仕事には愛が有用だ。仕事では愛が厄介だ。

僕は「プロダクトマネージャー」という仕事をしており、会計ソフトなどの開発に携わっている。この仕事の業務範囲は、製品の企画から設計、時にはマーケティングからコーディングまで、多岐にわたる。だから「プロダクトマネージャーに大切なのは?」という問いがしばしば盛り上がりを見せる。そして多くの議論において、「結局、愛が大事だよね」という結論に落ち着く。

この文脈における「愛」とはなにか?

例えば、「請求書作成ソフト」をつくるとしよう。請求書に必要な項目を入力して、PDFに変換する。シンプルな要件に思えるが、実際につくってみると、そう簡単な話ではないことがわかる。

請求書のデザインひとつとっても、柔軟にカスタマイズ設定したい、という人がたくさんいる。その要望に愚直に対応していくと、今度は設定項目が増えて使いづらい、という人が現れる。誰かにとって便利な機能は、誰かにとって不便な機能なのだ。みんなが使えるプロダクトを作ろうとすると、誰にも使えないプロダクトができてしまう。

だからプロダクトマネージャーには、「愛」が求められる。いちばん価値を届けるべきはどんな人なのか、その人は何に困っているのかを考え、ラブレターを書くようにプロダクトを考える。たとえそれ以外の人たちから要望やクレームが飛んできても、勇気を持って切り捨てる。そういったタフな決断が日々求められる。その苦しみが報われ、思い描いていたユーザーの役に立った時、プロダクトマネージャーとしての最大の喜びが訪れる。

これがプロダクトマネージャーにおける「愛」だ。ユーザーを愛し、ユーザーのために価値を提供する。

確かにこの愛は、取捨選択に悩んだ際に、強力に作用する。一方でこの愛が、プロダクトマネージャーを苦しめることもまた事実である。

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今泉力哉監督の『愛がなんだ』という映画がある。主人公のテルコが、マモルという男性に出会い、恋に溺れる様子を描いた作品だ。マモルに夢中になったテルコは、電話一本でどこへでも駆けつけ、マモルに尽くしまくる。思わせぶりな行動を繰り返すマモルに対して、テルコは泥沼にはまっていくが、実のところマモルはなんとも思っておらず、都合よく使われてしまう。哀れなテルコ。

これと同じことが、プロダクトマネージャーにもよく起こる。特定のユーザーに愛を注ぎすぎるあまり、周りが見えなくなってしまうのだ。この現象を僕は「テルコ化」と呼んでいる。

たとえラブレターを書くように製品を作っても、ユーザーにとって欠かせない存在になるのは、とても難しい。本当の意味で役に立つプロダクトをつくることは、とても時間がかかるから。

ユーザーに対する愛があればあるほど、ユーザーの役に立たない状況がもどかしい。「全然使えない」などという口コミをネットで見つけた日には、夜も眠れない。プロダクトと自我が同一化して、まるで自分の悪口を言われたように思えて、落ち込んでしまう。そうやって途中で心が折れてしまったプロダクトマネージャーを、これまでたくさん目にしてきた。僕自身にも、似たような経験がある。

これはきっと、プロダクトマネージャーに限らないことだと思う。誰かに必要とされることは、大きなやりがいになる。だが同時にそれは、働く喜びの発生源を、他人に委ねることをも意味している。だから僕にとって、他人の役に立つ仕事はとても楽しいけど、依存すると絡め取られてしまう、ちょっと危うい存在でもある。

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そこで僕が大切にしているのは、誰かの役に立ちたいという気持ちに対して、適切な距離をキープすることだ。

もし「テルコ化」のシグナルを自分から感じたら、「役に立ちたい」という思いを一旦忘れてみる。代わりに、仕事の過程にある喜びを大切にする。資料をつくるのが楽しい、コードを書くのが楽しい、議論をするのが楽しい。小さくても、そういった働くこと自体の喜びをたくさん持っておく。働くことを、自己目的化させていく。

映画『愛がなんだ』の終盤では、主人公テルコはマモルを突っぱね、その上でひとり密かにマモルに執着し続ける。賛否両論を呼んだ内容だが、僕はこの結末が好きだ。テルコはきっと、マモルへの執着を、「マモルに喜んでもらうのが嬉しい」というマモルに依拠した愛と、切り離したのではないか。そしてテルコ自身から湧き上がり、テルコだけに完結する新たな感情として、再構成したのではないか。だからこそ『愛がなんだ』というタイトルなんじゃないか……と考えたりする。

プロダクトマネージャーにとって、誰かの役に立ちたい、という気持ちと同じくらい重要なのが、「そもそもなぜやりたいのか?」という意志だ。ユーザーへの愛がどんなプロダクトを作るのか(=What)を決めるなら、自分の意志はWhyを決める。悩みに悩んで、意中のユーザーにそっぽを向かれながら、それでもなぜ、その製品を世に出したいのか。自分に完結する感情に立脚するからこそ、自分のために働くことができ、結果として、他人に役立つ仕事ができる。

これまでの連載で書いてきたように、無職だった僕は、自分のNaverまとめを他人に喜んでもらえたことで、仕事の原体験を得た。一方で育児休業をとったことで、仕事の新しい楽しみも知った。

誰かの役に立つこと、そして休むことを繰り返しながら、愛と適切な距離をキープし、内から芽生える小さな喜びを育てていく。そうやってこれからも働き、生きていきたい。


岡田 悠

会社員としてIT企業でプロダクトマネージャーを務める傍ら、作家・ライターとしても活動。『0メートルの旅』(ダイヤモンド社)、『10年間飲みかけの午後の紅茶に別れを告げたい』(河出書房新社)、『1歳の君とバナナへ』(小学館)が発売中。オモコロで記事を、デイリーポータルZでPodcast「旅のラジオ」を更新中。