“北村麻子”という個が表現するねぶた

北村:じつをいうと、“女性初”ということは意識していませんでした。よく、そう言われることに対して「嫌じゃなかったですか?」とメディアの方から聞かれたりするんですが、嫌という気持ちもなかったです。私は私だし、女性ということも含めて自分なので。

とくにデビュー当時は、自分の性別なんて考える暇もなくて、とにかく「一台作り上げなきゃ」という一心で、ねぶた作りに必死でした。

ただそうは言っても、ネガティブなことを言われたことはあります。デビュー初年度に賞をいただいたときも、「本当は父親が作ってるんじゃないか」「女だからひいきされてる」とか言われましたし。「女性がねぶた師になるなんて、結婚や子育ては無理だね」とまで。

そう言われると闘志が湧くタイプなので、「なら結婚も育児もしてやる!」と燃えましたね(笑)。そして、正直なところ“女性初”として取り上げていただく機会も多かったので、「あまりマイナスのことばかり考えてもしょうがない。取り上げてもらえるのはいいこと」と切り替えて、受け入れたほうが前に進めるな、と考えるようにしていました。

北村:ねぶたって、ものすごく男性的で「力強くなくてはいけない」っていう捉え方をする慣習があったんです。やっぱり受賞するねぶたもそういうものばかりだったし。

例えば造形で、片側に男性、もう片側に女性のモチーフを入れると、「ねぶたが弱く見える」「優しくなってしまう」と昔から言われていて。私自身、父にも「あまりやらないほうがいい」と言われてきました。

でも最近は、世の中の流れも相まって、必ずしもそうではないなという気がするんです。

北村:例えば、女性の私よりも繊細で、色鮮やかに作る男性ねぶた師もいらっしゃいますし、ねぶたの表現の仕方も少しずつ変化していると思います。

私のねぶたが「女性らしくて繊細」「色使いが女性的」と評価されることがありますが、それは女性だからではないのかなって。女性がつくるから“女性的”とは限らないし、そもそも“女性的”、“男性的”と区別する必要もありませんよね。

特に自分の中で意識が変わったのは、ねぶた祭りが開催できなくてとても辛かったコロナ禍のことです。「女性的か男性的かは関係なく、祭りが再開されたら、素直に自分が表現したいものを作ろう」と考えるようになりました。

▲2024年作品の「下絵」。通常、数パターンを作りクライアントに提案するケースが多いが、北村さんは「自分が一番作りたい」と思う1枚しか作らないそうだ。下絵には北村さんの思いが込められている。

 

北村:そうなんです。『琉球開闢神話』では、自分の思うままに表現しようと思って、左側に女神のアマミキヨを配して、全体を柔らかなパステル調の色合いで作りました。その結果、なんと優秀制作者賞をいただきました。

実際に作ってみると、父の時代に言われていた「女性的で弱い」というようなことは全然言われませんでした。そこで改めて、「時代は変わるし、見る人たちの感性も変わってきているんだ」ということに気づきました。

「男性的でなければいけない」のではなく、力強いという良さもあれば、女性の私が作る良さもある。ねぶたにも多様な魅力と個性があっていい、ということがはっきりわかったような気がします。

▲北村さんが制作した『琉球開闢神話』 提供:北村麻子 撮影:成田恭平