届けられるだろうという予感がありました。
石井:もうひとつは個人や組織の課題に取り組むとき、研究者としてよりも、ビジネスパーソンとしてアクセスするほうがうまくいくのではないかと思ったから。ZENTechの本業は、個人と組織の変容によって、良い仕事をするチームを増やし、クライアントの企業価値を向上させることです。
そのためには、企業の奥深くまで踏み込んで、課題解決に当たらなければなりません。そのとき、研究者は「企業から提供されたデータを分析させていただく」というスタンスになってしまうけれど、ビジネスパーソンとしてなら「お客さまの課題を一緒に解決する」というスタンスが取れる。クライアントと同じ方向を向き、現場の問題をともに解決しながら、人と組織のメカニズムへの洞察を深め、よりよく変わっていくための具体的な事例を生み出せるんです。
石井:自分が何者であるかという定義に、あまりこだわりはないんです。僕が研究者であろうと経営者であろうと関係ない。実際に組織が変わり、そこで働く個人に良い影響が生まれ、その知見が社会へ展開されていくことのほうがずっと大事ですから。
「心理的安全性」は“ヌルさ”じゃなく、“勝つため”のマインド
石井:ZENTechは「最高の仕事をする幸せなチームを増やす」というビジョンを掲げる会社です。「自分たちだからこそ成果が出せた」と思える人とチームがあふれる社会を、つくっていきたいと考えています。そのために重要なのが、組織やチームの「心理的安全性」。僕たちは、成果を出すための率直な意見や質問、違和感の指摘などが誰でも気兼ねなくできる状態を「心理的安全性が高い」と呼んでいます。あらゆるチームでその心理的安全性を高めてもらうために、さまざまな事業に取り組んでいるんです。
石井:心理的安全性に関する講演・研修や、組織内でチーム毎に心理的安全性の状況を把握できる組織診断サーベイ「SAFETY ZONE」ですね。そのふたつを組み合わせながら、さまざまな企業と伴走して組織の改善を推進しています。最初のうちは考え方をインプットする講演が中心でしたが、いまは企業側から具体的な相談を受け、コンサルティング的な役割も担うようになりました。上場企業を中心に、心理的安全性にまつわるトップ対談を配信する事例や、管理職研修と現場での実践を繰り返し、SAFETY ZONEの計測も通じて組織風土を改善できた事例が増えてきています。
2022年からは、金さんを実行委員長として「心理的安全性アワード」を創設し、うまくいった取り組み事例を広く日本社会全体から表彰して、有効な施策を社会に広める活動をはじめました。大企業・ベンチャーから、教育機関や病院まで、幅広く事例が寄せられています。心理的安全性づくりの事例をおそらく日本中で一番たくさん持っている私たちとして、自信を持って言えるのは「日本の社会と心理的安全性は、相性がいい」ということです。集団主義やヒエラルキーを重視して発言を控えるような傾向が強いので、そのぶん心理的安全性を取り入れたときの伸びしろが大きいと思っています。
石井:まずは、心理的安全性という言葉の誤解です。「安全」という語のイメージから居心地のいい印象が前面に出てしまい、なぁなぁの“ヌルい”環境を想像する方が少なくないんですよね。でも、本当の心理的安全性は“チームで勝つため”のもの。より良い成果を出すためなら、一人だけ意見が違っていても臆さず言えるし、議論をいとわないチームをつくることなんです。最初は誤解によって反対していた人も、直接丁寧にお伝えすることで、みなさんすぐに理解をしてくださいます。
石井:意味の理解にくわえて、経営層や管理職層の「柔軟性」も必要です。組織を変えるのは、やっぱり簡単なことではありません。まずは、あまり考え込みすぎずに声をかけたり、仲間を増やしたり、行動に移すという柔軟性が大切です。
一方で、何かアクションしても、それが必ずうまくいくとは限らない。そんなとき、自分を正当化するために意固地になったり、過去の成功にしがみついたりせず、すぐに別の行動を試すことのできるしなやかさも大切なんです。恐れずにトライ・アンド・エラーを繰り返すことで、組織はかならず変わっていきますから。
すぐ返信、すぐスタンプ。それだけで空気が変わる
石井:僕たちの講演や研修で学んだことを、自分たちのチームづくり・組織変革に役立ててもらえると、やっぱりうれしいです。「若手社員から大胆な意見が出てきたとき、これまでだったら『従来どおりにやれ』と言って、そこで終わっちゃったかもしれないけれど、心理的安全性を思い出してちゃんと耳を傾け、アイデアの良い点を引き出しプロジェクト化できました」とか。「発売直前の製品に不具合が見つかっても『こんなギリギリにどうするんだ!』と怒らず『いま見つかってよかった』と言えた。そうしたら声を上げた社員のほうも『見つけられてよかった』と安心していた」とか。僕自身は最初から確かな意義があると信じている取り組みだけど、そういう生の声を聞くことで、いっそうやりがいを感じられます。
