横浜市青葉区の住宅街に突然あらわれる、レンガ造りの建物。青々としたツタや樹木に囲まれた「micotoya house」の店内には、自然栽培の個性豊かな野菜たちが並んでいます。ここは“旅する八百屋”として全国の農家を巡り、生産者と消費者をつなぐ商いを続けてきた「青果ミコト屋」初の実店舗。お客さんはほしい野菜をみずから量り、買って、紙に包んで持ち帰ります。

そんな少し手間のかかるお店は、私たちに一体何を伝えようとしているのでしょうか。青果ミコト屋・店主の鈴木鉄平さんに、お店を始めたきっかけや商いに込めた想いなどを伺いました。



「生産者と消費者の距離」を縮めたいと思った

鈴木:26歳のとき、ネパールで食べた「りんご」が、きっかけのひとつです。

ヒマラヤに登るため、バックパッカーで行った旅でした。現地ガイドの案内を受けながらアンナプルナ山群を周遊している途中、120kmくらい歩いて疲れ果てていたときに差し出されたのが、そのりんご。グルン族という山岳民族のおばあちゃんが、かごいっぱいに盛られた中からひとつ分けてくれました。

黄色い皮にはムラがあって、小さくて……スーパーで見るような立派なりんごとはちがい、決して見た目が良いとは言えません。でも、そのりんごが本当においしかった。おかげで元気が出て、そこから目的地まで歩ききることができました。あの時のりんごはブランド物でもないし、“普通のりんご”だった。でも、ここまでのパワーを僕にくれた。食べ物の力って本当にすごいんだな、と思った瞬間でした。

それまでも食べることは好きだったけど、食べ物の作用や栄養だけではない、見えないエネルギーみたいなものを意識したのは、それが初めてでしたね。

鈴木:食べ物だけでなく、その奥にある人々の生き方にも興味が芽生えたのかもしれません。ネパールの人たちって「自分たちは太陽に生かされている」というリスペクトを持っているから、日の出よりも早く起き、太陽が沈んだら寝る。それで毎日たくましく働いて、幸せそうで……なんというか、すごく「PEACE」な感じ。現代的な生活から離れた、そのプリミティブな暮らしにも、惹かれるところがありました。

僕は20代はじめのころ、やりがいを感じられない仕事でお金を稼いでいた時期があって。お金に余裕があっても、どこか満たされない気持ちで生活していました。だからこそネパールの旅で、これからはもっと“生きるために必要なもの”を得ることに焦点を当てていきたいと感じたように思います。

鈴木:日本に帰国してから近所の自然食品店に通いはじめ、2か所の農家で農業の修行をしました。

片方の農家は、農薬も肥料も使わない自然栽培にこだわっているファームでした。本当なら同じこだわりを持つ専門店や直売所だけに卸したいところですが、周囲の農家と足並みをそろえるためには、一般市場への出荷も大切。でも出荷場では、虫食いや個性的な形をした野菜は規格外とされ、買取価格を5~6分の1まで下げられてしまいます。

そうなると、収穫や出荷のコストすらまかなえない。せっかく植えた苗が実っても、仕方なく放置する場面がしばしばありました。

健康や環境のことを考えて自然栽培を貫いているのに、これじゃすごくバカを見ているというか……その理不尽さにすごく悶々としましたね。出荷場では箱の一番上の野菜しかチェックされないため、その一列に特別きれいな野菜を並べたりしてみましたが、ファームの方に「そんな騙し合いはくだらないからやめなさい」と怒られたりして。

鈴木:どうすればいいか考えているうちに、「これは農家じゃなくて、消費者の問題だ」と気づきました。まず、生産者と消費者のあいだに距離がありすぎるな、と。

消費者は、自分の食べる野菜がどのように手をかけて作られたのか知る機会がない。だから、スーパーではなんとなくきれいな野菜を手に取ってしまいます。つくる人の想いを知っていれば「虫食いでも問題ないよ」「色ツヤがいまいちでも〇〇さんの野菜はおいしい」と思うかもしれないのに。

一方で生産者からすると、消費者が自分たちの野菜をどう評価しているかわからないから、市場に求められるまま野菜の見た目や生産効率を重視せざるを得ない。農家さんが自分や親族の食べるぶんだけは無農薬でつくる……なんて話はよくありますが、それは食べる人の顔が見えているからやれることです。

いま社会に必要なのは、つくる人と食べる人の距離を縮める存在だと思いました。そうして考えついたのが、「青果ミコト屋」です。

鈴木:農家さんとたくさん話して、野菜がつくられる背景や想いを知る。そして、その物語を消費者にしっかりと伝える。そうやって畑と食卓をつなげていく、オルタナティブな八百屋になりたかったんです。