すこし前、夏の終わりのある夜。友だちとネットの音声通話でたわいもない話をしていると、誰もいないはずの玄関のほうからガサ、ガサと物騒な音が聞こえてきた。おそるおそる様子を見に行くと、ドアの外にセミが1匹転がっている。死んでいると思いきや、私が近づくと急に羽をブオーンと震わせ飛びあがり、こちらに向かって突進してくる。物騒な音の正体はこの死にかけのセミ、俗にいうセミ爆弾であった。息も絶え絶え、我が家の玄関ドアに涙ぐましい体当たりを繰り返していたのだ。

私はこのセミを、外廊下の向こうの中庭にリリースしてやることにした。そっちの方が土にも還りやすいだろうし。とりあえず常備している虫とり網をセミにかぶせて持ち上げようとしてみるも、いまいちうまくいかない。それで、そのまま網をずるずる這わせて、手すりの下の隙間から中庭に落とすことにした。ところが途中まではうまくいくのに、手すりの下にはわずかな段差があって、あと少しのところでセミが引っかかって落ちてくれない。段差と網に挟まれたセミは最後の力を振り絞って大暴れするので、こちらもギャーっと声が漏れる。

そんな一部始終はぜんぶ、音声通話中の友人に生中継されていた。

「段差のせいでセミがひっかかる!」
格闘中の私が叫ぶと、スマホの向こうにいる友人が間髪入れずに言った。
「世界中の段差なんてなくなればいいのに!」

友人の心強い一言は、単に奮闘する私への励まし、というだけでは決してなかった。友人は肢体に障害を持っていて、子供の頃からずっと電動車椅子で生活している。私にとっての厄介な段差は今、小さな1匹のセミを阻む目の前の数センチ。でも、彼女にとっての厄介な段差は国中、世界中のいたるところに無数にあって、彼女の当たり前の営みを阻む。

友人は障害者雇用枠で働く会社員だ。車椅子で電車に乗って、毎日職場に通う。電動車椅子で体の角度をある程度調整できるとはいえ、長い時間おなじ姿勢でデスクワークを続けるのは、体にかかる負担も大きい。障害者雇用促進法では事業者に合理的配慮を行うことが義務付けられているけれど、障害の内容や程度が人それぞれなこと、現場にそれを受け止める十分な余裕がないこと、あるいは単なる無理解など、いろんなことが原因で、彼女の労働にはたくさんの苦労がある。

大変だなあ、と彼女の話に神妙な顔をして相槌を打つ私はそれでも結局、「自分は“こっち側”にいる」と信じ込んでいる。けれども、それは果たしてずっとそうなのか?と、このところふと考えるのだ。

なにしろ猫も杓子もAIの時代。直近で私がもっとも無駄に膨大な時間を溶かしているSNS、TikTokでも、大勢が人間だと信じ込むレベルのAI画像をよく見るし、ニュースだってAIキャスターが読んでいる。AIを使った副業ビジネス動画も急増中。そんな中ふと目にとまったニュースによると、アメリカでは今年、約4000人がAI失業したとか。

日々現実味を増す、AI大量失業の未来。もしかしたら今後、私たちの社会には「人間雇用促進法」が必要になったりして。AIとAIを管理するひと握りの超優秀な人間に最適化された会社で、私のような凡人は救済措置的に法で定められた「人間雇用枠」で働くのだ。食事をとったり、トイレに行く時間をくださいと必要最低限の労働条件を提示すれば、「必要性を証明する診断書を出してください」とか「それくらい我慢できませんか」なんて、AIに嫌味を言われたりする。何せAIは飲まず食わずでも文句を言わずに働くわけだから。

あー恐ろしい。やってくるかもしれない未来も。またこれが、障害を持つ友人の身に実際に起きている現実だってことも。

だけどよくよく考えてみれば、技術が勝手に世界を作り出すなんてことはなく、技術を使う人間が世界を作るのだ。だとすれば、私たちが手綱をしっかり握っておきさえすればいい。そして思うにその手綱とは、私たちが本当に理想とする世界を強く夢見ること、なんじゃないか。

仕事が人を忙殺しない世界。仕事で誰もが自分の能力を発揮できる世界。少しの段差が誰のバリアにもならない世界。絵空事と笑われるくらい大きな、理想の働き方、理想の生き方、理想の社会。

私たちが理想を持たずにいれば、技術は適切に活用されないどころか、ありあまるエネルギーをたちまち望まない方向に暴走させ、私たちを翻弄する。右も左もわからない生まれたての技術の手綱を引いて「そっちじゃない」と正しい道を示すには、私たちの行きたい場所を、しっかり見据えておかないと。

離れている相手といつだって会話ができる。空を飛んで外国にも行ける。現にいつかの誰かが絵空事と笑ったことは、今日に至るまで次々と現実となってきたのだ。リアリストを気取って諦めがちな私たちが、「仕方がない」の向こう側に渡るチャンスがまさに、技術大躍進中の今なのだ。だから夢想家を笑うな。今こそ、みんなで一番美しい夢を見よう。


紫原明子(しはらあきこ)

エッセイスト。1982年福岡県生まれ。著書に『大人だって、泣いたらいいよ 紫原さんのお悩み相談室』(朝日出版社)、『家族無計画』(朝日出版社)、『りこんのこども』(マガジンハウス)等。「話して、聞いて、書いて、自分を掘り出す”もぐら会”」主宰。「WEラブ赤ちゃん泣いてもいいよステッカー」発起人、エキサイト株式会社と共同で普及に努める。