また、この取り組みを独りではなく、ZENTechという心理的安全性の高いチームで取り組めていることもうれしいです。「これで完成」というゴールがない仕事だからこそ、僕たち自身も仲間たちと日々模索しながら、前に進んでいるところです。市場やお客さまはどんどん移り変わるし、人もシステムも時にエラーを起こします。みんな忙しくしているなかでコミュニケーションの齟齬や専門性のぶつかり合いだって当然起きるでしょう。そうした問題があってもなお「前に進もう」と一緒にもがけるのが、心理的安全性の高いチームなんですよね。
石井:石井:「私自身が地球というチームに所属している」と考えているからかもしれません。SDGsへの関心が高まっていることからもわかるように、そういう全体に思いを馳せる感覚って、いま多くの人が持ち始めていると思うんです。僕らの事業も、ちょっと前までは「生産性向上」の文脈で依頼されることが多かったけれど、いまは「ウェルビーイング」や「ダイバーシティ」そして「人的資本」の観点に絡めたご依頼が増えています。「企業は社会の公器である」という松下幸之助氏の言葉がありますが、企業が貢献する対象は社会だけじゃなくて。ここで働く従業員一人ひとりも、ハッピーであることが大事だと僕は思っているんです。そういうあらゆることの一歩として、やっぱり一人ひとりが良い組織、良いチームに向けて、行動を変えていくことが大事なんですよね。
石井:スタンダードなことですが、すばやく前向きなリアクションを心がけています。何かアラートを上げてもらったら「なんでこうなったんだ」ではなく、「教えてくれてありがとう」とか、メッセージツールだったら「感謝」「最高」のスタンプをすぐつけるとか。相手のメッセージを認識して受け止めたことと、感謝していることを伝えるだけでも、連絡をくれたメンバーの気持ちって変わるんです。
それから、僕自身のタスクが一段落したときには「全部終わったつもりなんだけど、漏れているタスクがあったら教えてください!」と言ったりもします。そういう対応の積み重ねで、チームに「僕が積極的に無視をすることは絶対にない」「すぐ反応してくれるし、反応がないときは漏れているだけ」ということが伝われば、やりとりに不安を感じなくなるはずですから。
「役に立たないこと」はやめて「役に立ちそうなこと」を
石井:たしかに、あまりイライラしない方だとは思いますが、全然しないわけでもないんです。でも、イラッとしても仕方ないですからね(笑)。
石井:イラッとするのって、多くの場合は相手に何か期待があって、それを裏切られたときなんですよね。だったら、その期待を「こういう時は、こうしてほしい」と、丁寧に言語化して伝えることがオススメです。
それでもイライラが収まらないときは「この感情を、そのまま相手にぶつけて役に立つのか?」「相手の行動が変わったり、意味があるのか?」という観点を持っておくといいですよ。自分だけで怒っていても相手は変わらないし、苛立ちをぶつけて敵を作っても得しませんから。
石井:いつも「役に立つこと」をしようと思うと難しいけど、「役に立たないこと」を辞めるのは案外簡単だったりします。たとえば、お客さまへの提案をつくっている最中、社内で誰かと対立してイラッとしたとする。そうすると過去のメールを掘り起こして「いや、私は正しいですよね。間違っているのはあなたですよ!」と、正しさの証明をし始めてしまったりします。
けれども、お客さまからすれば「その時間と労力を正しさの証明に使うより、提案づくりに向けてよ」という気持ちになりますよね。こんな風に「自分や相手が正しいかどうか」ではなく「いま自分がやろうとしていること、役に立つんだっけ?」という問いを持つことは有効です。「あまり役に立たないな~?」って気づけたら、その行動はすぐに止めることができるからです。
石井:僕は、あんまり「将来こうしたい」というのがないんです。あえて持たないようにしている部分もあるかもしれない。だって、たとえば中学生のときになりたかった職業があったとして、いまその夢を叶えることが最高に幸せかというと、わからないじゃないですか。
それよりも将来は、いまの自分が想像もできないような状況にいるほうが面白そうだなって思う。
だから、自分自身の長期ビジョンはわざとぼんやり。そのときどきで面白そうなことにチャレンジして、出逢いや偶然を祝福しながら生きていきたいなって思っています。
石井遼介
株式会社ZENTech 代表取締役。一般社団法人日本認知科学研究所理事。慶應義塾大学システムデザイン・マネジメント研究科研究員。東京大学工学部卒。シンガポール国立大経営学修士(MBA)。行動分析の研究者として組織・チーム・個人のパフォーマンスを研究し、アカデミアの知見とビジネス現場の橋渡しを行う。心理的安全性の計測尺度・組織診断サーベイを開発するとともに、ビジネス領域、スポーツ領域で成果の出るチーム構築を推進。著書に『心理的安全性のつくりかた』(日本能率協会マネジメントセンター)、監修書に『心理的安全性をつくる言葉55』(飛鳥新社)
取材・執筆:菅原 さくら
編集:山口 真央
写真:梶 礼哉