アナウンサー業務のなかで出会った、「障害福祉」の世界

※人工呼吸器や胃ろう等医療ケアが常時必須な状態である子どもたち

内多:川崎市の彼についての番組が高評価を受けて、次第に社内外から「福祉の内多」なんて呼ばれるようになっていったんです。すると、福祉の世界で生きる人たちとのつながりもできて、さまざまな現場について教えてもらえるようになりました。そんななかで知ったのが、「医療的ケア児」のことです。医療的ケア児とその家族への支援が、あまりにも足りていない。番組ではその問題に切り込みました。

内多:アナウンサーというのは、どうしても世代交代せざるを得ないもので。当然、僕にもそういう話がきました。それでも、また次の番組で障害福祉についての企画提案ができればよかったのですが、残念ながら、次に担当する番組は報道関係ではなかった。となると、障害福祉の現場を追いかけられなくなってしまうわけです。でも、僕もいい歳でしたし、「あれをやりたい、これをやりたい」とばかり言ってちゃいけないのかな……と観念しました。

ところが、そんなときに「もみじの家」からお誘いがあったんです。立ち上げの手伝いをしてくれないか、と。

内多:そうです。介護職員だけでなく看護師が常駐しているから、日頃、お子さんのケアに追われているお母さん・お父さんたちも、数日間はゆっくり休むことができます。それまで、そういった施設はほとんど存在していなかった。でも、確実に必要とされていました。そんな施設の立ち上げ事業に一から携われるのなら、やってみたいと思いました。

正直、番組で障害福祉を取り上げることが難しくなったとき、NHKでの自分はこのまま閉じていく感じがしましてね。定年退職をしたら福祉関係のことをやろうかなと考えていました。そんなタイミングで「もみじの家」は僕を招いてくれた。運命的だと感じました。今からでも自分のやりがいを再構築できるのではないか、と心が動いたというか。

内多:「ハウスマネージャー」として入職しました。僕に求められた役割は大きくわけると3つあって、ひとつは全体の事業計画を立てること。もうひとつは寄付を集めること。開設前から、この事業は年間数千万円の赤字が出るということがわかっていました。でも、サービスの質は絶対に落としたくない。なので、寄付で支えていただく必要がありました。

そして最後は、広報です。いかに施設のことを知っていただくか。それによって寄付の金額も左右されますしね。だからやはり、広報業務には力を注ぎましたよ。いざ開設してみると、名だたるメディアが「もみじの家」を取材してくれました。医療的ケア児とその家族が抱える問題について、みんな関心を持ってくれたんです。おかげで寄付もたくさん集まって、恵まれているなと感じましたね。