「将来、どんな人になりたい?」

進路指導の教室で、求職活動の面接で、時には親戚や友人との雑談の場でそう聞かれたことがあるかもしれない。今のあなたは何と答えるだろう。今回のミモザなひとは、ハッキリとこう答える。

「“あほ”になれる人です」

24歳で落語界の門を叩いた落語家・桂二葉(かつらによう)さん。桂米二(かつらよねじ)師匠のもとで修業を積み、初舞台から10年後の2021年、NHK新人落語大賞で優勝。若手落語家NO.1の座を掴んだ。「落語は男が作った芸能やから、女にはできへん」。そんな言葉を何度も投げかけられた。それでも伝統的な古典落語にこだわって勝ち取った優勝。全国各地で行われる彼女の独演会は、毎回満員御礼の大盛況となっている。

二葉さんにとって落語は、思いっきり“あほ”をやれる場所。自分の内なる欲求を叶えられる場所を手に入れるまで、どんな道を歩んできたのだろうか。さあ、寄席の椅子に座った気持ちで、彼女の人生を語る一席を観てみよう。



「 “ あほ” になりたい、でもなられへん」。 24年の葛藤の答えが落語だった

二葉:全然しゃべらへん子でしたし、大人に気をつこてましたね。将来の夢を聞かれたら、内心「まだ子どもやし、あるわけないやろ」と思いながら、ケーキ屋さんかお花屋さんって答えてて。「そういう答えを求めてんねやろ」て、大人の視線に敏感やったと思います。

でもほんまは……思いっきりあほやりたかった。ずっとずっとあほに憧れていたんです。

二葉:大阪では「あんたあほやな」は最高の褒め言葉です。私も言われて誇らしい気持ちになりたかったけど、だいたい堂々とあほなことしてはるのは男の子で。私が気遣って「将来の夢はケーキ屋さん」と言うてる横で、平気で「おれ忍者!」とか言いよる。

特にずば抜けてあほやったんが、2つ年上のタカフミくん。「おれ、ゲップ200回連続でできるで」って得意げに披露してたんは衝撃でした(笑)。「できてどうすんねん!」って感じやん。でもそうやって人の目を気にせず自分をさらけ出す姿がうらやましかった。私もしたかったけど、なんとなく女の子がそういうあほをやるのは世間的には違和感があるやろうなと感じてたので、ゲップを続けるタカフミくんの周りで、みんなと回数を数えてました。「……198、199、200!やったー!」って喜んで。ほんで、帰ってこっそり練習に励んでました。

二葉:そうです。ゲップはできるようになったかも知らんけど、自分をさらけ出すことはできなくて、24歳までしゃべられへん人のままやった。「絶対自分のほうがあほや!」という自信はあったけど、「ええカッコしい」やったから、あほへの欲求を押し殺しながら生きてきたんですよね。それが、落語に出会って変わった。こんなにしゃべるようになって、自分でも怖いわ(笑)

二葉:大学生の時に、テレビで笑福亭鶴瓶師匠を観て落語の存在を知って、落語会に行ったのがきっかけでした。今までできるだけ「言葉」や「活字」と距離をとって生きてきたから、目の前であっち向いてこっち向いて話が進んでいく様子に最初はついていかれへんかって。古典の落語は昔の言葉が出てくるから聞き慣れなかったのもあると思います。

そんな中で鶴瓶師匠が、ご自身の高校時代の体験をもとに作った「青木先生」という新作落語をやらはって。今の言葉やからすごいようわかったし、めちゃくちゃ面白かった。思いっきりあほをやってはった。その姿に魅了されて落語会に通うようになったのが、私の落語人生の始まりです。

二葉:観に行くようになってから、すぐ思ってました。気づいたら「自分がやる前提」で観てました。落語家さんたちがいるあの高座でなら、きっと私もあほをやれる。客席にいた当時も相変わらずしゃべるんは苦手やったけど、落語は練習ができるじゃないですか。フリートークしてくれと言われたら無理やけど、落語は噺(はなし)を教えてもらえて、練習できる。しかもお客さんは前でじっとしゃべるのを観てくれる。「これや」と思いましたね。

あの感覚は正しかったと思います。今落語をやっていて「私、生きてるんや」って心の底から感じる。24年間モヤモヤしながら抑え込んでいた欲求を、今存分に満たしています。