ボードゲーム好きの友だちと話していて、面白い話を聞いた。「最近は、誰かを蹴落としたり妨害したりして勝つゲームよりも、個人が最高得点に近づくために努力して勝敗を決めるゲームが流行っている」というのだ。

例えば、昔は自分が得点を取ることで相手の領地を獲得したり、相手を妨害するアイテムを手に入れたりして、相手を牽制しながら自分の勝ちを目指すゲームでよく遊んでいた。しかし、今となってはそれだと遊んでいて気まずくなってやりにくいというのだ。今は、得点の高い技を決めたりアイテムを手に入れたりして自分の総得点を制限時間の中でコツコツと高め、最後に得点で勝敗を決めるゲームが多数あるという。

その話を別の友人としていたら「ゲームだけじゃなくて、普段もそうなってきた気がする」と言っていた。「誰かを蹴落とすとかって結局後味悪いし、そればっかり考えているのは無駄じゃん?ていうか、そもそもあんまり蹴落としたい人がいない。みんなそれぞれ違う時代だし、全く同じ状況で戦ってる人がいないっていうか。多様性の時代?」。

痺れた。負けず嫌いで、若い頃、1人で自室にこもって原稿を書きながら、誰のことを指すでもなく「負けたくない……」と呟いているという、はたからみれば明らかに様子がおかしい行動をしていた私としては、あまりにも爽やかすぎないか!とびっくりした。

2002年、SMAPの『世界に一つだけの花』が大ヒットし、「ナンバーワンよりオンリーワン」という言葉をどこに行っても浴び続けた私たちは、いつのまにか「誰かと比べるより自分らしくあればいい」という思想を心の奥深くに根付かせ、そこにやってきた「多様性」という時代の流れとともに、他人ではなく自分を見つめる姿勢を身に着けていたらしい。

実際、最近は同世代や私より若い世代の中でボードゲームやマーダーミステリー(物語の登場人物として事件の犯人を探し出すゲーム)が流行っていて、友だちとプレイしていると、やっぱり誰も他人の邪魔をしないし、失敗した誰かをバカにすることもしない。実にみんな爽やかにプレイしている。雑談をしていても、みんなそれぞれをリスペクトしていて、私だけが「また意地悪言っちゃった……」と思うことが多い。

しかし、こういう時代の流れの話をすると、「若者は野心がない」という人がいる。ただ、私にもそれだけは違うことがわかる。「他人を蹴落とさない」のは「野心がない」ことではない。「他人と比べないこと」は「野心がない」ことではない。

私自身、彼らと触れ合ううちに、「他人を気にしすぎず、自分を頑張る」ができるようになってきたのだけれど、これは、虚空に向かって「負けたくない」と呟くのとは違う苦しさがある。

まずそもそも、「自分らしく」を突き詰めていくのはしんどいことだ。「ナンバーワンよりオンリーワン」という言葉の先に語られるようになったのは、最近よく聞かれるようになった「何者かになりたい」という欲求だと思う。「何者か」というのはつまり“自分” という人間の個性が誰かに認知され、受け入れられていることだと思うからだ。「何者かになりたい」という言葉を聞く度、「オンリーワンの人間として認められたい」という言葉に聞こえる。私たちは確かに、元々特別なオンリーワンだけれど、それを誰かに認めてもらうのは難しい。

そして、自分を頑張っていると、他人のせいにできないのもキツイ。私は性格が悪いので、誰かに負けたくない時「あの人は意地悪だから(意地悪なのは自分だろ!)、私が絶対に負けるはずがない!」と、他人を批判して自分を奮い立たせていた。しかし自分を頑張る時、批判の対象はいつも自分で、「今日は○○だったから、頑張れなかったな」と頭で整理できるときは良いのだが、体調が悪かったりして「自分は駄目だ」モードに入ってしまうと、無限に批判の刃が自分を傷つけてしまう。さらに、かといって「自分を頑張るのはもういいか」と思う時、「やっぱり負けたら悔しい!」と奮い立たせてくれる他人はいないのだ。

「他人と比べず、自分らしく頑張る」ということは、あまりにも清らかに明るく頻繁に言葉にされるようになったし、実際負けず嫌いを全力で貫いていた若い頃の私も「あんまり他人と比べることはないな〜」と語る友人に、ドライで冷静な印象を持っていた。しかし、それは言葉どおりの美しさだけで実行されることはない。自分らしく頑張るとはつまり、他人のせいにせずひたすら自分と向き合い続けるということだ。「自分らしく頑張ろう!」と語る世の中とは、なんとストイックなことを要求することか。

もちろん、自分と向き合い自分をどんどん進化させ、カスタマイズして成り上がっていくことが楽しく感じることもある。毎日ちょっとずつ自分を改善して、毎日が心地良くなっていく。その楽しさも、歳を取れば取るほどに理解するようになった。それに、少しずつ目標に近づいているのは、やっぱり快感だ。自分の力で自分を少しずつ良くしていけるという実感は、一生物の自信になる。

そんな自己効力感というご褒美と、自分と向き合う辛さを行き来しながら、現代人は野心を燃やしているのだと思う。

「自分と向き合う野心」は外からは見えにくい。だから「野心がない」ように見えるだろう。けれど、その野心は、誰にも見えないところで燃えている。

30代として、若い人を中心に抱いているように見えるその内なる野心を、バカにせず応援するオトナでいたいし、自分もまた、その皮膚の下でストイックに燃える野心を大切に、ヘルシーに、耕していきたい。

りょかち

1992年生まれ。学生時代より各種ウェブメディアで執筆。新卒でIT企業に入社し、アプリやWEBサービスの企画開発・コンテンツマーケティングに従事した後、独立。元『ユートラ編集部』編集長。現在では、コンテンツプランナーとして活動するほか、エッセイ・脚本・コピー執筆も行う。著書に『インカメ越しのネット世界』(幻冬舎刊)、『恋が生まれたこの街で』(KADOKAWA刊)。(183)