夜にだけあらわれる、小さなクリーム色のワゴン。さまざまなパン屋さんで売れ残りそうなパンを集め、販売している「夜のパン屋さん」です。フードロスを減らしながら、雇用機会をも創出するための取り組みとして、料理家の枝元なほみさんがスタートしました。そんな枝元さんは、認定NPO法人ビッグイシュー基金共同代表を務めるなど、「食」や「働き方」の社会課題に大きな関心を寄せているといいます。
「AIがどれだけ進歩したってかぼちゃひとつつくれないでしょ?」と微笑む枝元さんにとって、食べることの根幹とは何なのでしょうか? 夜のパン屋さんに込めた想いや、今後目指していきたい社会のかたち、そしてその先にある「気持ちの豊かさ」について伺います。
「施し」ではなく「仕事」を提供する、対等な仕組み
枝元:ホームレス状態にあったり、生活に困窮している方たちの社会復帰を支援するため、雑誌の発行・路上販売をしている「ビッグイシュー」という団体の活動※がきっかけでした。駅前などで「ビッグイシュー」という雑誌を掲げている人を、見たことありませんか? 20年ほど前、日本でのビッグイシューの取り組みが始まったころにたまたま新聞でその紹介を読み、活動に共感して、料理の連載記事を担当させてもらうようになったんです。以降ずっと、団体のさまざまな取り組みに関わっています。
※The BigIssue Japan…市民が市民自身で仕事、「働く場」をつくる試み。生活困窮者の救済(チャリティ)ではなく、仕事を提供し自立を応援する事業。原型は1991年にロンドンで生まれた。
枝元:そうですね。雇用にまつわる課題意識は、自分の日常でも感じることがあったんです。
たとえば、テレビのお仕事でギャラがとても安かったとき。「料理を仕事として認めていただけていない気がします」と正直に伝えたら「“交通費”という名目ならギャラが増やせる」と言われたんです。それじゃ結局、“料理の仕事”の価値は低いままですよね。公共施設での料理教室の講師を担当したときもギャラは安くって、だけど「せっかく頼んでくれたのだから一肌脱ごう」と思って伺ったら、会場がやけに立派で……ガラス張りのエレベーターや大きな噴水のあるロビーを見て憤りを感じました。
対して私は、たくさんの食材を買い込み、自分でタクシーで運び、すっかり赤字でした。労働に対して使われないお金の存在に、やるせなくなりました。日本社会は、人がどんな思いで仕事をしているか、そこにどんな価値があるかをきちんと理解していないんじゃないかしら、と感じていたんです。
そうした中で、私にとってはビッグイシューの取り組みはとてもすっきりしていて、わかりやすいものでした。困っている人に施しをするのではなく、仕事をつくって、賃金を得る機会を提供する。雑誌価格の450円を、半分は販売した方に、半分は雑誌制作費に回すというのも明快です。そのとてもわかりやすくてフラットな関係を応援したいし、自分も輪の中に入りたいと思いました。
雇用創出とフードロスに向き合う「夜のパン屋さん」
枝元:さまざまなパン屋さんから、営業時間内に売りきれなさそうなパンをお預かりし、ほぼ値段を下げることなく販売するお店。同時にピックアップや販売などの雇用を生みだしています。
パンの売値はパン屋さんご自身に決めていただき、その半値から60%の価格でおろしていただいており、その差額でギャラを生み出すというサイクルです。ロスになるかもしれないパンを救出する気軽な窓口にもなっています。
立ち上げのきっかけは、ビッグイシュー基金で「衣食住」にまつわる新たなプロジェクトを考えていたとき、ある篤志家さんから「循環する使い方をしてください」と寄付を託されたこと。
北海道・帯広で6店舗を展開するパン屋の「満寿屋」さんが、各店舗で売れ残った商品を本店に集め、夜に販売しているというお話もヒントになりました。東京ならたくさんのパン屋さんがあるし、さまざまなお店でロスになるかもしれないパンを集めて、いい仕組みがつくれるかもしれないと思いたんです。
枝元:たとえばね、パンを焼くのは簡単じゃないし向き不向きもあります。職人さんをイチから育てるっていうのは大変なことです。けれど、集めて売る仕組みなら、私たちみんなで挑戦できるんじゃないかなって思いました。
オープンは2020年10月16日。世界食糧デーであり、本来なら東京オリンピックが終わってみんなが少し気落ちしているであろうタイミングを狙っていました。
枝元:もうね、本当に大変でした! 売れ残ったパンを買い取らせてくださるお店が、なかなか見つからなかったんです。企画書と名刺と自分の著書を持って、毎日いろんなパン屋さんを回ったけれど、企画を説明しても店主さんからは「考えとくわ」って言われて、そのまま撃沈。
私ね、営業マンが仕事の終わったあとに「ビールでも飲まなきゃやってらんねぇよ!」っていう気持ちがそのときとってもよくわかりました!
