「器用貧乏」だった学生時代。でも、1つの成功体験が自信になった
特別養子縁組、そして育休の取得をしないという選択。働く女性として、そして母親として、立て続けに大きな決断をした小峯さんだが、意外なことに、昔は自分では決断ができない子どもだったという。
「勉強は頑張らなくても成績はそこそこ良くて、運動神経も悪くはない。中学はバレーボール部だったのですが、特段努力をしなくてもレギュラーになれました。いわゆる、なんでもなんとなくできてしまうけれど、なにかを極めることができない『器用貧乏』な子だったんです」
高校に入学しても、そのなりゆきでバレーボールを続けたが、情熱を持てずに1年の夏に退部。ふと“やること”がなくなった小峯さんが次に目を付けたのが、勉強だった。
「やりたいこともなかったので、高校生のうちに思いっきり勉強するのも悪くないなって。それまでも成績は悪い方ではなかったけれど、精一杯の努力をしてみたら、成績はオール「5」、試験では学年で上位の成績をとれた。『努力をすれば、なにかを極められる』ということを知りました」
小峯さんの出身高校は、千葉県内でも上位の進学校。そこで学年トップの成績を獲るほどの学力があったが、小峯さんは指定校推薦で入れる大学の保育科に進むことを選んだ。
「高校の先生にはもったいないと言われたけど、『頭のいい子はそのまま難関大を目指すのが当たり前』という空気に疑問を持っていました。努力をすれば実るという自信は持てたので、だったら大学受験に活かすよりも、早いうちに手に職をつけておきたいと思ったんです」
保育士として抱いたキャリアへの悩み、そして人生の転機
大学卒業後、保育士として働き始めた小峯さん。しかし次第に、保育士として一生を終える自分が想像できなくなり、キャリアについて悩むようになる。
「子どもたちと触れ合える保育士の仕事は大好きでした。だからこそ、幼稚園、保育園をどちらも経験し、キャリアアップのためにいくつもの保育園を転々としていました。でも、いろんな園での経験を積むうちに、保育や運営の面での改善点などが目に付くようになってきて……。もっともっとやりたいのに、保育士の立場ではやれることが限られてしまうことが、自分のストレスになっていきました」
そんなときに、「夫の紹介で出会った」のが、プルデンシャルの営業所長だった。正確には、その営業所長とは過去に面識があり、たまたま小峯さんのご主人が加入している生命保険の担当者だったという縁で、「久しぶりに夫を介して再会した」そうだ。
「最初は保険のお話を聞いたりしていましたが、何度かお話するなかで、キャリアの話になって。 『保育士のキャリアの終着点は、保育園の経営なのかも』 なんて話をしたら、『実は僕も経営の夢を持っているんです』と、深く共感してくださって」
しかし、資金繰りや人件費など、すぐに保育園の経営をすることに躊躇する小峯さんに、その営業所長はこう話した。
「キャリアに悩んでいるのなら、一度金融の道で、僕と一緒に勉強してみませんか?将来、保育園の経営をするのなら、金融の知識は決して無駄にはなりませんよ」 と。
小峯さんは、こうしてライフプランナーとしての道を歩み出すことになった。
取材・編集:山口 真央 執筆:大川 竜弥 撮影:梶 礼哉
登録日:2025年12月3日 登録番号:Pru-2025-09-0043