
ジェーン・スー
1973年、東京生まれ東京育ちの日本人。作詞家/コラムニスト/ラジオパーソナリティ。TBSラジオ「ジェーン・スー 生活は踊る」、ポッドキャスト番組「ジェーン・スーと堀井美香の『OVER THE SUN』」「となりの雑談」のパーソナリティとして活躍中。『貴様いつまで女子でいるつもりだ問題』(幻冬舎)で第31回講談社エッセイ賞を受賞。著書に『おつかれ、今日の私。』(マガジンハウス)、『闘いの庭 咲く女 彼女がそこにいる理由』(文藝春秋)、『へこたれてなんかいられない』(中央公論新社)などがある
ここ数年は、ラジオや執筆の仕事以外に全国各地で男女共同参画センターが主催する講演会に登壇しています。こういった機会でもないと縁がもてない場所で、リスナーや読者のみなさんにお会いできるのは、この上ない喜びです。
どこへ行っても最初に私がするのは、「自信がある」の定義を変えようという話です。「自分に自信が持てない」という人が多いからです。来場者のみなさんに、自信がある人とはどんな人物か? を尋ねると、たいてい「人前に出ても緊張しない人」「競争に負けないと思える人」「チャレンジに怖じ気づかない人」「他者の意見に振り回されない人」「リーダーシップがある人」などの答えが返ってきます。おっしゃる通りだと思います。でも、ちょっと考えてみて欲しいのです。そんな状態でいられる人は、どれほどいるのかと。
もし、自信がある状態をそう定義してしまったら、常に自信を持つのはかなり難題になります。だって、達成するにはかなりハードルの高いことばかりですから。人前に出ても緊張せず、競争心が強く、なんにでもチャレンジして、他人の意見には振り回されないリーダーなんて、圧倒はされますが仲良くなれなそう。なりたいかと言われたら、私は静かに首を横に振ります。超人過ぎて、こちらの小さな気持ちなんてわかってくれなそうですし。
にもかかわらず、自分に自信が持てないことを、誰もが欠点のように語ります。「自信をもって!」と人から発破を掛けられることもある。超人のようなスペックの持ち主にならないと、いけないのでしょうか。いやいや、そもそも「自信がある」の設定がおかしいのではなかろうか。
私は「自信がある」状態を、こう定義します。
毎日いろいろなことがあって、うまくいったり、いかなかったりするけれど、どちらにせよ私はまあまあ上出来な人間だと思える心持ち。
自信が持てない理由の多くは、失敗を自分に禁じているからだと思います。人前で緊張するのは、うまく振舞えなかったらどうしようと失敗を恐れるからです。本当はやってみたいのに新しいことにチャレンジできないのは、うまくやれる能力が自分にあると思えないから。つまり、うまくやれない=ダメな自分という設定。これも己に失敗を禁じているせいですね。他人の意見に振り回されるのは、自分の意見を信用できないから。なぜか、自分は間違った選択をするに違いないし、その結果取り返しのつかない迷惑を周囲に掛けると思い込んでいるのでしょう。
自信が持てない理由はすべて、絶対に失敗してはいけないと思っているから。失敗したら取り返しがつかなくなると思っているから。本当にそうでしょうか?
確かに、チャレンジしない限り失敗することはありません。しかし、成功することも絶対にありません。当たり前ですが、トライしない限り、失敗もしなければ成功もしない。よって、自信がつくこともない。自信って、成功したらつくものだと思われているから。むしろ、「なにもチャレンジできない自分」と自責すらしかねません。失敗もダメ、チャレンジしないのもダメ。そりゃ自信がもてるようになるわけがない。
仕事でもプライベートでも、私は意図せぬミスと思いあがった末の大失敗を結構やらかしてきました。十年以上前のことなのに、いまでも思い出した瞬間に肝が冷えるようなミスもいくつかあります。あー本当に申し訳なかったし、恥ずかしかったし、後ろめたい気持ちにもなりました。
それでも、私は今日も普通に生きている。恐らく、あなたもそうでしょう。今日もなんとか生きていられるなら、大丈夫ってこと。思い出して傷がジクジク疼くことはあっても、今日も生きていられるくらいまでは立ち直ったってこと。つまり、失敗をしても大丈夫なんです。それくらい図太く行きましょう。
失敗をしても大丈夫。皮肉なもので、やらかしたからこそたどり着けた自論です。成功ばかりしていたらそうは思えなかったでしょうし、チャレンジしなければ一生わからなかったことです。
失敗しても大丈夫な理由を、もう少し具体的に説明します。まず、鍵は失敗ではなく挽回にあること。たとえ100パーセントの挽回ができなかったとしても、失敗後の真摯な行動で、失った信頼を少しずつ取り戻すのは可能です。失敗しても、挽回できるチャンスは意外とあります。そこに手を出さないで怖気づいてしまうと、失敗地点から動けなくなってしまうのだけれど。
次に、自分にとっては大失敗だったとしても、他者からはそうは思われていない場合がままあること。いつまでも過去の失敗を嘲り笑うような人物が身近にいるならば、家族であれパートナーであれ距離を取って正解。そういう人は、自分に自信がないだけです。放っておきましょう。
最後に、できるだけやりきること。下準備もそうですし、突発的なチャレンジ案件にしてもそう。やりきった!という実感があれば、もっとこうしておけば……という後悔にもつながりにくい。失敗はしたが、後悔はない。そういう状態。
そんなことわかっちゃいるけど、でも失敗が怖いのよ!恥をかきたくないの!とおっしゃる人もいるでしょう。やりたくないことをやる必要はないけれど、胸の奥に少しでもトライしてみたい気持ちがあるなら、小さなことから練習してみるのはいかがでしょうか。たとえば、ランチで普段なら絶対に頼まないようなメニューを頼んでみる。美味しくなかったり、お腹いっぱいになってしまって午後の仕事に支障をきたしたりすることもあるでしょう。しかし、アレルギーを持つものを食べでもしない限り、命にかかわるようなことにはならないと、失敗したあとに実感できます。美味しくなかったならば、次回は別のものを頼めばよいし、眠くなってしまったらその場で(恥ずかしいならトイレの個室で!)スクワットをしたり、太るのが怖ければ帰りにウォーキングの時間を取り入れたり。失敗のあとに挽回のチャンスがすぐにやってくることが、小さなチャレンジのよいところです。本質的には、大きなチャレンジも同じです。
もっと自信を持ちたいなら、ガンガン失敗するのをお勧めします。考えナシに行動しろという話ではありません。よく考えた末にトライしたい気持ちが残っているなら、もしくは失敗を極端に恐れている自覚があるなら、小さなことからやってみる。大切なのは、失敗した事実だけにフォーカスしないで済むよう、すぐに挽回を試みることです。これをやらないと、「私はすぐに失敗する人」という厄介な自我が生まれてしまいますから。失敗を極端に恐れる人は、今日も普段通りに生きられているのに、わざわざ失敗したことに焦点を当てて記憶を固定させるきらいがあります。それ、あまりお勧めしません。
失敗したら、私は「やってしまった!反省だ!しかし、それでも今日も命はあるし、多分明日もやってくるだろう。大丈夫」と考えます。すると、毎日いろいろなことがあり、うまくいったり、いかなかったりするけれど、私はまあまあ上出来な人間だと思えるのです。