そんな撃沈続きだったから、最初に承諾してもらえたときには涙が流れました。そうやって地道に提携先を増やしてきて、いまは約20店舗が協力してくださっています。夜のパン屋さん自体も田町駅前からはじまって、飯田橋、神楽坂と3店舗に増えました。
枝元:でも、必要なのは1店舗につき販売が3人、ピックアップが数人程度……ビッグイシューの販売みたいに、まだ多くの人に働いてもらうことはできません。提携しているパン屋さんに売れ残りが出なかった日は、ピックアップに行くはずだった人の仕事がなくなります。コロナが落ち着いてお客様が戻ってきたのか、近ごろはとくにそういう日が増えました。最近は原材料費の高騰によって廃業なさるお店もあったりして……運営を安定させるのは難しいなと感じています。
“夜パン”は非効率なお店。でもきっと、これからの本流になる
枝元:料理の仕事を数十年続けてきた私ですが、もう「早い・安い・うまい・見た目がいい」みたいなことばっかり追求する時代じゃないよなぁって。未来を生きる子どもたちにちゃんとした「食」と「食の仕組み」を手渡せるように行動しなくちゃと思うようになったんです。
枝元:私は、食べることに対してラディカル(根源的)でいたかったんです。食べることの原点って、毎日見栄えのする料理をつくることじゃなくて、人を飢えさせないっていうこと。誰もが飢えずに食べられる仕組みづくりのひとつとして、夜のパン屋さんを思いつきました。
さまざまな格差がこれだけ広がっているなかで、そこに目を向けないまま、社会がこれまでのように右肩上がりの成長を続けていくのはもう難しいでしょって思います。急坂のような発展を続けるために、斜面をギリギリで登っていく人とずり落ちてしまう人に分かれるんじゃなくて、社会をフラットな輪っか状にすればいい。みんながぐるぐる循環するような仕組みに移行していくべき時期が来ている、と思うんです。
枝元:そうなんです! いちパン屋さんとしては超弱小もいいところなんだけど、これから本流になっていく仕組みだと鼻息荒く思っています。だって、1袋500円のパンを各250~300円で10袋買い取って、全部売り切っても5000円。売上の2500円をスタッフで分けたら、何も残りません。全然儲からない(苦笑)。でもこれだけ多くのメディアに取材をしていただけるのは、みんな心のどこかで“利益だけを追求するんじゃない、こんな仕組みがいまの世の中に必要だ”って思っているからかもしれませんよね。
ただ、いまのままではビジネスとして成立しないし、私も生活のためにもお給料をいただきたいから(笑)、やり方は改良していかなくちゃいけませんね。
だけど「いま良しとされている“効率的”な価値観」からずり落ちている感じが、最高で最強だなとも思うんです。効率が悪いからこそ、得られるものがあるんですよね。
「私たち、めんどくさいことやっているでしょー! でもねー、それが最強なのよー!」って胸を張ってるみたいな。
枝元:じわじわとお客様の認知が上がっていて、取り組みを説明しなくても「テレビで見たわよ」「知ってるよ」と、やさしいお声をかけていただけるようになりました。パン屋さんのいいところは、お互いに頭であれこれ難しく考えなくても「おいしそうね」「おいしいんですよ」という会話で、やわらかくつながっていけるところ。これは、食べ物が真ん中にあるからこその“温かさ”だと思います。
夜のパン屋さんでレスキューしたパンは、この2年間で6万個を超えました。数字で聞くと、案外大きな成果を出せているなとうれしくなります。だけど、それだけじゃない。関わる人たちがみんなお店を自分事ととらえ、いきいきと働いてくれるようにもなっていて……そういう言葉にならない価値にも明かりをともしていけることこそ、夜のパン屋さんの意義です。だから数字にとらわれすぎず、自分たちや周りのやさしい変化に目を向けていきたいと思っています。
