「農ライフ」という言葉をご存じだろうか。自分の生活の一部に“農”を取り入れ、暮らしていく――。そんな“農”との新しい関わり方が、今若い世代を中心に注目を集めている。
今回お話を伺ったのは、アパレルブランド代表、タレント業、プロデュース業、そして農ライフと活動の幅を広げている武藤千春さん。東京生まれ東京育ちの武藤さんは、2014年までダンス&ボーカルグループに所属していた過去を持つ。芸能界という輝かしい世界から一歩離れ、現在は長野県小諸市にも拠点を置き、東京との二拠点生活を送っている。
「自分らしく生きるために、誰かの“ものさし”って意識する必要ないと思うんです」――。そう語る武藤さんが「二拠点生活」で見つけた自分らしさとは?
なにかひとつを極めることも素晴らしいけれど、私は今「横幅」を広げたい
武藤:とにかく幼少期から歌って踊るのが好きでした。ありがたいことに、16歳でダンス&ボーカルグループに所属し、アーティスト活動をスタート。毎日のようにレッスンとお仕事を往復する日々でした。紅白歌合戦への出場や武道館、東京ドームでの公演も経験して、順風満帆のように見える芸能生活でしたが、当時は多感な10代の時期。「普通の高校生・大学生のような生活」にあこがれたこともありましたね。
あるとき、ふと「音楽から離れたとき、自分にはなにが残るんだろう」って考えたことがあって。歌やダンスをこれから先50歳、60歳と年を重ねてもずっと続けられるとは限らない。ひとつのことを極めて縦幅を伸ばすのも素晴らしいことだけど、1回きりの人生なので、もっと横幅を広げていきたいと思ってグループを卒業しました。それからはアパレルブランドを立ち上げたり、ラジオパーソナリティを務めたりと活動しています。
武藤:芸能界で活動していると、様々な分野の第一線で活躍する方と出会う機会がたくさんあります。それは表に立つ方だけでなく、裏方や制作の方もそう。10代でそんなプロフェッショナルな方々と一緒に仕事ができるなんて、なかなかないことだと思います。
自分の知らなかった職業もたくさんあったし、意外な部分に大きな労力やコストがかかっているんだなあと。プロの方がカンタンそうにこなしている作業がとてつもなく大変なことだったりするんですよね。
もちろんスポットライトを浴びて、たくさんのファンの方々に囲まれるのは幸せでしたし、とても楽しかった。でもゼロからアイデアを出して作り上げて、それを形にするということの楽しさに気づかせてもらったことで、自分の知らない世界にも興味がわいてきました。
武藤:きっかけは祖母の移住支援でした。曾祖母が長野県の出身だったので、祖母は「いつか長野県で暮らしたい」と話していました。その想いを叶えたいなと。小諸市は市全体で「コンパクトシティ」を掲げていて、病院や市役所、スーパーといった生活に必要な施設が駅周辺にぎゅっと固まっている。とても住みやすい街だと聞いて興味を持ちました。祖母の付き添いで家探しや街を見ていくうちに、今後祖母の足腰が悪くなったりしても、これなら住みやすそうだなと。
だから、最初は私もこっちに住むなんてまったく思っていなかったんです。私は東京で育ったので、小学生のときから竹下通りのカラオケとかで遊んでいました。友人が「夏休みは田舎に行ってセミ採りするんだ」とか言っているのを聞くと、そういう場所があるのかと少し遠い世界のように感じるくらいで。
でも実際に小諸に来てみたら、新幹線で東京から約1時間半の距離。長野県は豪雪地帯で、毎年冬は大変で……なんて思っていたのですが、ここはそういうわけでもない。祖母もいるし、私も週に2、3日こっちで過ごそうかなと思うようになり、小諸にも拠点を作りました。
武藤:全然。東京にも自分の家はあるわけですから、やってみて合わなかったら辞めればいいやって思っていました。「移住」じゃなくて「二拠点生活」ですから、たぶん移住よりもハードルが低いんです。こうして小諸での生活が始まって、ここからどんどん小諸に根をはっていくことになるんですが(笑)
野菜作りが小諸と自分を結び付けてくれた
武藤:二拠点生活を始めて「さあ楽しむぞ!」と思っていた矢先、コロナ禍に突入してしまったんです。小諸には祖母もいるので、なるべく都市部との往来は控えようと思い、基本的に小諸で過ごすようになりました。
コロナ禍になってすぐ、仕事はほとんどリモートでできるようになったので、ずっと小諸にいても問題はなかったのですが……。小諸の企業で働いてるわけでもないし、コミュニティに属しているわけでもなかったので、友達がまったくできなかったんです。当時はとにかくヒマでヒマで(笑)
