これからも時計作りの「アマチュア」でありたい
菊野:自分がどれだけ楽しく作ったとしても、その時計の魅力がお客さまに伝わらなければ買い手は現れない。だから自分が信じている魅力や手作りの哲学をしっかり「伝える」ということを意識しています。そのひとつが、製作工程を残した写真集。時計を作るとき、工程のすべてを写真に撮って、完成品とともにお客さまにお渡ししているんです。
「こんなプロセスを経て出来上がっているんだ」と、自分で作ったものなのに毎回その新鮮さに驚いてしまいます(笑)
菊野:はい。でも形になって、納品したら終わりかというと、それも違うかな。僕は、「もの」は消滅するまでずっと「プロセス」だと考えています。消滅するまでにその時計がどんな過程をたどり、どんな喜びを与えてくれるのかが大切なんです。
僕は「作る」というプロセスを存分に味わったから、「使う」というプロセスをお客さまに楽しんでいただく。壊れても、傷が入っても終わりじゃない。直してまた使えば再びその時計の物語は続いていくし、入った傷さえも思い出になるかもしれないですよね。
菊野:はい。プロセスも、傷も、価値になりうる。日本には「金継ぎ」という技がありますよね。器が割れて、何事もなかったように元通りにするという方法も選べる中で、あえて傷を隠さずに美に昇華している。その考え方が僕はとても好きなんです。時計に入った傷も、そうやって見方を変えれば輝くことがある。どんな状態でも持ち主にとって特別な、意味のあるものとして愛してもらえたら、作った者としては幸せです。
菊野:実はあまり先のことは考えていません。どこまで続けていけるかわからないですが、このまま自分自身を身軽に保って、作りたいものを作っていきたいです。ずっと先のことまで決まっていると、苦しくなってくるんですよ。だから注文も作れるときにその都度取ります。10年先まで注文が確定したほうが経済的には安心かもしれませんが、それよりも、自分が「作りたい」と思ったものをすぐに作れる環境を整えていたいです。
僕にとっての一番好きなことであり、自分の能力が活かせる「時計作り」を続けていくことが自分らしい生き方。感覚としては働くというよりも趣味に近くて、アマチュアの精神でやっています。アマチュアの語源はイタリア語の「アモーレ」だと聞いたことがあります。日本語だと「愛」。つまりアマチュア=愛する人。
菊野:そうです。よく対比される「プロフェッショナル」という言葉は、僕の捉え方では肩書きのようなもの。僕はプロの肩書きがあるから時計を作るのではない。これからも、時計作りを愛する人として生きていきます。
▲菊野さんが作る写真集の1ページ目には、こう記されている
菊野 昌宏
1983年北海道深川市生まれ。陸上自衛隊勤務を経て時計の道へ。2008年ヒコ・みづのジュエリーカレッジ卒業。卒業後、同校の研修生として在籍し、独学で時計作りを始める。世界で初めて自動割駒式和時計を腕時計サイズとして制作した「不定時法腕時計」が認められ、2011年AHCI (独立時計師協会、通称アカデミー)準会員となる。2013年には日本人初のAHCI正会員に認められる。その後、代表作である「和時計改」やムーンフェイズ搭載モデル「朔望」などを発表。
執筆:紡もえ 撮影:梶礼哉