女性の健康や性教育の啓発に力を入れている産婦人科医・宋 美玄(そん みひょん)さん。全国的な産科医療崩壊が進む2000年代に医師となり、さまざまな病院での臨床を経て、妊娠・出産にまつわる正しい知識を届けることの重要性を考え続けてきた。現在も東京・丸の内で自身のクリニックを経営しながら、SNSやメディアへの出演など、幅広い情報発信に努めている。2010年には著書『女医が教える本当に気持ちのいいセックス』が一躍話題にもなった。

「産婦人科医は女性が自分の健康を管理し、よりよい選択をしていくために役立つ情報のプロバイダー」だと語る宋さんは、自身の仕事とどのように向き合ってきたのだろうか。医師という職業を選んだ理由から、時代とともに変わっていった自身の役割などを聞いた。


産婦人科なら、自分も周りも幸せになれそうだった

宋:1980年代当時は、いまよりも「医師」という仕事に権威がある雰囲気だったので、幼稚園生くらいから「お父さんは特別な仕事をしているらしい」という印象を抱いていました。一方で、焼肉屋さんでホルモンを食べるときなんかは、父に「これが腸で、これが肝臓で……」って面白おかしくレクチャーされていたりして(笑)

そういう日常を過ごすうちに、なんとなく「手術って面白そう」「消化器外科ってかっこいい」などと憧れるようになっていったんだと思います。在日韓国人の家庭だったため、当時は就職に困らないよう、手に職をつけておいたほうがいいとも言われていました。

宋:実際、2000年くらいまでは就職活動のエントリーシートに「本籍地」の記入欄があったし、この国籍のまま一般企業に就職するのは難しいという話も聞いていたんですよね。高校時代にはほかの仕事に興味を持った時期もあったのですが、苦労した親世代から「安定して食べていくためには医学部がいい」と強く勧められると反論もできなくて、医学部に入りました。ただ、せっかく大学に入るんだから自由に学問を選びたかったなという気持ちは、いまも多少残っています。

宋:私は1年浪人しましたが、そのしんどいときには「他の学部だったらもっとすんなり入れたかもしれないのに!」って思ったりはしましたよ(笑)。でも、基本的には前向きに頑張れたし、翌年に目標どおり入学できたことも自信になりました。

医学部はみんなで助け合うムードが強くて「みんなで国家試験に受かって、いいお医者さんになろう!」という雰囲気だったから、学部時代も楽しかったです。講義で知識を深め、さまざまな実習をクリアして一歩ずつステップを上がっていくうちに、医師になることへのモチベーションも自然と高まっていきました。

宋:まずは、手術のできる科がいいと考えました。子どものころからの憧れもあったし、身体の内側を推測して治療していく内科系よりも、外科系の「病変がありました」「じゃあ切り取ります」「治りました!」みたいな、明確に完結するわかりやすさが性に合っていると思ったんです。

外科系はハードで体力勝負でしたが、20代のうちはひたすらバリバリ働きたかったし、モチベーションも高かった。ただ、「うちの外科には女性が一人もいない」「何年も前に一人入ってきたけど、すぐ辞めた」なんて話を聞くと、続けていけるか自信がなくなる瞬間はあって……そんななかたどり着いたのが、産婦人科でした。

憧れていた手術もできるし、結婚・出産を経ても働き続けている先輩が大勢いる。患者さんと接するなかで「おめでとうございます」と言える機会が多いのもいい。そして、ほかの科では女医だというだけで不安を持たれるケースも多かった時代に、産婦人科だけは女医が指名を受けるなど、女性であることをアドバンテージにできる科でした。ここなら自分もやっていける気がしたんです。