医療系のドラマや映画でたびたび取り上げられる「救命救急」の世界。常に素早く、適確な医療処置が求められる過酷な現場は、“戦場”とも呼べるのかもしれない。そしてその戦場での戦いは、テレビの中の物語ではなく今も現実に繰り広げられている。
プルデンシャル生命のライフプランナーである佐野水紀さんは、都内の大学病院の「高度救命救急センター」で、看護師として働いていた過去を持つ。
「毎日がテレビドラマの『コードブルー』の世界。救えなかった命も数えきれないほど目にしました。でも、救える命をできる限り救いたい。看護師としてやりがいも責任感も持っていました」
そう語る佐野さんは、なぜライフプランナーという第二の道を選んだのか。そして、彼女が「ライフプランナーとして覚悟を持つことができた」と語る、忘れられない出来事とは――。
後編:初めての“保険金支払い”の経験。叔母と交わした約束(←今回の記事はココ!)
「みず、頼むね」。亡くなった叔母の言葉が覚悟を持たせてくれた
佐野さんの話を聞いていて、思うことがあった。「看護師を辞める」という決断についてだ。ただでさえ人材不足が叫ばれる医療業界にあって、佐野さんは後輩の教育係や、ホットライン※の担当も任されるほど、周りからの信頼も厚かった。
※救急車から病院への収容依頼の連絡のこと。 現在の病床状況を常に把握しておく必要があり、ベテラン看護師や医師が担当することが多い。
「私が前職に退職を願い出たのは、“コロナ禍”でした。現場は混乱し、いつも以上に人手が不足していましたから、退職することについて苦言を呈されたこともあります。私自身、とても心苦しかった。それでも、新しい道を選択した私を応援してくれた方、のちにお客さまになってくださった方もいます。心から感謝してます。だからこそ、私はライフプランナーを簡単に辞めるわけにはいかないんです」
佐野さんはそういって決意に満ちた表情を見せてくれた。
ライフプランナーとして第二の人生を歩み始めた佐野さんは、元看護師としての知見も活かして、お客さまのちょっとした健康相談に乗ることも多いという。
「お客さまもとても喜んでくださるんです。看護師としての知識を活かして、自分にしかできない活動ができているのかなと嬉しくなりますね」
そんな強みのほかにもうひとつ、佐野さんは心に決めていることがある。それは「大切な人にこそ、きちんと保険の話をする」ということ。
「去年、私の叔母が心筋梗塞で突然亡くなりました。まだ50歳で、化粧品の事業をやっていたので、まだまだこれからという時でした。叔母は私のお客さまでもありましたから、訃報を聞き、気持ちの整理がつかないまま柴さんに連絡して、初めての保険金支払いの手続きを進めました」
柴さんは、その時のことを「泣きながら電話をかけてきたときには、なにがあったのかと心配しました。でも、身内を突然亡くすという辛い状況のなか、『ライフプランナーである自分にできることはなにか』をまっすぐ考える佐野の姿勢には、胸打たれるものがありましたね」と振り返る。
ライフプランナーとして最も大切な仕事は、保険に加入いただくことではない。お客さまが亡くなられたとき、残されたご家族に“故人の想い”とともに保険金をお届けすることが使命だ。
「叔母は自営業だったので、『退職金の代わりにするわ』と私が提案した保険に加入してくれました。生前の叔母に、“万が一”に備えた保障のあるプランを提案したとき『これがあれば、私になにかあったとき子どもたちは大丈夫ね。みず、頼むね』って言われていたんです」
「最初は、叔母に保険の話を聞いてもらうのにためらいがありました。看護師を辞めることについて心配してくれていたからです。お金の話だから、少し言いにくいなと思う気持ちもありました。でも、ちゃんと話をして保険に入ってもらっていたから、叔母の子ども……つまり私のいとこたちに、“保険金”という形で『叔母の気持ち』を伝えることができた。言いにくいからといって、話さないまま万が一のことが起きてしまったら一生後悔したと思います。だから、大切な人にこそちゃんと保険の話をしなくちゃいけない。叔母がライフプランナーとしての覚悟を持つ大切さを教えてくれたんです」
佐野さんの「My Rules」
佐野さんはもうすぐ入社して丸2年。ライフプランナーとしての仕事を確立させるため、多くの新人ライフプランナーが「最初の2年間はがむしゃらに活動した」と話すなか、佐野さんは「私は結構マイペースに楽しんでやってきたと思う」と話す。そんな佐野さんに「My Rules」を聞いてみた。
「長い時間働く」ことがいいわけじゃない。メリハリを大切にする
「ライフプランナーは働く時間を自分で決められるのが魅力です。新人ライフプランナーとして活動量にはこだわってきましたが、だからといって働きづめになるのは無理だなって」
「だから、『自分がツラくなるまで自分を追い込まない』と決めています。コンディションが悪いとお客さまへの対応がおろそかになってしまうし、まずは自分の体調を整えるためにしっかり寝た方がいい。私、とにかく寝るのが好きなんですよね。元気になれるじゃないですか(笑)」
自分へのご褒美を欠かさない
「旅行が大好きなので、仕事と絡めることもありますが、月に1度はどこかに行きます。私にとってはその時間がとても大切で、それがあるから頑張れるんです。『ここまで頑張ったらご褒美の旅行があるぞ!』とモチベーションを保てる環境づくりをしています」
他にも佐野さんには大好きなものがある。
「私、とにかくおいしいものを食べることが好きなんですが、お酒も大好きなんです。特に日本酒には目がなくて、行きつけのお店もありますよ。『私、今日も頑張った!』って、毎日の自分への小さなご褒美です」
お客さまが65歳になったとき、「ありがとう」と言われる仕事を
佐野さんに、「ライフプランナーになってよかった」と感じることを聞くと、こんな答えが返ってきた。
「看護師のときは、せっかく救えた目の前の方の人生に寄り添えないことが残念でした。一般病棟に移ってしまうし、まして退院後の人生は私たちが知る由もありません。でも、ライフプランナーはお客さまの人生に、最期まで寄り添うことができる。大好きなお客さまと人生を歩んでいけるなんて、こんなにうれしいことはありません」
さらに、「救命救急の看護師時代があったからこそ今の私がいる」と佐野さんは言う。
「私にとってライフプランナーという仕事は、『人の命に向き合う、人に寄り添っていく』という意味で、看護師の延長線上にあるものなんです」
人の何倍も多く、命の重みを、そして儚さを感じてきたのだろう。佐野さんが繰り返す「人に寄り添う」という言葉には、これまで寄り添いきれなかった人への想いが込められているのだ。
「生命保険のお支払いは65歳で満了を迎えるものが多いです。私は、お支払いを終えたお客さまから『今までありがとう、これからもよろしくね』と言われるようなライフプランナーになりたい。今29歳ですから、遠い未来のことのように聞こえるかもしれません。でも、ライフプランナーとしての目標なんです」
看護師として命の尊さを学び、恩人からライフプランナーという選択肢をもらった。
佐野さんはこれからも、亡くなった叔母の言葉と自分を信じてくれたお客さまへの感謝の気持ちを胸に、遠い未来に向かって歩んでいく。
インタビュー・執筆:山口 真央
写真:梶 礼哉