「うちって、普通じゃないのかも」

五十嵐:小さな頃は、「ふつう」に幸せな家庭だと思っていたんですよ。変わっているのは、たまに元ヤクザのおじいちゃんがキレて包丁を持ち出すのと、悪いことをすると、宗教を盲信していたおばあちゃんから「お前は地獄に落ちる」って何度も言われることくらい(笑)。クセは強いけど、楽しい家族と幸せに過ごしていたと思います。

でも小学生になるとクラスメイトという比較対象ができる。家族の話とかもするようになり、だんだんと「うちってふつうじゃないのかも」と思うようになっていって。家に遊びにくる友達は、母の話し方 を聞いて「変だね」「日本人じゃないんでしょ?」とか言うし、祖父が暴れた次の日には近所の人たちが「大丈夫だった?」と探るように話しかけてくる。それに、友達の家に遊びに行っても宗教で使うような道具なんか揃っていない。

自分の家はふつうとは違う。しかもその“違う”というのは、いい意味では決してなくて、嫌われたり避けられたり、厄介扱いされるほうの意味なんだろうな。成長するにつれて、そんな思いも大きくなっていきました。

※この場合、五十嵐さんの両親は口話(口の形や動きを真似て発話する技術)で話していた

五十嵐:そうです。僕からすれば、面白い冗談を言う祖父やとてもやさしい母の姿も知っているわけです。だけど周囲の人は、僕の家族の、一面的な部分だけを見て判断してしまうから「そうじゃないんだけどな」と複雑な気持ちでいました。

孫や息子としてちゃんと愛情を注いでもらったし、その部分ではなんの不満もなく育ててもらったと思っています。

五十嵐:とくに思春期……反抗期の頃は、人よりも強く親に対する反発心があったと思います。例えば、「親と一緒にいるところを見られたくない」というのが一般的な反抗期の子の気持ちだとすれば、僕の場合「“障害者の”親と一緒にいるところを見られたくない」という気持ちになってしまう。

ただでさえ誰もが親をうとましく思う時期に、僕の場合は「親が障害者である」というラベルが一つのっかっている感覚で、反抗の仕方も輪をかけてひどかったと思います。

でも、反抗したり暴言を吐いたりする一方で、心の中では「僕が親を守らなければどうするんだ」という思いも同時に湧き起こる。その両方の気持ちを抱えて葛藤しているような感じでした。

いわゆる「ワケあり」家族なわけですから。なにかあったら自分が間に入って、両親や家族を守っていかなきゃと思っていたんです。

五十嵐:そうですね、“罪悪感”はこれまでの人生でずっとついて回った感情です。

小学生の頃は一緒に買い物に行って、通訳をして、ということが自然とできていたのに、反抗期に入ってからは、「そんなことやりたくない」と言って部屋に閉じこもることも増えました。誰かから「親を守れ」と言われたことは一切ないし、完全に自発的な気持ちだったはずなのに。

でも振り返ってみれば、きっと勝手に思い込んでたんです。「親は弱いから」「ろう者が生きていくのは大変だから」って。それで自分が守るしかない、と一人で信じ込んで、その逆の振る舞いをする自分を過剰に責めていたんだと思います。