モラトリアム期間を延長するために選んだ、東京大学

滝沢:いえ、幼少期はとても引っ込み思案で、いまとは真逆の性格だったように思います。親がいなくなるとすぐに泣いちゃうし、人見知りも激しくて。家にお客さんが来ていると、別の部屋にずーっと隠れているような子でした。

公園に行っても、同年代の子たちとは遊びたくなかったんです。小さな子っておもちゃを取り合ったりするじゃないですか。それがすごく嫌で。だから、お母さんと一緒に花を摘んだり、それを図鑑で調べてみたりすることのほうが楽しかった。とにかく人と関わりたくなくて、周囲からは心配すらされていたくらいだと思います。

滝沢:年長さんのとき、「困った人を助けるためにお医者さんになりたい」と言ったことを覚えています。ただ、深く考えていたわけではなくて、親が「お医者さんって素敵な仕事だよ」と言っていたのが刷り込まれただけ。中学生の頃には「弁護士になりたい」と言うようになっていました。それは学校でもめ事があったときに、自分がうまくディベートできていないなと感じたから。弁護士は議論をして人を助ける職業だと思っていたので、苦手だからこそがんばりたいと思って。真面目ですよね(笑)。とはいえ、その後、やりたいことがよくわからない期間が長く続きました。でも、小さいころから抱いていた「誰かの力になりたい」という思いはずっと根底にありましたね。

滝沢:そうですね、それも明確な理由があったわけじゃないんです。目指せるならば目指しておいたほうが良いだろうし、無理なら志望校のランクを下げれば良いや、くらいの感覚でした。しかも、その頃もやりたいことが見つかっていなかったんです。でも東大は1、2年生のうちは教養課程を学び、3年生に上がるときに学部を決めるから、モラトリアム期間を延長できると思って。そこでやりたいことを見つけられたら良いなと。

ただ、実際に入学してみても、学びたい学問はこれといって見つかりませんでした。最終的には文学部で社会学を専攻しましたけど、真剣にその道を極めたいと学んでいる人たちとは違って、私はふわふわしていました。いま思えば、勿体ないことをしましたね。

滝沢:大学公認の学生団体の副代表を務めていました。現役の東大生と卒業生をつなげる交流会を企画するような団体で、キャリアや人生を考える有意義な時間が過ごせたと思います。イベントを作り上げるためにみんなで議論するのが楽しかったですし、社会人と交流できるのも面白くて。

でも、そこでなにかが見つけられたというわけではありませんでした。結局、相変わらずやりたいことがわからないまま就職活動がはじまってしまった。

ひとつだけ思っていたのは、「社会のためになる、と自分が肌感覚を持てることをしたい」ということです。1社目のコンサルティング企業は、まさにそんな会社でした。ユーザー中心の世の中を作ることをビジョンとして掲げていて、それを実現させるためにエンドユーザに向き合うことを重視したコンサルティングサービスを提供している。その姿勢に納得でき、かつ素敵だと思ったので入社を決めたんです。