先日、お気に入りの喫茶店で仲の良い友人とホットケーキを食べているとき、「最近の “好きを仕事にする” の流れについてどう思うか」という話になった。
店内ではいつものように白黒の看板猫の2匹が、私たちにちょっとの興味も見せない様子で思い思いにくつろいでいる。
「私はさ、その言葉にちょっとした違和感を覚えるんだよ」と告げると、彼も「僕もそうですね」と同意した。
彼は第一線で活躍する人気フォトグラファーで、プライベートでもカメラを肌身離さず持っている人だ。彼の撮る写真は雑誌や書籍の表紙を飾り、それに憧れる若者もとても多い。
まさに好きを形にし、それを全力で表現し続けている人だという認識でいたから、そんな彼から予想外の言葉が飛び出したことにとても驚いた。
「意外だね、わたしはKさんこそ “好きを仕事に” を体現している人だと思ってたよ」と続けると、こんな回答が戻ってきた。
「“好きを仕事に” って、ものすごく危うい言葉だなって思うんです。だって、仕事にしてしまうと自由にやっていた頃とは違って、その中に必ず“やりたくないこと” がまじってくるんですよね。そうなった時にその “やりたくないこと” まで含めて好きなことなのかを、一度立ち止まって考えないといけなくて。でも仕事にしてしまうと、むやみやたらに立ち止まれないじゃないですか」。
「じゃあKさんは、フォトグラファーは実はできるからやっていて、 “好き”ではないの?それとも、やりたくないことを都度乗り越えてきたの?」と続けて聞いてみると、彼はまっすぐな目で「写真は好きなことではなくて、僕の夢ですから」と続けた。
「夢」と「好き」。その2つは近しいようでいて、実は異なる存在なのかもしれない。
「好きなこと」は多分自分の生まれてからの経験や周りの人から受けた影響が大きいから、年齢や環境によってガラリと変化していく。
数年前まで夢中だったことに興味がなくなってしまったり、突然冷めてしまったりもする。
それに対して「夢」は、なんというかもっと、どっしりと心の真ん中に鎮座している。ちょっとやそっとのことじゃ動かないし、環境や年齢が変わってもなお、事あるごとに心から湧き出てくる。考えるたび「楽しい」というよりは「勇気」が湧いてくる。
「ところで、のちさんの夢ってなんですか?」
当然ながら彼からこの質問を投げかけられて、そういえば最近私は自分の夢についてじっくりと考える時間が減っていたなあ、とふと思った。
このシリーズの第1回目のエッセイで、
“多分、仕事にやりたいことやなしとげたいことを求めなくてもいい。
その代わり「自分がどんな人生を送りたいのか」
棺桶に入る時に「本当にいい人生だった」と言うためにはどうありたいのか
そこに仕事がどう寄り添うのかを言語化してお守りのように持っておく必要があると思う”
と書いた。
大人になるとつい「やらなければいけないこと」ばかりに日々追われていく。
自分のやりたいことに気づかず蓋をしてしまっていたり、
いつの間にかやらなければいけないことのカテゴリーにあったはずの事柄が、
自分のやりたいことにすり替えられてしまうこともある。
守るものが増えれば増えるほど、現実の色が濃くなれば濃くなるほど、
年齢が上がれば上がるほど。夢を見続けることはむずかしい。
けれど、自分がどんな人生を送りたいのか。
それはやっぱり、夢が真ん中にないとなかなか描きにくい。
わたしは現在、英語を勉強し直している。
それは今世、どんな形であれ世界中を、好きな時に、好きな人たちと、旅をして生きていきたいからだ。
50代くらいになったらどこかの国で大学に通いたいし、
子育ては1番心が落ち着く国でしたい。
イスラム圏にも住んでみたいし、ペンギンにも会いにいってみたい。
私自身、旅と出会ったのは本がキッカケだったから、小さな本屋さんもやってみたい。
だから写真も文章の仕事も、その夢を支えてくれるパーツだと思っている。
心が踊る夢があるから、だからきっとその中に混じる「ちょっとやりたくないこと」すら、その夢に向かっている確かな希望になる。
「夢がわからなくなってしまった人って、幼少期思い出すと蘇ってきたりしませんか? ヒントがそこに眠っていることってありますよね」
彼と私は、そしたらこれまで1番ワクワクしたことは何かとか、その夢のためにこの先どうしていきたいのか、みたいなことを気づけば机の上のアイス珈琲がすっかりぬるくなるまで、延々と語り合っていた。
古性のち
1989年横浜生まれ、タイ・チェンマイ在住。短い書き出しから物語を広げていくショートショートや、何気ない日常をドラマチックに綴る文章が得意。現在はSNSを中心に「写真と美しい日本語」を組み合わせたシリーズ作品を展開中。2022年単著「雨夜の星をさがして 美しい日本の四季とことばの辞典」発売。尊敬する作家は吉本ばななさん・原田マハさん。