「 マミートラックに乗せられる」―出産を秘匿した当時の心境
富永:いま思うと「小さいことで悩んでいたな」と思うんですが、それはやっぱり“いま思うと”です。出産することで、職場ではいわゆるマミートラックに乗せられて、夜間に仕事を入れられないとか、レギュラー番組に出られなくなるとか、過度に配慮されそうなことが心配でした。
私自身が変わるわけではないのに、母という“レッテル”によって、扱われ方や見られ方が強制的に変わってしまう。大学での仕事も、番組の出演や連載の執筆も、仕事は依頼してくれる周りの環境があってこそなのに、それがごそっとなくなってしまう可能性だってある。記事や番組を見てくれる人も、離れてしまうかもしれない。そういう変化に大きな恐怖心がありました。
それと、これは「自分は学者に向いてないな」と感じる部分でもあるんですが、割と年長の人とか先輩の言葉をすぐ真に受けてしまうふしがあるんですよね。その点で言えば、パイセン研究者の方々からの「子どもができたら今みたく仕事できなくなるよ」は恐怖でしたね。
※産休や育休をきっかけに、時短勤務やより時間に融通が利く部署への異動など、かつてのキャリアから変更があること
富永:もちろん、その方々が苦労したのは間違いないと思うんです。だけど、それが「自分も絶対そうなるんだ」という呪縛になっていたのだと、いま考えれば思います。
そこから私を救ってくれた出来事の一つが、出産直後にいただいた講演の依頼。なんと私の大学院生時代の論文を読んで依頼をくださったんです。「この方にとっては私の出産や休職は関係なくて、過去にやってきたことを今でもちゃんと見てくれているんだ」という気持ちになり、すごく救われたんですよね。
富永:ありがたいことに、実際いまの仕事のペースは出産前とはそんなに変わっていません。なんなら昨日、「今年度は大学院生だった頃の論文の刊行数を超えた!」といって、大喜びしたばっかりなんですよ(笑)
でも、振り返ってみて改めて思ったんですが、当時はきっと「社会を重く、自分を軽く」見過ぎていたんですよね。出産したからといって、これまで書いてきた研究論文がパーになるわけでもないし、築いてきたメディアとの関係性が消えるわけでもない。公表してからこの2年ほどでそれを実感する機会がたくさんあったので、「自分がやってきたことをもっと信じてよかったんだ」と最近になって気づきました。
きっと、自分自身の経験を信じられるようになったんだと思います。
富永:大学で研究をしていると、「大学院生の頃が一番研究できるよね~」と言うパイセンがたまにいて、その言葉をまた真に受けてしまって。私も、院生時代の業績量を基準に今の仕事を測っているくらいだから、きっと若い頃の「頑張りイズム」が抜けていない。
ただ一方で、そもそも「若い頃ってそんないい仕事できてたか?単にエネルギーがあっただけじゃないか?」というのも、歳を重ねるなかで感じることがあって、経験もすごく大事だと思うんですよ。例えば経験を積むことで書き方がわかってくるし、若い頃よりもお金はあるから人に仕事を頼んだり、手伝ってもらったりすることもできる。事実、量としては変わらなくとも、今の方がいい論文が書けていると思います。
そうやって仕事の質が変わっているのに、時間も体力もある「若い頃が最強」みたいな幻想にとらわれていたのかなと思います。そしてそれは、私が出産を怖がっていた感情とも、おそらくどこかで繋がっているんじゃないかと。