アメリカンフットボールには “セカンドエフォート” という用語がある。ボールを運ぶ選手が激しいタックルを受けた後も膝をつくことなく、1ヤードでも、1インチでも前に進む姿勢を見せることを指す。大きな背中、黒く焼けた肌。いかにもパワフルそうに見える彼だが、幼少期から続けた野球、就職活動、前職時代の同期との力量差……人生の各所で「挫折」を経験してきたという。

プルデンシャル生命のライフプランナー、加藤翔大さん。彼は今、生命保険の営業パーソンとして多くのお客さまから頼られ、フットボーラー時代と同じように、前へ、前へと進み続けている。

経営者のお客さまも多い彼は、自分の仕事を「ライフプランナーにしかできない仕事です」と言い切った。ライフプランナー、すなわち保険営業の仕事とは、ただ保険を売ることではなく、想いを紡いでいく仕事なのだと。「自分に合ったフィールド」を見つけ、愛情と情熱を傾けることで輝きを取り戻していった、加藤さんの人生を紐解いていく。


前編:挫折経験、のち、自分のフィールドを見つける
後編:父への想い、仕事に対する考え方、そして加藤さんのMy Rules(←今回の記事はココ!)

ライフプランナーとして抱く父への想い

<ご本人提供>加藤さんのご実家である塗装工業所のお写真

加藤さんの実家の工場は、住宅街の中に溶け込むように存在していた。表の看板は、長年この地で営み続けてきた歴史を感じさせる。電動やすりで削る音、汗だくで黙々と作業に向かう職人の姿も身近にあふれていた加藤さんの幼少期がそこにある。

「ジジジジ…という金属を削る音や、機械の騒がしい音。それが僕の『実家の音』なんです」――。

加藤さんの父は、金属焼き付け塗装業の二代目を務めていた。仕事に打ち込みつつも、家族の時間をとても大切にしていたという。

「いつも18時には仕事から帰ってきて、弟と妹を含めた僕たちと過ごす時間を大切にしてくれました。週末はキャンプ、夏は海、そして冬には両親の趣味だったスキーをするために、朝早く起こされてゲレンデに行くこともよくありましたね。それくらい、僕たちに愛を注いでくれた。愛に包まれていたので、反抗期もなかったくらいです(笑)。僕ら3人とも、私立の大学に通わせてもらいました。教育費も相当にかかったと思う。両親には、心から感謝しています」

<ご本人提供>幼少期の加藤さんとお父さま

そんな加藤さんの父は、昨年自ら事業をたたんだ。

「小さい頃から、工場を守る祖父と父の背中を見て育ちました。いつも優しい父が、乱れて荒れ狂う姿も、見てきました。家族を支えるために、多くの心労と苦難を乗り越えてきたんだと思います。
プルデンシャルに入社したのは 父に認めてもらいたかった想いもありますが、入社してからは父のような経営者に寄り添い、力になれる人間でいたいという想いが強くなっていったんです」


僕にとってのライフプランナーとは、“想いを紡ぐ”仕事

加藤さんのお客さまは、中小企業の経営者が多いのだという。「父のような経営者を助けたい」という情熱は、お客さまが加藤さんに信頼を寄せる大きな要因になっているのだ。その信念の強さに「すごいですね」と声をかけたが、加藤さんはそれを制した。

「ライフプランナーの仕事はこれからが本番なんです。“本当の意味での仕事”が完結するまで、責任をもってお客さまに添い遂げなければいけないので」

加藤さんはこう続けた。

「保険営業って、保険を売ることが仕事じゃない。『お客さまやご家族に保険金をお届けすること』が仕事であり納品です。だから、ご契約をお預かりしてから本当の仕事が始まるんです。特にお客さまが経営者なら、経営者としての考えや悩みだけでなく、ご家族や従業員の想いにもしっかり耳を傾ける必要がある。それぞれの立場で何を求めているのかを、時にはお酒も酌み交わしながらじっくりお聞きすることもあります」

寄り添うこと――。言葉にすると簡単に聞こえてしまうが、加藤さんの「寄り添い」とは「想いを紡いでいくこと」なのだという。

「経営者の悩みは、生命保険だけでは解決できないことも多いです。例えば僕が信頼する士業の専門家をご紹介してサポートいただくこともあれば、前職の先輩に相談して一緒に人事制度づくりをすることもある。そしていつか、後継者に会社を承継するという話になれば、後継者の方からも話を聞き、未来を創る伴走者になる。同じ会社であっても、二代目、三代目とそれぞれの時代を率いるリーダーにはそれぞれの想いがあります。その想いが紡ぎ合わさりバトンとなって引き継がれていく。そこに寄り添っていくんです」

