都内のとあるマンションの一室。ドアを開くと、そこにはニューススタジオがあった。緑溢れる背景に、本格的な機材の数々。そこに、「こんにちは!」と明るい声とともに、カメラを片手に現れたのが今回のミモザなひと、堀潤さんだった。

2001年にNHKに入局し、岡山放送局で地域密着の報道に奔走。東京アナウンス室に異動後は、当時新番組として発足した『ニュースウォッチ9』『Bizスポ』などを担当し、取材に駆け回る日々を送ってきた。2013年の退局後も、フリーのキャスター/ ジャーナリストとしてメディアに出演する他、自社スタジオ「8bitnews」を立ち上げ、市民の自由な発信やメディアでは報道されない真実を伝え続けている堀さん。

「今の世の中は信じられない。でも、捨てたもんじゃない」。報道の最前線で堀さんが見つけた希望は、あなたの目の前も照らしてくれるかもしれない。



言葉を信用しすぎず、自分の、他者の「本心」と向き合ってきた

堀:いえ、むしろ幼い頃は自分の気持ちを話すのが怖かったんです。レストランで注文もできないくらいで(笑)。僕は高校まで親の転勤で転校を繰り返していました。転校前の土地のしゃべり方が目立つからというだけでいじめられて、言葉を発するのが怖くなってしまった。伝えられない苦しさを感じていた子ども時代でしたね。

でもそこから音楽と出会って、「伝えられずに苦しい」が「伝えることは大切」という思いに変化していきました。

堀:バンドをやりはじめたことで、言葉じゃないかたちでも、気持ちを表現して伝えることで誰かが喜んでくれたり、耳を傾けてくれたりすることに気づきました。話すのが苦手でも、音楽なら自分のペースで表現できる。誰かに伝わる。その実感は恐怖を安心に変えてくれました。

「伝え方の自由」を音楽から学べたことも大きかったですね。特に衝撃を受けたのは、坂本龍一さんのアルバム『Beauty』。世界の音楽家たちと一緒に、さまざまな国の音楽を取り入れながら作った前衛的な楽曲が詰め込まれていました。既成概念を打ち破るような、未知の表現の連続。作品を通して、「自分の知っているものだけがすべてじゃない」、「もっと自由に伝えていい」ということを教えてもらいました。

それからはもう音楽に夢中。大好きな音楽の源流をもっと知りたいという思いで、ドイツ文学科のある大学に進学したほどです。

堀:ドイツの歴史に触れて、気づいたんです。「日本は戦前と戦後の境界線が曖昧だ」と。

海外は、戦争の反省からメディアの在り方にも変化が起こっている。しかし日本では、当時「戦争に負けているのに負けていない」と言い張っていたメディアが、そのままの体制で報道を続けている。過去の責任をとって商業主義的な体制から変わっていくことを、自分が「中」に入って前向きな形でできないか。そう考えたのが、NHK入局を決めた理由でした。

僕はいわゆるロストジェネレーション世代。就職活動をしていた当時、バブルが崩壊してリストラが増え、地下鉄サリン事件や阪神淡路大震災……凄惨な事件や災害が次々と起こりました。なぜこんなに悪いことばかり続くのだろうと、世の中が信じられなかった。絶望を感じながらも、世の中が変わるところを見てみたいと思ったんです。メディアの答えを押し付ける報道ではなくて、提示したものに対して世の中から反応をもらい、責任を持って応える。そんな新しいメディアの在り方が実現できたらいいなと。

堀:アナウンサーという職種を選んだのは、メディアの採用試験の中で一番早くアナウンサー試験が実施されるからです。

でも僕、実は「言葉」そのものは今もあまり信頼していません。アナウンサーとは、言葉で事実を伝える仕事なんですけどね。

堀:自分の気持ちを正しい言葉で表現するって、ものすごく高度な技能だと思うんです。でも今の時代においては、せきたてられるように言葉を求められる。連絡がきたらすぐ返さなければいけなかったり、SNSで反応しないと逃げていると言われたり、言語化の圧力が強い。自分の気持ちがまとまってないのに、まず言葉を使わなきゃいけない不幸な状況が生まれている。

だから僕は、言葉で伝える前にまず自分の中で対話をします。NHKの新人時代に習い、今でも大事にしていることがあります。

「たった一言、水滴を垂らして水紋が広がるような言葉を操る人になりなさい」という教えです。

なんでもかんでも言葉にするのではなくて、聞いた人に届いて反応が広がっていくような一言を選び取る。そうやって自分が伝えたい本当のところと向き合いながら言葉を選んでいると、他者が言葉で表現したい中身、本心にも興味が湧くようになるんです。

堀:向き合おうと奮闘していましたが、実際にちゃんと向き合えるようになったのは、この10年くらいだと思います。

それまでは、「相手の期待に応えたい」とか「バカだと思われたくない」という感情に急かされて、沈黙を作らないように何か言葉を発しようとしていました。でも、それってただの取り繕いですよね。隙間を埋めるためのコミュニケーションでは、相手が本当に伝えたいところを一緒に考える時間は生まれない。「相手とじっと見つめあいながら、黙っている瞬間があってもいいんだ」と気付いたとき、やっと取材をする人になれた感じがしました。

堀:そうです。「私って、こういうふうに思っていたのか」と気づく瞬間って、なかなかないじゃないですか。

「伝える」というと、自分以外の誰かを対象として思い浮かべがちだけれど、まずは自分に本心を伝えてみる。そうして本当に伝えたい言葉を確かめていく。そのステップは自分を大切にすることと同じだと思います。

「言葉」は、意思を伝えるためのツールだけれど、おっかないし、危ういし、間違えるもの。だからこそ注意深くいたいし、同時に、自分の言葉にも他者の言葉にも寛容でありたい。「言ってしまったからその通りにしないと」と自分の言葉に縛られる必要はなくて、出した言葉をすぐに変えてもいいと思うんです。自分に対して正直に、柔軟に、言葉を選んでいく。取材の場ではそれを一緒にやりたいです。