シェア文化で、自分自身の社会の幅を拡張していける

石山:私の実家は、いつも父の仲間や友人だったり、世界を旅して友達になった人だったり、家の中に常にいろんな人がいる状態でした。今考えれば、シェアハウスのような実家だったわけです。

自分の両親は、人が来たらご飯を当たり前のようにシェアして、みんなの胃袋を満たしている。そうやって自分の家を開いてシェアして、人に与えていくことの幸せや、豊かさを、当たり前に感じていたんです。

色々な人がいると、それぞれスキルや得意なことを持っていて、何か問題があってもなんとなく解決できるんですよね。私の父は友達がすごく多く、お医者さんもいれば、行政の人や弁護士もいて、誰か困ったら誰かがスキルを活かして助けてあげられるという状態がすごく豊かだなと思っていました。

石山:たくさんの大人に囲まれて育つ中で、多様な意見があることを学びました。例えば、「それはダメだよ」って親に怒られても「別にいいんじゃない?」みたいな答えが別の大人から返ってきたり。正解は一つじゃないんだ、と子どもながらに思いましたね。

実家は自由で、門限もなかったからこそ、自主的に規律を作ろうとしていました。「やっぱり夜は不審者とかが多くて危ないから、何時までに帰った方がいいよな」って自分で考えたり、勉強しなさいと言われないからこそ勉強が好きになったり。そういった経験は、今私が携わっているシェアリングエコノミーの活動にもつながっていると思います。

石山:シェアすることが楽しくて、自分が何かをシェアする側になることが喜びだからです。できるだけ自分がみんなのご飯を作りたいし、作ることそのものが幸せで。

また、人との繋がりにおける「難しさ」のようなものを自分自身が体感しながら、その難しさや面倒くささにも向き合っていたいと思うんです。これは一種の修行のような気持ちでもあるんですけれど。そうすることで、より人間としての深みも出るんじゃないかと感じています。

石山:いろいろなバックグラウンドの人や、多様な価値観を持った人と共に暮らすことで、「その人を通じて社会が見えてくる」ことでしょうか。

例えば、今の私のルームメイトはゲイを公表している男の子なんですが、彼と一緒に暮らすことで、「なぜ彼は法律上でパートナーとの結婚が認められていないんだろう?」と感じます。

シェアハウス自体が社会の縮図のような一面があるし、社会課題に向き合う機会が増えたように思います。

あとは「みんなお互いさまだよね」という考えがベースにあるので、怪我をした時や風邪をひいた時には、動ける人がその子の部屋に行って助けてあげたり、LINEでよく効く薬の情報を送ったりします。同じ屋根の下で、生活を共にしているからこそ、困った時に誰かしらが助けてくれるし支え合えるという構図は、すごくいいなと。たまに言い合いになることもありますけどね。それも楽しいです(笑)