で、「やったことないけど、野菜でも作ってみようかな」って。最初は20坪くらいの小さい畑をお借りして、家庭菜園の気持ちで作り始めました。
今もあまり変わりませんが、当初から“農業”をやっているっていう気持ちはなくて。「自分の食べるものを作ってみよう」とか、「土に種まいたらほんとに芽が出てくるのかな?」って。なんの知識もなくてよくわからないけれど、YouTubeを見ながら数種類の野菜の種と苗を植えてみたんです。
そしたら、本当に芽が出た。私はほとんどなにもしていないのに、スーパーに並んでいるような“あの野菜”がなった。しかも、採れたての野菜ってびっくりするほどおいしい。それからはもう夢中になってしまって、畑を広げたり、野菜の種類を増やしたりして、のめりこんじゃいました。
武藤:これはもう、無知だからこそできたことかもしれません(笑)。例えばトマトの苗を1つ植えたら、どのくらいの量が採れるのかなんてまったくわからなかった。だからテキトーに植えてたら、自分じゃ消費しきれないくらいボコボコと育ってくれちゃったんです。正直、「これどうすればいいの」って思いました。
でも捨てるのは心が痛む……。だから売れるのかはわからないけれど、野菜をいくつかセットにしてネット販売をしてみました。そしたら、私が音楽活動をしていた時のファンのみなさんが買ってくださるようになって。今まで音楽を通じて応援してくれていた方々が、今度は野菜を通じて応援してくれている。「顔が見える相手から野菜を買う経験が初めてで、すごい新鮮!」という声までいただきました。
そんな声もあって、私自身もYouTubeやSNSで畑仕事を発信してみようかなと思うようになりました。畑仕事に興味を持ってもらえたら嬉しいなって。だんだん「千春ちゃんがこうやって育てた野菜を食べることで、楽しみが増えた!」って言ってくださる方が増えてきて……。そんなうれしいことを言ってくださる方に対し、私ももっと野菜を届けたいと思って、農ライフをもっと充実させる……。いいサイクルですよね(笑)
そうやって野菜を作っていたら、自然と小諸の人とのつながりも増えていったんです。
武藤:そう、はじめは近くの畑のおじいちゃんたち。「なに作ってるんだい?」って畑を覗きに来てくれました。私は本当にド素人ですから、あの野菜の種は何月に植えるべき、だなんてこと全く知らないんですよ。季節に合わない種を植えている私をみて、おじいちゃんたちだって「こんな時期にアレ植えてどうするんだ?」とヤキモキしていたと思います(笑)。でもおじいちゃんたちは何も言わず、そっと見守ってくれました。「やってみたらいい」って。そのうち、「あの野菜、春に植えてみたけど実が生ったよ」「そうかい、そりゃびっくりだ!」なんて会話もするようになりましたね。
そのうち、メディアに出演したときの「小諸で野菜を作っているんですが……」という発言を小諸市役所の方が見ていてくださって、連絡をくれました。その後、「武藤さん、こんな人とも会ってみませんか」とたくさん地元の方を紹介してくれるようになって。野菜が人とのつながりを作ってくれたんだと思います。
武藤:小諸は本当に人があたたかい。おじいちゃんたちや市役所の方もそうですが、みんな私のことを「外からきた人」じゃなくて、「今小諸で暮らしている人」として見てくれている。すごくうれしかったのが、地域の70代のおじいちゃんの言葉。「ウチだって、400年くらい前に小諸に来た移住者だよ」って、私のことを受け入れてくれたんです。地域に昔から住んでいるおじいちゃんおばあちゃんたちがそう言ってくれる。めちゃくちゃうれしいですよね。
武藤千春(むとうちはる)
1995 年生まれ。東京都出身。2011 ~ 2014 年、アーティストとして活動。2015 年よりユニセックスストリートブランド「BLIXZY( ブライジー )」のトータルプロデュースを行い、 企画・デザイン・PR・モデルなどをマルチに行う。現在は東京と長野県小諸市での二拠点生活を送りながら、畑で野菜などの栽培に取り組む。2021 年に農ライフブランド「ASAMAYA」を立ち上げ、 翌年には小諸市農ライフアンバサダーに就任。2022 年からは"CHIHARU" 名義でのアーティスト活動もスタートした。
取材・執筆:久保田まゆ香
編集:山口真央(ヒャクマンボルト)
写真:梶 礼哉(studio.ONELIFE)