「農ライフ」という言葉をご存じだろうか。自分の生活の一部に“農”を取り入れ、暮らしていく――。そんな“農”との新しい関わり方が、今若い世代を中心に注目を集めている。

今回お話を伺ったのは、アパレルブランド代表、タレント業、プロデュース業、そして農ライフと活動の幅を広げている武藤千春さん。東京生まれ東京育ちの武藤さんは、2014年までダンス&ボーカルグループに所属していた過去を持つ。芸能界という輝かしい世界から一歩離れ、現在は長野県小諸市にも拠点を置き、東京との二拠点生活を送っている。

「自分らしく生きるために、誰かの“ものさし”って意識する必要ないと思うんです」――。そう語る武藤さんが「二拠点生活」で見つけた自分らしさとは?


自分にとって「肩書き」は必要なくなった

画像: ▲まだ時折霜が降りる時期に、小諸市の武藤さんの畑にて撮影。野菜ごとに区画し、しっかりと耕された土壌は、種や苗を植える時期に備えて養分をたっぷりと蓄えている。初夏には、30種類ほどの野菜が実るそう。

▲まだ時折霜が降りる時期に、小諸市の武藤さんの畑にて撮影。野菜ごとに区画し、しっかりと耕された土壌は、種や苗を植える時期に備えて養分をたっぷりと蓄えている。初夏には、30種類ほどの野菜が実るそう。

――小諸で新しい発見もたくさんあると思うのですが、東京との往復をしていると「生活のギャップ」のようなものは感じないのでしょうか?

武藤:ほとんどないですね。意外と変わらないなって。見ている景色とか関わる人が違うくらいで田舎だからどうとか、都会だからどうとかはないです。私にとって東京と小諸は「サウナと水風呂」みたいな感じ。どちらが欠けていてもダメで、今はこの二拠点で暮らすことでバランスがとれている気がします。

東京で生まれ育ち、今も東京で働いてるからこその視点を小諸に持ち帰ることができますし、小諸の人や自然と触れ合うことで、東京の方に新鮮と感じてもらえるような発信ができたりもする。最近は長野の方から「千春ちゃんの話を聞いて、夢を追いかけたくなった」と言ってもらえたこともあります。

――「夢を追いかける」と聞くと、なんとなく「上京」というワードが浮かんできそうなものですが、武藤さんのように小諸で新しいことにチャレンジする方は多いのでしょうか?

武藤:そうなんです。小諸には、自分のやりたいことや「好き」を大切にして働いてらっしゃる方がすごく多いと感じます。いい意味で「偏愛」に溢れているんです。私実は、そういう「好き」を突き詰めることって、東京に行かないとできないって思っていたんですよ。

でもそうじゃなかった。若い世代も新しい感性で自分の「好き」に向き合って、色んなことに挑戦している。ワインでも果物でもお米でも、自分にしか造れないものを作って、小諸から日本中、世界中に自分の「偏愛」を発信している人もいます。夢を追いかけたり、「好き」を突き詰めるのに地域なんて関係ないんだなって、私も大きな刺激をもらいました。

そういった方々と交流する機会をたくさんいただけるようになって気づいたのは、小諸の人って「肩書きとか、過去を気にしないんだな」ということです。ビジネスのシーンでは、名刺を渡して、「私はこんな肩書きで、こんなことをしてきました」という話から始まりませんか? でも小諸では「今なにに興味があるんですか?」って聞かれます。

初めてこれを聞かれたとき、正直ハッとしました。「ここでは私が今やりたいことを聞いてもらえるんだ」「肩書きって関係ないんだ」って。そんな考え方を持てたのは、二拠点生活をしているからこそですよね。東京で「肩書きのある生活」をしてきたからこそ気づけたことだと思います。

――小諸では農ライフ、東京では音楽・アパレル……いまの武藤さんに「肩書き」を付けるのは難しいですね。

武藤:最近はメディアの方に「肩書きは何にしますか?」と聞かれたときに「お任せします」と伝えています。それくらい、私にとって肩書きは重要じゃない存在になりました。だって今、私の暮らしのなかでやりたいことをやっているだけだから。

アパレルも、野菜も、本当に自分が作りたいものだけを作っています。「届けている」とはいってもまだまだごく一部の範囲ですし、それで大きなお金を稼いでいるわけでもありません。音楽に関しても、10代の時はお仕事でやってました。けど今は、自分が作りたいときに曲を作って、世に出す。半分趣味って言ったらそうなのかもしれませんが、音楽そのものが自分の暮らしの中から生まれてくるものなんです。