「シェア」や「利他」の精神で、できることを一歩ずつ
※夜パンB&Bカフェ…毎月第二土曜日に開催し、カフェの他に、夜のパン屋さんやマルシェなども出店。“次に来る誰かの” 食事代などを先払いできる「お福わけ券」というしくみを用意するなど、金銭的に余裕がない人でも利用しやすいように工夫されているカフェ
枝元:きっかけは、夜のパン屋さんにシングルマザーのスタッフがいたことです。彼女は3人の子どもがいるから、夜働くのは難しい。そして、私たちがときどきポップアップカフェを開催している古民家は、彼女にとって通いやすい位置にある……だったら昼間、そこでお店をやったらいいんじゃないかと考えました。
夜のパン屋さんでは初期投資をかけないためにフードトラックを選んだけれど、カフェは私たちの取り組みに賛同してくださる企業がサポートしてくださって、実現にこぎつけたんです。
枝元:カフェは、誰でもゆったりとした時間を過ごしてもらえる空間です。パン屋さんでは買ってくださる方の接客が中心になってしまうけれど、カフェの縁側なら、どなたにでも座っていただける。ひらかれた空間だから、私自身も訪れるたびに「ここならずっといられる」「ずっといていい場所だ」と感じます。とっても素敵な場所なんですよ。
空間づくりへの想いは、「ビッグイシュー」で関わったイベント「大人食堂」などが原体験になっています。日払いの仕事がなくなって困っている方に食事を提供するのですが、あるとき厨房が本当に忙しく、お渡しするおにぎりを握る暇もないことがありました。でも、炊飯器をあけたら、もわんと立ちのぼった湯気の向こうにうれしそうなみんなの顔が見えて。おにぎりをつくるのが大変だったら、そうやって炊き立てのごはんをわかちあうだけでいいんですよね。食事をいっしょに楽しんだり、おしゃべりをしたり、ちょっとずつしかないおいしいものを分け合ったり、それでいい。そういう「シェア」や「利他」の精神が、夜パンB&Bカフェにもあるんです。
枝元:路上生活者支援に取り組む、つくろい東京ファンドさんが、「カフェ潮の路」でされていた仕組みに教わりました。お金や余裕があるかないかって時の運だから、なきゃないで仕方ない。だから、夜パンB&Bカフェはお金がなくても平気でいられる場にしたいと思っているのですが、やっぱり引け目を感じてしまう方が多いので、お福わけ券が活躍してくれます。凛とした佇まいで「お金はありません。この券でお願いします」と言ってきてくれるお客様を見たとき、まさに夜パンB&Bカフェではこういうことがやりたかったんだと、うれしくなりました。
枝元:私はビッグイシュー基金の共同代表ですが、与えられている役割は「考えすぎずに好き勝手言う係」だと思っています。だから、夜のパン屋さんをはじめるときにも「これはビジネスとして成り立つのか」「どう実現すればいいか」の具体的な部分はあまり考えていなかったし、だいたい見切り発車なんですね。でもこのままで、これからも困っている人の助けになるさまざまなことに取り組んでいきたい。活動をはじめてから何年も経つのに雇用や貧困、フードロスといった社会の課題は本当に解決に向かっているとはいいがたいけれど……それでも、ちょっとずつは変わっていると感じられるから、ネガティブにならないように。しぶとくいこうと思っています。
横浜市生まれ。劇団の役者兼料理主任、無国籍レストランのシェフなどを経て、料理研究家としてテレビや雑誌などで活躍を続ける。一方で、農業支援活動団体である「チームむかご」を立ち上げたり、NPO法人「ビッグイシュー基金」の共同代表を務め、雑誌「ビッグイシュー日本版」では連載も。2020年に「夜のパン屋さん」をスタートする。著書は、『捨てない未来 キッチンから、ゆるく、おいしく、フードロスを打ち返す』(朝日新聞出版)など多数。
取材・執筆:菅原 さくら
編集:山口 真央
写真:梶 礼哉