加藤さんが目指すのは、経営者にとっての“真のパートナー”になることだ。

「経営者の孤独や抱えている悩みに対して、時にはプライベートまで踏み込み、必要ならご家族や関係者にも直接お会いして話を聞き、問題解決の糸口を一緒に探します。そうやって “深く、永く” お客さまの人生に向き合っていきたいんです。ライフプランナーだからこそできる仕事だと信じています」

実際、ある製造業の会社を経営するお客さまから「ドライバーとして入社した僕が社長になる日がきてしまい、経営のことは何も分からないところからスタートしました。いろんな人の力を借りて今がありますが、僕の周りにいる“心から信頼できる人”は、みんな加藤さんが紹介してくれた人です。色々と勉強することで、先代のすごさも身に染みて分かるようになりました。加藤さんにはとても感謝しています」と 声をかけてもらったことがあるそうだ。

加藤さんは、人生のパートナーとして愛を持って想いを紡ぎ、お客さまに寄り添い続けている。


加藤さんの「My Rules」

毎日精力的に仕事をする加藤さんには、いくつかのMy Rulesがあった。


自分のコンディションを整えるために、身体を動かす

「僕はずっと運動をしてきましたが、新卒からの数年間、身体を動かさない時期があったんです。そしたら、見事に体調を崩した。僕は運動をしていないとダメなんだなと思いましたね(笑)。運動は僕にとって、レーシングカーのピットインみたいな、エネルギーをチャージできるもの。週に2日以上は運動の時間をとるようにしています」

「この仕事は体が資本です。常に自分のパフォーマンスを落とさないことが、お客さまや家族のためになりますから。身体を動かす時間を大切にしています」


「すべては成長の糧になる」とプラスに考える

「これまで上手くいくときばかりじゃなかったですし、これからも同じだと思います。ただ僕は、『人生に失敗はない』と思うんです。すべてが成長の糧になると。落ち込むこともありますが、プラスに変換して考えることを意識しています」

「壁にぶつかったとき、不安に感じたとき、父の言葉を思い出し『じゃあどうする?』と建設的に考えれば、たとえ落ち込んでも、またすぐに前を向くことができると思っています」


愛されたから、愛したい。ご縁ある大切な人を豊かにする働き方

<ご本人提供>お子さまは、右から長男、双子の次男と長女の3人

加藤さんは、ライフプランナーとしての多忙な日々の合間をぬって、少年野球のコーチやわんぱく相撲の運営など、地域に根差した活動をしている。大変そうとも思ったが、ここには加藤さんの「愛を持って接する」という想いが込められているようだ。
※わんぱく相撲とは、小学4年生から6年生が参加し、日本国内200地区(主催青年会議所単位)の予選大会から勝ち上がり、東京・両国国技館で決勝にあたり全国大会が開かれる、小学生対象で最大規模の相撲大会のこと

「長男と次男が所属する少年野球チームのコーチ、自分が小学2年生のときに準優勝した、わんぱく相撲の企画……。いろんなご縁がめぐりめぐって、自分がかつて受けた愛をお返ししているんだと思うんです」

「これができるのは、プルデンシャルの『Free to Work』があるからですよ」と言って加藤さんは笑った。※「Free to Work」とは、自分のスケジュールをほぼ自由に決められるというもの。

「双子の妊娠がわかったとき、妻が病気で長期入院することになったとき、そして娘と二週間一緒に入院することになったときも、ライフプランナーだからこそ家族に向き合う時間を作ることができました。自分自身や家族のためだけでなく、“人生を豊かにする”ためのさまざまな選択ができるのもライフプランナーという働き方の素晴らしいところだと思います」

加藤さんはプルデンシャルのライフプランナーであり続ける理由のひとつに「人生の選択肢」を挙げてくれた。

「長男は小学生なのですが、つい先日『医者になりたい』と夢を語ってくれました。理由を聞くと、遊んでいて骨折してしまった時に治療してくれた先生が『格好良かったから』だと。理由は何でもいいんですが、幼いながらも健全に夢を持ってくれていることが嬉しかったです。ちゃんと心も育ってるのかなと」

「ライフプランナーだからこそ、家族の夢を叶えるために、仕事の仕方をコントロールして、時間だけでなく求める収入を生み出すこともできる。家族の人生の選択肢を広げられるんです。子どもを医者にするって、ライフプランが相当狂う可能性もあるじゃないですか(笑)。家族の未来は、僕が仕事に情熱を懸ける最大の理由です」


自分に合うフィールドで勝負することを選んだフットボーラーは、受けた愛を返すべく、たくさんの人の想いを紡ぎ、愛を届けていく。その愛は、より深く、より永く、ご縁ある大切な方々の人生を豊かにしていくのだろう。

インタビュー・執筆:山口 真央
写真:梶 礼哉