私たちの生活に必要不可欠な「話す」という営み。日々何気なく行っているけれど、相手に伝えたいことが伝わらない「もどかしさ」を感じることはないだろうか。そんな「話す」ことを体系化し、「話す力」を通して、多くの人の人生が変わる瞬間を支える人がいる。今回のミモザなひと・スピーチライターの千葉佳織(ちばかおり)さんだ。

15歳から日本語のスピーチ競技である弁論を始め、全国弁論大会で3度の優勝、内閣総理大臣賞など数々の受賞歴を持つ。現在は、スピーチライターとして著名人や政治家のスピーチライティングを手がけながら、話し方に課題を感じているすべての人に「話し方教育事業」を展開するスタートアップ・株式会社カエカの代表取締役社長を務めている。

「この仕事ができているのは、私が不器用だったからです」

彼女の生き方に耳を傾けると、こんな言葉が聴こえてきた。



自分が本当に「ワクワク」できるものを見つけたら、人生が動き出した

千葉:人前で話す機会が多い政治家や経営者、日常的なコミュニケーションをもっとよくしていきたいと考えている会社員など、さまざまな方がいますね。解決したい課題は十人十色ですが、「話すことって体系化して学ぶことができるんだ!」と驚かれる点では皆さん共通しています。

私は話題のスピーチに対する解説をSNSに投稿することがありますが、そこでも同じ反応が返って
きますね。「話し方を体系的に学ぶ」という視点そのものが多くの人にとって新鮮なのだと感じます。

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千葉:私自身の特性が影響したとすれば、それは才能ではなく「不器用さ」だと思います(笑)。才能がある人は「体系化する」とか、そういうことを考えなくても難なくできてしまうはずだから。

「できないもどかしさ」や「うまくいかないもやもや」を感じてきた不器用な私だからできたことだと感じています。

千葉:そうなんですよ! 話して自分の考えを伝えられる人って、私にとっては憧れの存在でした。そんな私が「自分の言葉で話す」という感覚を得られたのは、高校でたまたま「弁論」という競技に出会えたからです。

それまでの私には、人に伝えたい主張や言葉が全然なくて……いや、あったかもしれないんですが、うまく伝えられなくて。それに当時の私は、高校受験に失敗し、周りからあまりいい目で見られていない気がして、自信を失っていました。当初目指していた高校とは違う学校に進学して、そこで「弁論部」に所属し、人に伝えるための言葉を探していくうちに、「私はこう生きていきたい」「私はこう思う」という軸が見えてきたんです。

「自分がどう生きたいか」ってマインドから作るのは難しいんですよね。「話す」という強制力があったからこそ考えることができました。このときに「言葉から自分の軸をつくる」という感覚を得られたと思っています。

同級生からは「弁論部?地味な人がやる部活だよね」なんてバカにされたこともありました。でも、「ここには何か勝算がありそう」と肌で感じたんです。自分が感じたワクワクを見逃さずに足を踏み入れ、没頭できたことが人生を動かしてくれたと思います。

そこからは「話して伝えるプロになりたい」と自然と思うようになり、就職試験ではアナウンサーを目指して全国行脚しました。30社を受けた結果は……すべて不合格。そのとき、一度人生の設計図を白紙にして進んでみようと思ったんです。

千葉:もう、がむしゃらに生きることしかできないと思って。正直なところ、当時は「いつかこの経験も何かに活かせる」とか前向きなことは考えられなかったです。悩んだ末に、内定をいただいたDeNA社に入社しましたが、自分の中で何かが整理できているわけではありませんでした。

でも今は、あのときの選択は正解だったと思えます。

千葉:自分が本当にワクワクできるものを見つけられたからです。具体的には新卒1年目が終わるころ。無意識に「今のキャリアの延長線上」を考えていたところを、「もしすべての制約条件を取っ払うとしたら一番やりたいことは何か」という問いに変えて、自分の気持ちを整理する時間をとりました。それで得られた答えが、「話し方の教育を仕事にして広めていきたい」という、今の事業に繋がる想いだったんです。

「この道が正解だった」という感触を得られるタイミングって人それぞれですよね。自分にとってしっくりくる道がちゃんと見つかるから、就活で必ずしもそれを掴みとらなくたって大丈夫だったなと感じています。