数多くのバラエティ番組を手がけてきた、放送作家の鈴木おさむさん。この日は、ラジオパーソナリティの仕事を終えて取材場所へ。今や放送作家という枠を超え、ジャンルレスに活躍している。
私生活では、森三中の大島美幸さんと交際0日で結婚、夫婦二人三脚で妊活に励み、2015年に待望の第一子・笑福(えふ)くんが誕生する。家庭を持つことに「全く興味がなかった」と語る鈴木さんだが、「男性不妊」や「父勉(育休)」など、今まで男性が語りにくかった現実を積極的に発信してきた。仕事一筋だった鈴木さんが「結婚」「育児」を経験して、変わったこと、変わらなかったこと。紆余曲折を経てたどり着いた、自分らしい働き方とは。
「交際0日婚」の裏にあった「リスペクト」
鈴木:僕は元々、結婚なんて全然興味なかったんです。当時はバラエティ番組の放送作家としてとても忙しくて、女性と付き合っては2年で別れていました。その連続だったので、自分に結婚なんて向いてないなってずっと思ってて。
それまで仕事一筋でやってきたのに、29歳の時に初めて担当した連続ドラマで、今までやってきたことが通用しなかったんです。放送作家になって10年経っていたんですけど、その自信まで喪失してしまう感じ。このままバラエティの世界にも戻れない……なんて落ち込んで。そこで、舞台をやろうと思ったんですね。自分の作・演出の舞台でウケれば、自分の作ったものがおもしろいということじゃないですか。
その時に出会った芸人さんとは飲み友達になり、その流れで大島さんと出会いました。大島さんにはずっと会ってみたかったんです。すごく才能がある人が出てきたなって思っていて、会ってみたら、イメージ通りの人でした。不思議なんですけど、その瞬間に、この人と結婚したらどうなるんだろうって思った。
鈴木:むしろ、結婚に興味がなかったからそんなことを思ったんでしょうね。お酒がまわったノリで「結婚しよう」って言ったら、向こうも「いいっすよ」って。
そんなことを2か月ぐらい繰り返してたら、(森三中の)黒沢と村上に「大島さんをバカにしてるんですか?」って怒られたんですよ。それで、うわっと悔しくなって、売り言葉に買い言葉みたいな感じで、ほんとに結婚することになりました。
今付き合いのある若い芸人たちはこの話を知らない世代も出てきましたね。「交際0日婚なんだよ」って言うと「どういうことですか!?」って(笑)。霜降り明星のせいやのことですけど。
鈴木:ありましたね。「交際0日で結婚なんて社会的実験だ」と報道されたり、「そんなんでいいのか」と周りから怒られたりしたこともあります。
そんな背景があるからか、よく「結婚して幸せですか」って聞かれるんですよ。結婚って幸せなものでなくてはならないって思われがちですけど、結婚しないで幸せな人もいるし、子どもがいなくて幸せな夫婦もたくさんいるし、結婚して不幸になった人もたくさんいる。だから僕は、結婚や出産が幸せだなんてことは一概には言えないと思うんです。
1人で暮らしてても、2人で暮らしてても、家族で暮らしてても。どの形にしても努力が要るのは間違いないでしょ。
鈴木:うーん、努力っていうよりも、僕はまず彼女をテレビで最初に見た時から「すごい人が出てきたな」って思っていますから。最初にまず彼女に対するリスペクトがあったし、未だにそうです。恋愛感情は2年で消えるなんてよくいうけど、リスペクトする気持ちは消えないと思うんですよね。
「あなたが結果を出せば、これが全部覆せる」。付加価値を見つけるために走り続けた20代
鈴木:いや努力はしたかもしれないですけど、それが努力だと思っていなかったというのが正しいですね。僕はもう大学進学前から放送作家になるということしか考えていなかった。大学に進学したのも「東京に出るなら大学に行かないとダメだ」と母に言われたからです。結局仕事が楽しくて楽しくて、半年くらいで大学は行かなくなっちゃうんですけどね。
大学1年時にニッポン放送で仕事をもらうようになってから、先輩方からたくさんのアドバイスをいただいたんですけど、そのうちのひとつに「映画を見ろ」というものがあって。この世界で働いてる人って、たとえばシリーズものの映画だったら1、2、3それぞれの感想を話せるのが、当たり前って感じだったんですよ。
でもそれを努力だとは思いません。1日2時間見るだけですから。自分の知らないことを知ることはおもしろい。映画をたくさん見ていくと、どうしても自分の好きなジャンルばかりに偏っちゃうので、周囲の人に「好きな映画のベスト3はなんですか」って聞いて、それを見ていくっていうのもやってました。あまり親しくない人でも、これを聞くとみんなご機嫌に教えてくれるんですよね。それがコミュニケーションにもなりましたね。
