「無謀すぎる」と言われた挑戦――。それでもこだわった姿勢

福井:3年間は無給で、設計にまつわるさまざまなことを勉強させていただきました。この話をすると驚かれますし、当時も周囲の人たちから「何をしてるの?」「無謀すぎる」などと言われて。でも、研修生として採用されたとき、師匠から「3年だけね」と提示されたんです。「それ以上在籍していたら、きみの個性が消えてしまうから」、と。

デザインというのは唯一無二なものです。だから師匠のおっしゃることが理解できましたし、育てようとしてくださっていると感じました。だからこそ、「ここで3年学んで、独立しよう!」と意志が固まりました。幸い、貯金はあったのでそれを切り崩しながら、3年間頑張りました。

福井:いや、それが全然順調ではなくて……。1年目に受注できたのは、知り合いのつながりで紹介された美容院のオーナーさんの仕事のみ。その1件だけです。

福井:設計料って施工費の10%なんです。その案件の施工費は750万円だったので、つまり僕の手元に入ってくるのは75万円。……といいつつ、実績欲しさから「お金はいらないのでやらせてください!」とやらせてもらったくらいで(笑)

だから1年目はほぼ年収ゼロです。そのとき30歳だったので、さすがにやばいと思いました。両親を心配させたくなくて、「なんとかやっているよ」とはぐらかしていたくらいです。

福井:もちろん焦りました。だから、祖父母に相談したんです。祖父母と孫の関係って、両親とのそれよりも少し離れているじゃないですか。だから、そこまで心配されることもないかなと思って、言いやすくて。そうしたら、「焦る必要などない」と言われました。

「真面目にしっかりとした仕事をしていれば、それが次の仕事を連れてくる」と。

実際、祖父母はその姿勢で長年顧客を獲得してきていた。その言葉があったので、そこからは無駄に焦ることはなくなりましたね。営業もせずに、自分のデザインで顧客を増やしていくぞ、と。すると、1年目にデザインした美容院のお客さまの案件がきっかけで、新しい仕事がやって来た。

福井:そう。そうやって数珠つなぎで仕事が舞い込むようになっていきました。

どうしてこんなに祖父母の助言に耳を傾けるのかというと、二人のことを本当に尊敬していたからなんです。大きな会社さんを顧客に持ち、税理士会の経理部長を任されるなど、軸がぶれない生き方で沢山の人から信頼をされていたのを見ていたから、その姿には非常に説得力があって。

子どもの頃から、「それなりに経験しているふたりの話に耳を傾けて、損はないぞ」と素直に思っていました。万が一、その考え方や やり方が合わなければ違う方法を模索すればいいだけですしね。

その結果、いまに至ります。こうしてインテリアデザイナーとして独立し、さまざまな仕事をいただけるようになりました。

▲写真:Satoshi Shigeta