こども食堂を応援するよりも、苦しんでいる子どもと親に目を向けてほしい
自ら見つけてくる人もいれば、行政からの紹介の人もいて。行政の方々は、制度の“きまり”の中で支援をしているから、相談にきた人がおなかを空かせていても、条件を満たさない人には食べ物を渡せないんですよね。だから「だんだん」のような地域資源を紹介する。
行政ができない部分を私たちボランティアが補うのは仕方がないとしても、それでは根本的な解決にはならないと憤りを感じることもあります。こども食堂が増えていくことに対しても、それに近い違和感があるんです。
※80代の親が50代の子どもの生活を支えるため、経済的・精神的にも強い負担を請け負う社会問題のこと
近藤:「どうしてそんなに『こども食堂』が増えなきゃいけないのよ」と。
子どもを助けようと動く大人が増えること自体はとてもいいと思います。ですが、こども食堂が増える今も、自殺する若者は減っていないし、トー横キッズのように居場所がない子たちがまだまだいる。本当に向き合うべきなのはそこだと思うんです。
こども食堂支援も広がっていますが、こども食堂をやっている私たちを応援するよりも、子どもたちと親を応援しなきゃいけない。当事者への支援よりも、こども食堂支援への勢いが強いことには、違和感を覚えます。
「こども食堂にこなくてはいけない子どもたちの問題についてはお考えですか?」
こども食堂を応援したいとおっしゃってくださった企業さんに聞いてみたことがあるんです。お返事は「そういった話はなかなかできていません」でした。
こども食堂を支援しても、そこに通った子どもたちが社会に出た時、就職先となる企業が不安定な雇用形態ばかりだったら、また問題を繰り返すことになる。こども食堂をお手伝いいただいている企業さんで働く社員の中に、困っている人や問題を抱えた家族はいないかも気になります。こども食堂に出すお金があるなら、まずは社員であるその人たちを助けることに力を注いでほしいんです。お金以外のことで悩んでいる方々も多いのではないかと思います。
近藤:そうです。同時に、助けを求める人たちも少しだけ考えてみてほしい。「助けて」と言えることは大切なことです。でもこども食堂に限らず、地域や行政の支援を利用する人の中には「もらえるものは何でももらおう」という考えの人がいます。みんながそんなことをしたら、本当に困っているのに支援が届かない人が出てきてしまう。
自分でできることとできないことを整理して「この部分は私はできるのでできない人に使ってください。でもここは私ではできないからお願いしたい」と言えることが本来の自立だと思うんです。
手渡せる資源は限られているから、地域で生活する人同士が分け合う気持ちを忘れないでほしい。困っているのに支援の情報を得られていない人がいたら、「ここにこういう支援がありますよ」と伝えてあげてほしい。ひとりひとりができる範囲で、支え合えることはたくさんあると思います。