僕は当時この世界に入ったばかりで、まだ何者でもないじゃないですか。何者でもない自分が、何者かになるまでの時間ってすごくかかる。映画を通じていろいろな大人と仲良くなれたあの時間は僕にとってめちゃくちゃでかかったですね。
鈴木:番組の女性チーフプロデューサーが「長寿番組こそ空気を入れ替えていかないと」と僕をチーフに抜擢してくれたそうなんです。でも、僕は当時サブ作家※としての経験しかなかった。しかも夕方の看板番組に22歳の若造を起用するなんて、プロデューサーも勇気がいるはずです。
で、提案してくれたのが「半年間、毎週水曜日に放送になると想定して台本を書いてこい」というもの。つまり架空の台本を書き続けるということです。半年間の結果がよかったら起用するからと。やるしかないですよね。こんなチャンス、手放してたまるかと。
※チーフ作家が放送のフル台本を作成するのに対し、サブ作家はコーナーの細かなネタを作成する役目を担う
鈴木:全然つらくなかったし、そんなことより大人に認められたかった。結局プロデューサーが「鈴木の台本、おもしろいな」と思ってくれなかったら、僕は使ってもらえないですから。
まず、目の前の人におもしろいと思ってもらうのが、基本中の基本です。それは、自分にとっての付加価値ってなんだろうっていう、問いでもあるんです。
鈴木:そう。僕がニッポン放送に連れて行ってもらう少し前に、世間を大きく賑わすとあるトラブルがあったんです。もちろん人を傷つけたり迷惑をかけるようなことではないんですが。正直、その時僕は「この人、人生終わったじゃん」って思いました。だけど、僕の先輩として紹介された人はそのトラブルを起こした張本人だったんです。そして、プロデューサーが、その先輩の肩をつかんで「こいつ、あのトラブル起こしたヤツ。すごいだろ」って言ったんですよ。
僕が「人生終わった」と感じたことが、この業界では「こいつがあのトラブルを起こした」っていう、付加価値になっていた。そこで、じゃあ僕の付加価値はなんだ?って。
鈴木:そうです。人より早く情報を知ってるとか、映画を見てるとか、その人の付加価値なんて何でもいいんです。あの時プロデューサーが、何者でもない22歳の僕をおもしろがってくれて、半年間放送されない台本を書かせてくれて、ただただありがたかった。
それより毎週添削してくれたそのプロデューサーがすごいですよね。半年経って僕をチーフ作家にすると決めた時に、プロデューサーは周りから色々と言われたらしいんです。「おまえ、おさむと付き合ってんの」とか「恋愛関係なんでしょ」とか。でも、そのプロデューサーは僕に言いました。「全然そんなんじゃないのに、腹が立つでしょ? だから結果で見せなさい」「あなたが結果を出せば、これが全部覆せる」って。
「他人事」が「自分事」になった、流産と不妊治療
鈴木:結婚して7年目に一度子どもができたんですけど、その時は「子どもが欲しい」と思ったら比較的すぐ妊娠できたんです。でもその後何週目かで流産してしまった。流産ってよく聞く言葉だし、確率的にも高いことだけど、自分たちが経験するまでどこか他人事でした。よく聞く話だけど、自分が当事者になるなんて思ってもいなかったんです。
その経験をした1年後、もう1回妊娠して、またうまくいかなくて。ちょうどその頃、僕の周りは年齢的にも2人目の子どもを考えてる人が多くて、体外受精だ、人工授精だっていうのを話す機会が増えていたんです。
そんなときに高年齢出産をテーマにしたドラマを書きました。ドラマのテーマに沿って、ダウン症のお子さんを持つ家庭や養子縁組のご家庭の取材をしたんですけど、子どもを授かるってほんと奇跡なんだなってあらためて気づかされて。それでいろいろ調べていくうちに、男性不妊という言葉も知りました。
鈴木:2回目の流産の後、しばらくの休憩期間をはさみ、再度妊活をしようということになったんです。 大島さんからの打診もあり、僕は初めて精子の検査をしました。 結果、ちょっと問題ありだった。 その時に初めて「あっ」って思ったんです。 「自分の精子が?そんなわけない。 ニュースで見たことあるけど、自分もなのか?」 と愕然としました。
現状、不妊も流産も、その悲しみを背負う量はどうしても女性のほうが多くなってしまいがちです。 身体的負担も女性が背負わなければならない。 じゃあ僕は今何ができるのかと考えた時、僕自身の身に起きたこのことを発信するべきだなと思ったんです。 これまで男性が不妊治療の当事者としてメディアで発信することってあまりなかったけれど、少しでも「男性不妊」を知ってもらいたいと思って。
発信していくと、意外と仕事仲間の男性から「実はうちも不妊で……」って打ち明けてくれる人が結構いたんです。 実は男のほうが人に言えなかったりするんです。 不妊治療してるって。
