TBSテレビのAD/アナウンサーを経て、現在は事業運営、雑誌「VERY」カバーモデル、ラジオパーソナリティなど多方面で活躍する笹川友里さん。一見華やかに見える職歴の裏で「自分らしさ」が見えずに苦しんだ時期もあった。でも、いまは「私のままでいいんだって、やっと腑に落ちました」と軽やかに笑う。
悩むときも心が折れるときもあるけれど、自分と周りを信じて、挑戦を続けていく。そんな等身大の彼女の姿は、頑張る女性たちの背中を押すだろう。「自分で自分の人生をハンドリングする」ためのマインドが、ここにある。
アナウンサー試験に不合格。
でも、与えられた仕事を全力で楽しむことが、道を開いた
笹川:自信がなくて心配性で、いつも母親のスカートのすそを引っ張って隠れているような子どもでした。性格が外に向いてきたのは、中学受験をしてから。幼稚園から大学まで一貫の女子校に、中学から入学しました。そうしたら、内部進学の子たちがとてもしっかりしていたんです。同い年なのにはっきり意見ができて、快活で、部活も勉強も頑張っている。友人たちからいい刺激を受けたおかげで、自分も少しずつ能動的になっていったんだと思います。この頃から、人とコミュニケーションを取ることが大好きになりました。
笹川:そうですね。就活のときには、毎日違う人と会うような仕事がしたいと考えていました。テレビ局の説明会で「この業界は毎日が文化祭の前日です」と言われたことがすごく印象的で……私、まさに文化祭前日の「明日うまくいくかな?」「これまでの集大成、出しきろう!」と仲間と肩を組んで下校する、そんな雰囲気が大好きだったんです。なので、その言葉がぐっと刺さって、アナウンサーを目指すようになりました。
結果的に、3社で最終面接に進んだものの、残念ながらすべて落ちてしまって。そのなかの1社が、TBSでした。
ただ、選考を受けていくなかでTBSという会社そのものに惹かれている自分がいました。真面目だけど温度があって、いい意味で職人気質な人が多いという印象でした。「こんな人たちと一緒に働きたい」と感じて、ゼロから総合職の選考を受け直して入社しました。
笹川:私は良くも悪くも物事に固執しないタイプ。総合職で頑張ろうと決めたからには、アナウンサーへの未練はまったく残っていませんでした。そして何より、ADは自分にすごく合っていた。いまでもアナウンサーより、ADのほうが向いていると思います(笑)
毎朝その日にやることをToDoリストに書き出して、ひとつずつ消していくのが快感だったんですよね。お弁当や飲み物の発注、タレントさんの楽屋割り、駐車場の手配……深夜にラーメン屋さんまでラーメンと餃子を取りに行く、なんてことも。どんどんタスクが降ってくるし、毎日想像もしないようなことが起きるんです。でも、無事にオンエアまでたどりつくとすごく達成感があって……それこそ、毎日が文化祭前日でした。
笹川:きっと、私が与えられたADという仕事に面白さを見出して全力で走っていたことを、誰かが見ていてくださっていたのだろうと思います。
当時『置かれた場所で咲きなさい』(渡辺和子・幻冬舎)という書籍が流行していましたよね。会社員って、自分の「やりたい」とは異なる業務を与えられることもあるじゃないですか。でもそこで前向きに頑張れたことが、将来を広げてくれたのかもしれません。
ただ、当の私はそんなつもりで頑張っていたわけでも、アナウンサーになる目論見があったわけでもなくて、単純にADが楽しかったんです。だから異動の話が出たときも、一部からは「笹川、あんなに楽しそうなのに、現場から離すのはかわいそうじゃないか」という声があったと聞いています(笑)