枠を超えるからできることがある。そう信じてNHKを辞めた

堀:もちろん、放送局の一員だったからできたこともありましたよ。特に、公共放送のNHKだから信頼して話してくれる人も多かったですし、全国規模の放送局でありながら地域にしっかり根を張って取材ができる環境もよかった。

でも、そうして取材して聞けた声が、「放送枠」に合わせて編集する過程でほとんど“お蔵入り”になってしまう。ロケ車の中で、いつもカメラマンともどかしさを共有していました。「これ、全部放送したいのに」って。その時は冗談半分で話していたけれど、だったらやればいいと気づいたんです。出せないのは放送局のルールですから、そこから出てしまえば、どの媒体で放送してもいいし、全部載せたければテキスト化してウェブメディアに出せばいい。

放送局のルールや仕組みは、「取材を受けてくれた方々の思い」とは別のところにある。放送局から出ることで、今までとは違うかたちで伝える責任を果たせるかもしれないと思いました。

堀:放送局にいた頃は、大きな出来事があると「あの日から何年」というかたちで決まった日に特集を組みます。それ以外の日には優先度を下げられることもある。でも「この日に伝えたい」というのも、メディア側の論理ですよね。現実は毎日変化しているんだから、ひとつのテーマを毎日伝えたっていいと思います。

自由に報道をするようになったことで、「それが知りたかった」という視聴者の方も、「そういう伝え方が必要だと思っていた」というメディアの仲間もたくさんいることがわかりました。放送局から飛び出した自分にとっては、それが大きな喜びでしたね。