心動くときに飛びかかれる心の余裕をもち、「自分のものさし」で進んでいく

画像1: 心動くときに飛びかかれる心の余裕をもち、「自分のものさし」で進んでいく
――武藤さんのお話を聞いていて、とても軸のある、まっすぐな方なのだなと思いました。

武藤:軸があるというか、頑固すぎるんだと思います(笑)。昔からそうですが、絶対自分の心が動いたことしかやりたくないし、他人に選択を委ねない。100人が良いと感じたものでも、私が体験したら楽しくないと思う可能性もありますよね。その逆もいえる。だから、どんな小さな選択でも、必ず自分のものさしで決めるようにしています。

――「自分のものさし」ですか。

武藤:例えば、すごくお金をいただける仕事のご相談をいただいても、自分が嫌だと思ったらお断りします。ネガティブな気持ちを持ったまま仕事をお受けすること自体が、そこで関わる人に対して失礼だと思うんです。だから「これはちょっと自分の興味とは別軸なのでお受けできませんが、こういうお仕事はとても興味あります!ぜひ振ってください!」って素直に言っちゃいますね。そうするとお相手も「こういう仕事ならきっと一緒に楽しく仕事をしてくれるに違いない!」と私にお仕事を振ってくれるじゃないですか。

――今武藤さんの周りには、「やりたいこと」「興味のあること」が溢れているんですね。武藤さん自身のワクワクが伝わってきます。

武藤:だって数年前はまさか自分が畑やるなんて思っていなかったですもん。正直、「土に触ったら手が汚れるから嫌だ」とか思っていたのに、今はこんなにハマっちゃってて……(笑)

でも、こうして自分のやりたいこととか、心動いたものに対してすぐ飛びかかれるような、心の余裕とか、時間とか、経済的余裕とか……そういうものを常に作っておきたいなって思っています。それは私が何歳になっても、ライフステージが変わって、例えば結婚して子どもができても、常にそんな自分の環境を用意しておきたいなって思っています。

――自分の好きなことに対してとことんまっすぐな武藤さんですが、今後やってみたいことや取り組んでみたいことはありますか?

武藤:最近、専門学校やスクールに呼んでいただいて、学生相手に講演や授業をさせていただく機会が増えました。そこで気づいたのは、正解が1個しかないと思っている子が多いということです。「専門学校に行かないと音楽家やクリエイターにはなれない」「スクールに通わないと芸能界には入れない」みたいに。いうなれば教科書通りの路線というか。

けれど、私みたいに音楽から始まって、今では野菜を作りながら曲も作っている……そんな生き方って、教科書には載っていない生き方ですよね。でも自分が心地よくて、「暮らし」と「楽しい」が両立できているんだから、この生活は間違いではありません。自分にとっての正解って自分で作っていくものだから、誰かの真似をする必要はないんですよね。

こんな話をもっと発信していきたいです。今、未来への夢を見ている次の世代に、もっと選択肢を増やしたい。だからそういった自分らしい生き方や働き方を、もっと伝えていく活動をしたいと思っています。

――自分らしい生き方や働き方を発信する。難しくも、未来につながることだと思います。

武藤:私自身は、将来こうなりたいとか、夢とか目標とかがあまりないんですよね。そのときの自分の心としっかり向き合って、そこに寄り添っていく。もしかしたら、3年後、5年後は全然違うことを言ってるかもしれないし、違う場所にいるかもしれない。

自分らしく、心向くままに進んでいきたいんです。ちゃんと自分のものさしを持って、気持ちを大事にしてくことが、自分らしい生き方につながっていくんだろうなと思います。

画像2: 心動くときに飛びかかれる心の余裕をもち、「自分のものさし」で進んでいく

画像: <後編>「自分のものさしで進んでいきたい」。“農ライフ”で見えてきた、武藤千春さんの「心に正直な生き方」

武藤千春(むとうちはる)
1995 年生まれ。東京都出身。2011 ~ 2014 年、アーティストとして活動。2015 年よりユニセックスストリートブランド「BLIXZY( ブライジー )」のトータルプロデュースを行い、 企画・デザイン・PR・モデルなどをマルチに行う。現在は東京と長野県小諸市での二拠点生活を送りながら、畑で野菜などの栽培に取り組む。2021 年に農ライフブランド「ASAMAYA」を立ち上げ、 翌年には小諸市農ライフアンバサダーに就任。2022 年からは "CHIHARU" 名義でのアーティスト活動もスタートした。

取材・執筆:久保田まゆ香
編集:山口真央(ヒャクマンボルト)
写真:梶 礼哉(studio.ONELIFE)

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