ビリヤニは「三密の敵」だった。コロナ禍の鬱から立ち直るまで
大澤:シェアハウスでは好きなだけ同じレシピを作り込んで、腕を上げることができました。一人500円くらいの材料費のみで振る舞っていたから、食べたい人がたくさん集まるんです。そうすると、僕は時間や顧客満足なんて一切考えず、ただただビリヤニの味を上げることだけに集中できる。じっくり時間をかけてつくっていたら終電の時間になり、待っていた人が何も食べられないまま帰る……なんてこともありました。
でも、それだけ作りまくっていると、自然にタイムコントロールも安定してくるんですよね。炊きあがりの時間が決められるようになったら、「今度こそ食べられるぞ」と来る人がめちゃくちゃ増えちゃって、多いときは40人前の鍋を7回くらい炊いていました。それじゃさすがに立ち行かなくなって予約制にしたのが、5年くらい前のこと。「予約困難なシェアハウス」という謎の場の出来上がりです。
週6はガラムマサラのアルバイトでカレーをつくり、休日はビリヤニを炊いて……途中からはガラムマサラの店長にもなったりと、すごく充実していましたね。
大澤:ガラムマサラは営業自粛のうえ、オーナーがインド滞在中にロックダウンで出国できなくなってしまい、開店休業状態が続きました。そのうえ、大鍋の炊きたてをみんなで食べるビリヤニは、「密」の代表みたいなもの。大勢で集まることも、食事を共有することも許されないコロナ禍では、ビリヤニを楽しむこと自体が悪になってしまったんです。
「おいしいものは人を幸せにしてくれるはずなのに……ビリヤニはもうオワコンなのか?」と落ち込み、勤め先の営業不振もあいまって、僕は鬱病を発症してしまいました。
大澤:まずは店を立て直すことだと考え、冷凍カレーの通販をはじめました。これが初月3000食と爆発的に売れて窮地をしのげたのですが、給与を支払えないのでバイトは雇えず、オンラインのシステム構築からカレーの冷凍、発送作業まで一人でやっていたことが原因で体調が悪化してしまって……。ついに「ガラムマサラ」を退職せざるを得ない状況になりました。
しばらくフードデリバリーで食いつなぎながら休んでいたところ、友達に「自分でビリヤニのお店をやったらいいのに」と言われたんです。考えたこともなくて、衝撃でした。
大澤:心身を壊していたし元手もなかったから、自分が店を出すなんて思いもよらなかったんですよね。でも考えてみれば、コロナ前はあれほどシェアハウスに人が押し寄せていたんだから、いまも食べたい人はきっといるはず。おいしさをちゃんと追求できる運営方法でやれるなら、もう一度飲食店というかたちに挑戦してみたいと感じたんです。
大澤:たった24時間で500万円を超え、どんどん支援者が増えていって、逆に怖かったくらいです(笑)。でも、ビリヤニがこれほど求められていたんだと思うと、本当にうれしかった。
コロナで一度疑ってしまったビリヤニの価値を、改めて思い出すきっかけになりましたね。それからは無我夢中で準備をし、約半年後に「ビリヤニ大澤」をオープンしました。
大澤:もちろん怖いし、そういう飲食店を成立させるのが難しいという状況は変わっていません。でも、そうしたいろんな問題はすべて、ビリヤニのおいしさを高めればクリアできると信じています。
それはビリヤニをつくる僕の挑戦であり、ビリヤニという料理そのものの挑戦でもある。これだけの制限をつけたビリヤニ専門店が繁盛しているというのが、ビリヤニのすごさの証です。