Children of Deaf Adults、略してCODA(コーダ)。それは耳が聴こえない、あるいは聴こえにくい親の元で育ちながら、自身は聴こえる人たちのことで、日本にはおよそ2万2000人のCODAがいるとされている。

そんなCODAの一人として、自身の生まれ育った環境を言葉で表現し、伝える人がいる。作家の五十嵐大さんだ。これまで記事や著書を通じて、CODAとして生きてきた過去や、家族に対する想いを文章に書き、見つめ直してきた。当事者たちが送る幸せな日常と、外でぶつけられる差別や偏見。そのはざまで、とめどなくあふれてくる葛藤。

だが、過去を振り返りながら語る五十嵐さんの表情は、晴れやかだった。書くことで向き合った幼い頃の自分の心の内、そして過去を見つめ直すことで見えてきた、苦しみの本当の原因――。過去を受け入れるとはどういうことなのか、五十嵐さんに聞く。


映画『ぼくが生きてる、ふたつの世界』が誕生した理由

画像: 映画『ぼくが生きてる、ふたつの世界』が誕生した理由
―この9月、五十嵐さん原作の映画『ぼくが生きてる、ふたつの世界』が公開されますね。おめでとうございます。今回の映画化を決めた理由から伺えますか?

五十嵐:ありがとうございます。最初に、映画化のご連絡をいただいたときは、率直に嬉しかったですね。

本を読む習慣がない人でも、映画が好きだったり、好きな俳優さんが出るからチェックしようという方はいっぱいいると思うんです。映像や役者さんの力を借りて、僕らの世界を知っていただく機会が生まれるので、映画化のお話をいただいたときはすごく嬉しかったのを覚えています。

―原作者としての不安のようなものはなかったですか?

五十嵐:「感動を売りにするような描かれ方をしたら嫌だな」という思いはありました。「障害者ってこんなに大変で、努力して頑張る姿が美しくて……勇気がもらえる」的な描かれ方だけは、勘弁してほしかった。

僕自身はそんなことを本に書いたつもりはないけど、原作通り映画化されるとも限らないし、題材的にそうなってしまってもおかしくない。最初は、そこに少し不安を感じていました。

ただ、プロデューサーをはじめ監督や脚本家の方々に初めてお会いしたときに、ろう者やCODAに対する向き合い方がすごく真摯だと感じて。お話をする中で、とりとめもないような話でも、一生懸命聞いて映画に活かそうという姿勢が伝わってきましたし、逆に制作側のみなさんのお話もお聞きして、形は違えどもそれぞれみんな、別のマイノリティな部分を抱えていることも知りました。

人に打ち明けづらい心の痛みを感じてきた方々なら、共感できる部分も多いはず。そんなところに勝手に仲間意識を感じて、「この方々なら大丈夫だな」と思って、正式にお願いすることを決めました。

―今回はご両親の役を、実際のろう俳優の方が演じられています。当事者起用は、五十嵐さんからのリクエストだったのでしょうか?

五十嵐:事前打ち合わせの際に、「リクエストはありますか?」と聞かれたので、「制作の現場で、何らかの形で当事者が関われるようにしてほしい」というお願いをしました。

それはキャスティングかもしれないし、手話監修や映像確認かもしれない。その時点では、どんな形かまでは想像できていませんでしたが、とにかく「当事者不在の状態で制作を進めるのは嫌だ」という話をしたんです。それに監督や皆さんが賛同してださって、結果的に両親を演じる役者に、ろう俳優を起用することになりました。

とくに母役の忍足亜希子さんは映画『黄泉がえり』で拝見して、初めてろう俳優という存在を知るきっかけになった方。心の中では「忍足さんに母役をやってほしい」と願っていましたが、「キャスティングには口出ししない」と決めていたので、配役を聞いたときは驚きましたし、感激しました。

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