「学校の先生」――そう呼ばれる人に、日本人ならば誰もが一度はお世話になったことがあるだろう。国語、数学といった専門の教科を教えるだけではなく、担任教師として、部活動顧問として、生活指導担当として……多くの役割を担い生徒たちと関わりを持つのが「教師」という職業である。それゆえに教師は生徒にとって「親」「親族」以外で最も身近な大人と言えるのかもしれない。

「――だから僕は、教師を辞めました」

現在プルデンシャル生命のライフプランナーとして働く宮原一徹さんは言った。学ぶことの大切さを説く宮原さんが学び舎を離れた理由は何なのか。そしてライフプランナーとなった今「生徒達に伝えたいこと」とは――。



母がくれた「学ぶことが当たり前」な環境

画像: 母がくれた「学ぶことが当たり前」な環境

「先ほど、苦しい生活を強いられている生徒たちの話をしましたが、実は僕もシングルマザーに育てられたんですよ」

宮原さんがふと切り出した。

宮原さんの母は離婚後、努力の末に看護師になった。3交代制のシフト勤務で、家にいる時間帯は常にバラバラだったという。その代わり、祖母が母親代わりとなって宮原さんをかわいがってくれたそうだ。

「祖母も働いていましたが、僕が学校から帰るころには家にいてくれた。それが僕はうれしかったし、愛情を感じていました。母は『母子家庭だから』という理由で歩む道が狭くならないように、国立の小学校を受験させてくれました。おかげで僕自身も勉強することが当たり前だと思って育ちましたね。高校と大学は私立に進学しましたが、学費を工面してくれたことにも感謝しています。教師になり、特に公立高校での勤務を経験してからは、自分がいかに恵まれた環境で育ったのかが分かりました」

2人とも僕を愛してくれた、と話す宮原さん。その最愛の祖母は、宮原さんが25歳のときに亡くなっている。

「祖母が亡くなった時は人生で一番泣きました。そこに居てくれるのが当たり前の人がいなくなることの辛さを、そこで知りました」


プロとして生きるために “学び続ける”ことの大切さ

画像: プロとして生きるために “学び続ける”ことの大切さ

母が与えてくれた環境で「勉強するくせがついた」という宮原さん。生徒たちに「学び」の大切さを説くだけではなく、自らも意識して学び続けている。

「僕が学ぶ理由も、生徒たちに伝えている『判断力をつける』ことにつながっていると思います。その上で、僕はいま生命保険のプロ、金融のプロとして仕事をしてお金をいただいている。プロなら、その道の勉強は常にすべきだと思うんです」

そんな宮原さんにとって、奥さまが心強い味方であるという。奥さまは現在、大学院でジェンダーに関する研究をしているそうだ。

「一番身近に、学び続けている人がいるというのが心強いし、素直に彼女を尊敬しています。それに、妻からは僕や世間が知らず知らずのうちに存在させてしまっている男女の意識の差にも気づかされている。彼女との会話から学べることは、本当に多くありますね。今の仕事でお客さまの奥さまや女性のお客さまとちゃんとそういった意識を持ってお話ししたり、プランニングできるのは妻のおかげです」。そう言って宮原さんは微笑んだ。


宮原さんの「My Rules」

画像: 宮原さんの「My Rules」

教えること。そして学ぶこと。その根幹にある「自分は愛されていた」という記憶。宮原さんは自分の軸をぶらさずに、ライフプランナーとして生きている。そんな宮原さんの「My Rules」を聞いた。


働くことを目的にしない

「仕事の面では、『働くことを目的にしないこと』を大切にしています。僕にとっては、妻や愛犬や自分が関わる人たちと幸せに生きていくための手段が仕事です。それを忘れないようにしたい。だからプライベートを最優先にしますが、そうするためにはまず結果を残さなければいけない。結果が出せないままプライベートを優先するのは、プロとして違うと思うから」


かつての教え子に胸を張れる自分でいる

「かつての生徒に『先生、いま何して稼いでるの?』と聞かれたときに、堂々と説明できる仕事をしたいと思っています。だから『お付き合い』でご契約をいただくことはしません。お客さまとの出会いは会食やゴルフだったとしても、いざライフプランナーとして向かい合う場面では、計算や根拠に基づいた適切なご提案をして、納得していただいた上でご契約をお預かりします」

「金融商品を取り扱うにふさわしい知識を付ける。これが大前提ですから、僕も常に勉強して知識をアップデートし続けていますし、ライフプランナーの後輩たちにもそうするようにと伝えていますね」


『金融から教育に携わる』が広まった世界は――

画像1: 『金融から教育に携わる』が広まった世界は――

「僕は、ずっとこの会社にいるって決めているんです」。

最後に宮原さんに「今の夢」を聞いたときに出てきた言葉だ。

「僕は大変な思いをしている家庭のコンサルティングがしたくて転職しました。ライフプランナーになってから実際そういったご家庭をたくさん担当して、保険以外にも、教育に関することはもちろん、大きな出費をするときなども一緒にお金のことを考えさせていただきました。でも、そうしてひとつのご家庭にしっかりと向き合うほど、どうしても時間が足りなくなってしまう。だから今は、同じ志を持つ仲間を増やしたいと思って、会社の研修会で後輩に向けて想いを伝えたり、後輩と一緒に商談に行ったりしています」

「僕は金融の知識と生命保険の力を借りて、たくさんのお客さまと一緒に歩いていくことができます。教師だったあの時、自分の手ではどうにもできない現実ととことん向き合ったからこそ、今の自分にできることの幅の広さに驚き、もっと広げていきたいと思っているんです」

「僕のように『お付き合い』抜きの人間でも、いい仕事をしていればお客さまも仲間も会社も認めてくれる。そんな生き方を広めたいから、僕はライフプランナーとしてもっと上を目指そうと思えるんです」

教壇から金融業界へ飛び込んだ教師が、改めて『金融から教育に携わる』。生徒に学ぶことの大切さを伝え続ける宮原さんだからこそ、自らが学びをやめることはないのだろう。

画像2: 『金融から教育に携わる』が広まった世界は――

インタビュー:山口 真央
写真:梶 礼哉

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