画像: 変わりたいのに、一歩が踏み出せない ジェーン・スー<第三回>

ジェーン・スー

1973年、東京生まれ東京育ちの日本人。作詞家/コラムニスト/ラジオパーソナリティ。TBSラジオ「ジェーン・スー 生活は踊る」、ポッドキャスト番組「ジェーン・スーと堀井美香の『OVER THE SUN』」「となりの雑談」のパーソナリティとして活躍中。『貴様いつまで女子でいるつもりだ問題』(幻冬舎)で第31回講談社エッセイ賞を受賞。著書に『おつかれ、今日の私。』(マガジンハウス)、『闘いの庭 咲く女 彼女がそこにいる理由』(文藝春秋)、『へこたれてなんかいられない』(中央公論新社)などがある


いまの自分が好きじゃない。変わりたい。ずっとそう思っているのに、何年もなにも変わらない。変わらないどころか、一歩も踏み出せないまま。だいたい、どこに向かって踏み出せばいいのかもわからない。

踏み出すとしても、私にうまくできるわけがない。変化した自分のぼんやりとした良いイメージはあるけれど、そこにたどり着くまでのシミュレーションは一度もできたことがない。うまくいっている自分なんて、しっくりこない気もする。なのに、つまずくイメージはいくらでも詳細に浮かぶ。うまくいった時に、身の丈に合ってないと笑われるイメージもハッキリできる。

たぶん、私が悪いんだろう。才能がないから。魅力がないから。がんばる力が備わっていないから。私にはそういう運や縁は巡ってこないと決まっているから。がんばってないわけではないし、自分なりにできることをやっているけれど、足りないのかもしれない。これじゃあダメなことだけはわかってる。

そもそも、いま自分が置かれた状況を考えたら、変化する余裕なんてない。新しいことを始める時間もないし、お金もない。私はこのままの私でいるしかない。変わりたいけど変われないのは、私のせいじゃない。

うん、気持ちはよくわかります。そういうふうに、どんどんネガティブになってしまう時は誰にでもあるもの。私にもありました。若い頃に何度も。そういう時、自分ではネガティブになっているつもりはありません。「現実的で冷静になっている」くらいの自認。起こってもいない未来のことを勝手に決めつけているのに、自分ではいたって客観的だと信じている。

このままでは嫌だと心底思っているのに、椅子から立ち上がることすらできないほど疲労困憊の夜があります。「そんなことないよ!やってみないとわからないじゃん!」と誰かに発破をかけられたところで、「やってみる」ができない自分に改めて向き合うハメになって落ち込む帰り道も。誰にでもあることです。

そして、ふと思う。ものすごく困っているわけでもないし、私にはこれくらいがちょうどいいのだろうと。高望みしないで、冒険しないで、安全第一がいちばん。このキャラで、このポジションでやっていけば、よいことは起こらないかもしれないけれど、ひどく悪いことも起こらないだろうし。なにか無茶をして失敗したら、いまの生活が乱れて取り返しのつかないことになる。それだけは絶対にイヤ。怖い。

でも、本当に私はずっとこのままなんだろうか……。この先、何年もずっと。自分のことをうっすら嫌いなままなのか。やっぱり、もっと自分のことを好きにならなきゃ。もっと変わりたいと強く願わなきゃ。行動しなきゃ。あれもしなくちゃ、これもしなくちゃ……。考えただけでどっと疲れが襲ってきます。

過去に一歩を踏み出したことがあるという人もいるでしょう。その時はあまりうまくいかなかった。嫌な記憶だけが残っています。あんな思いをするくらいなら、このままでいい。そう思ってしまうのは、致し方ありません。

世の中には楽観的な人がいます。よくよく観察してみると、なにごとも絶対にうまくいくと信じているわけではなさそう。どちらかと言えば「先のことだからわからないけど、まあなんとかなるっしょ」と思っているのです。この、「先のことだからわからない」を不安要素と捉えるか、五分五分の可能性と感じるかで行動に大きな違いが出ます。

確定していないものをすべて不安の箱に入れてしまうと、そこから動くことはできなくなります。なぜなら、一度不安と捉えたものがうまくいく想像などできないからです。不安=失敗の予感。将来のことを考えると不安で眠れないのは、そのせいです。

一方で、未確定なことは今から心配しても意味がないと考え、近い未来も将来もまるごと「未確定」の箱に仕分けできると、踏み出す一歩はとても軽くなります。決まっていないことを決めるために行動する、と考えられるからです。うまくいくかもしれないし、いかないかもしれない。前回は失敗したけれど、次はわからない。なぜなら、未来のことだから。

同じ失敗を繰り返さないための工夫は必要でしょう。万が一のための備えもあったほうが安心です。でも、変わりたいと強く願っているか、自分のことが好きかは、一歩踏み出すのにあまり関係ないのかもしれません。うまくいかなかったとしても、その先のことはやはり未確定の未来なので、どうなるかわからないとフラットに捉えられるか否か、が肝心。

真面目に将来に不安を抱える人にとっては、ある種の無責任論に聞こえるかもしれません。しかし改めて考えてみると、「どうなるかわからないから不安なのが未来」であれば、「どうにかなる可能性も完全には否定できないのが未来」と言えるのではないでしょうか。

怠慢すぎて一歩踏み出せない人は、おそらくそう多くはありません。怠慢の根っこを掘り起こしてみると、失敗を極度に恐れる虫や、自分を信じられない虫がびっしりとひっついている。そうなると、自分を愛そうとどれだけ水やりをしても、養分が根っこを伝って幹や葉までは届くことはありません。失敗はすればするほど自信がつくと私は信じていますが、失敗を極度に恐れた状態で「失敗を恐れないで」と言われても、「はい、そうですか」とはなり難い。だからこそ、「未来は未確定だから、うまくいかないとも限らない」と、自分に言い聞かせる必要がある。うまくいくかもしれないし、うまくいかないかもしれない。でも、それは今この瞬間には決まっていないのだと。

一歩を踏み出して失敗しても、命まではとられなかったとのちのち気づくでしょう。失敗したことではなく、命まではとられなかったことに意識を向けると、クレープ一枚分の自信がつきます。そうやって繰り返していくしかないと、なにごとも「なんとかなるっしょ」と思えるようになった今は考えています。

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