鈴木:ありました。 だけど、自分は作り手だから、自分が休んでいる間に思ったこと、感じたことを、また何か作品にできるだろうっていう気持ちはありました。 それで仮に仕事が減ったとしても、いつか巻き返せるだろうと。 それより、かけがえのない瞬間を大島さんと一緒に体験することのほうが大事だと僕は思いました。
ただ、仕事を休むことで、時間に余裕はできたものの、笑福は母乳育児で、あまり夜泣きもない子だったから、僕は早々に「意外とやることねえぞ」と(笑)。 自分は何をやるべきかと思った時に、仕事で会ったお子さんがいる女性が「育児をしていると自分の食事がおろそかになっちゃう」って言っていたのを思い出したんです。 「だったらそっちをやってみようかな」と思って。 煮物とか、魚料理とか、毎日料理を作りました。 そして、結果的にそれがすごくよかった。 僕は、時事や情報が渦巻く世界で20年ぐらいやってきたけれど、旬の食べ物も知らなかったんだなぁって思いました。
あとね、子どもと接する時間って、大切だなってしみじみ思うんですよ。
鈴木:そう。 たとえば大島さんは週に1回、お昼の番組の収録で家にいない時間があります。 10時に出発して15時ぐらいに帰ってくるので、この5時間は、絶対僕と息子二人きりの時間です。
大島さんも最初は不安だったと思うんですけど、「週1回、絶対いない」を続けていくと、それは当たり前になってくる。 じゃあ週に2回、週に3回、週末は俺と笑福と2人で遊びに行ってくるねとか……。 大島さんもだんだん信用して任せてくれるようになりました。 子どもにとっても、大島さんの胸がベッドだとしたら、僕の胸がソファぐらいにはなる。 子どもと接する時間を積極的に作れたのは本当によかったなと思います。
よく「怖いから夫に任せられない」っていうママがいますけど、パパも育児に参加したい気持ちはあるのに任せてもらえるタイミングがなくて、パパがどんどん戦線離脱してくっていうパターンもあるんじゃないかなって。
「向いているもの」に早く気づけたから今がある。 だからこそ、息子の「やりたいこと」を大切にしたい
鈴木:才能があったというか…… 向いていたんだと思います。 やっぱり自分がやりたいこと、自分の才能のかけらをどのくらいの年齢で見つけられるかがとても大事だなと、子どもが生まれてから尚更感じるんですよ。
才能なんて大袈裟なものより、好きなこと、自分に向いてるものに気付けるっていうのが大きいんだろうなと思います。 僕はたまたま放送作家という自分に向いているものに早く気づけたから、今もこうしてやっていけています。 笑福にもぜひ自分の向いていることをなるべく早く見つけてほしいと思っていますね。
鈴木:そう。 子どもがやりたいことと、親がやらせたいことって、乖離するものだと思います。 だから僕も、子どもが何をやりたいのかはすごく大切にしたいし、生活の様子を見て「これ、向いてるんじゃないの?」って思うことは言ってあげます。
僕の知り合いの子で、音楽を作るのが好きな中学生がいるんですけど、「作ったら早くYouTubeに投稿したほうがいいよ」って伝えました。 早く投稿して、早く第三者から評価されたほうがいいです。 イマドキのネット出身アーティストもそうだけど、みんな若い頃から投稿してるじゃないですか。 僕らの時代よりツイてるなと思いますよ。 今日投稿したものが来年100万回再生、1000万回再生になるような世界が広がってるわけですから。 逆にセンスがないことに気づいて、やめるきっかけを与えてくれるかもしれない。 そうしたらまた別の向いてるものを探せばいいんです。
鈴木:そう、僕ね、もっとちゃんと嫌われようって思うんですよ。 どうせ嫌われるんだったら、もっとちゃんと、正義を持って嫌われてやろうって。
僕は放送作家です。 番組を作る上で、自分がおもしろいと思うものだけを作るのではなく、スポンサーのことを配慮するとか、プロデューサーの意見に乗らなきゃいけない時もある。 でも、たとえ嫌われても一度は「自分はこうしたい」っていうことをはっきり言おうと思って。 多少言いにくい場面でも、「嫌だな」って思われても、自分が思うことをはっきり伝える。 それではじかれたらもうその場はしょうがないと思うことにしています。 それが自分の役割だし、ちゃんと役割を果たした上で嫌われることで「よしよし、自分らしく働けてるな」って思うんですよ。
鈴木おさむ 放送作家
1972年生まれ。 多数の人気番組の企画・構成・演出を手がけるほか、
エッセイ・小説や漫画原作、映画・ドラマの脚本の執筆、映画監督、ドラマ演出、ラジオパーソナリティ、舞台の作・演出など多岐にわたり活躍。
取材・執筆:西澤 千央
編集:山口 真央(ヒャクマンボルト)
写真:梶 礼哉(studio. ONELIFE)