『人生を狂わす名著50』『推しの素晴らしさを語りたいのに「やばい!」しかでてこない―自分の言葉でつくるオタク文章術』『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』――。軽妙さと鋭さを併せ持ち、ついつい手にとってしまいたくなるタイトルでヒット作を生み出している文筆家がいる。文芸評論家の三宅香帆さんだ。

ロールモデルが決して多くはない文芸評論家という道を選んだ三宅さん。「将来への不安は未だにある」と言いながらも、“読んで書く”日々を楽しみ、どんどん実績を築いている。その歩みを支えるのはどのような信念なのか。そしてなぜ三宅さんの書く言葉は、現代に生きる私たちの胸に深く刺さり、心に残り続けるのか。ヒントはやはり、本を愛し、本と共に生きてきた三宅さんの人生の中にありそうだ。


読書が、「頭の中の暇」を埋めてくれた

三宅:外で遊ぶのが嫌いで、ずっと家にいるような子どもでしたね。その分、本や漫画を読むのが大好き。中学生の頃の文集には将来の夢に「家に書庫が欲しい」と掲げていたくらいです。ちなみに、未達成なので、今でもその夢は持っています。

三宅:本を読んでいると「現実を忘れられる」という感覚があって、それはすごくいいなと思っていました。

小学生の頃から家や学校で過ごす日常がどこか「暇だな」と感じることがあって。それなりに楽しく過ごしてはいるけど、特別楽しいというほどでもない。「どうやったらもっと毎日を面白くできるのかな」という気持ちが、読書につながったのかなと思います。なんとなく、本を読んでいると頭の中が暇じゃなくなる感じがするんです。

三宅:そうですね。大学に入って、ようやくなくなった気がします。大学生になると、自分で選んだことで24時間を埋められますよね。高校までは興味がない教科もテスト勉強をしなきゃいけないし、大人から与えられる制約も多い。義務感で「あれしなきゃ、これしなきゃ」みたいなことが減ったのは良かったかな。

三宅:ここまで本が好きなわけですし、すでに漠然と「本に関わる仕事に就きたい」とも考えていたので、文学部に行きたいと思っていました。でも親からは「文学部って、就職が厳しいんじゃない?」と心配されていて。偏差値が高い大学なら文学部でも就職先があるだろう、と思ったのがひとつ。それと、高校生の頃に、司馬遼太郎の『燃えよ剣』を読んで新撰組にめっちゃハマって(笑)。京都という地に憧れがあったことが、もうひとつ。

そのふたつの気持ちが相まって「憧れの京都に行くために勉強しよう!」という感じで、受験勉強を頑張っていた記憶があります。

三宅:大学生活は、私にとってはすごく特別な時間でした。周りにいる友人たちも本を読む人が多かったですし、それまでなかなかできなかった本の話、好きな文学の話ができたのでとても充実していました。

授業の内容にも引き込まれましたし、いまの自分の核になる部分を作ってもらったなという感覚がありますね。

三宅:文芸評論家の仕事って、何かを読んでその批評・解説をつくり上げていくので、「読んだことを自分なりに解釈する」ことがすごく大事です。その「自分なりに解釈する」ための考え方とかやり方、基礎となる部分を教えてもらったのが大学と大学院だったなって。

当時、大学や大学院で研究していたのは『万葉集』でした。たとえばある和歌を読むためにひとつひとつの単語の意味や背景を調べる中で、「こういう解釈もできるんじゃないか?」という考えが浮かんできたら、新しい解釈について先生と議論します。

同じ言葉なのに、人によって読み方が変わる。いろんな読み方ができるということを実際に体感することができました。