まさか自分が、「働く子ども」を持つお母さんになるとは思わなかった。
と書くと、非常に遠回りですが、要するに大学生になった長男が生まれて初めてバイトを始めたということです。かつて大人たちが私を見るたびに「赤ちゃんだったのにね……」と言うの、マジで意味わからんなと思っていたのですが、いざ大学生になった子どもを見ると本当に「赤ちゃんだったのにね……」としか言えない。もう当たり前の事実確認しかできないくらい、子どもというのは私の動体視力をはるかに凌駕するスピードで成長していくのだと知りました。
私のライターデビューは遅く、ほぼほぼ長男が生まれた時がスタート地点でした。それまで実家の飲み屋を手伝っていたのですが、さすがに子どもができたら夜遅い仕事は無理だろうと新たに探したのがライター稼業(結果的には、昼も夜も土日も正月もないお仕事だったのですが)。
しかしコネもツテも実力もないのにようやったなと、そこだけはちょっとえらかったです。ということは長男の年齢がほぼほぼ私のライター歴。大きくなる長男を見るにつけ、未だ仕事で何も成し得ていない自分は焦るばかりなのでした。
「本当にやだ。こんなこと思ったの生まれて初めてだよ」
バイト2日目、帰宅した長男が珍しく愚痴っていました。私から生まれたのが信じられないくらい、とにかく人の悪口を言わないことでお馴染みの長男。目に映るもの全て敵、常にこの世は世紀末と身をこわばらせながら生きる私に「ママ、疲れない(笑)?」とのたまう、人に優しく己にはさらに優しいハッピーマシュマロ系メンタルの長男です。そんな彼が「バイト先にすごく嫌な人がいる」と言うのです。これは事件。
「なんか言われたの?」
「めっちゃイキって仕切ってくるんだよ。その割にすぐスマホ見てサボるし。もう話しかけんでほしい」
おおお多少のトラブルも笑っていれば乗り切れると信じてきた長男が。浮かない表情の彼とは対照的に、申し訳ないが母の心はなぜか踊ってしまう。やっと分かったか。そうなのよ、この世はね、ほぼほぼ嫌なシーンばかりのスライドショーだし、働くということはね、辛い現実と向き合うってことなのよ!
でもふと思いました。そうか。彼はようやく「この世」に出たのか、と。今までの長男は、学校や、野球部や、親が隔ててくれたアクリル板に守られてきたのです。バイトという新たなフィールドに出て、いきなりこの世に生身を晒すことになり、それまで出会うことのなかった多種多様な人、ぶつけられることのなかった思念に慄いている。急に広がった世界の入り口で、足がすくんでいる長男を想像したら、急にあの頃の、ヨロヨロしながら一生懸命つかまり立ちをしようとしていた小さな男の子を思い出し、柄にもなく涙が出てきました。
「ああ、ついに俺も、ちゃんと言わなきゃいけない時が来たか」
夏までの丸坊主からちょっとは伸びた髪の毛をセットしながら、長男がため息まじりに言いました。なんだそれ。
「なんとなく今までは相手に悪いかなって思って、我慢したりごまかしたりしてきたんだよね」
「でも嫌われてもいいからちゃんと言わなきゃ、嫌なら嫌ってさ」
今まで自分を保護してきたアクリル板の存在を、それが無くなった今まさに感じているのでしょう。すごいな労働って、たった1日2日で少年を大人にしてしまう。「よく今までそれでやってきたなと思うよ」と母。でも、今まで言ったことはないけど、あなたのハッピーマシュマロメンタルにお母さん何度も救われてきたんですよ。この世は嫌なシーンばかりのスライドショーだったとしても、サブリミナル的に差し込まれる希望の映像が、あなたやあなたの弟だったりする。
この世は素敵で楽しくて、いい人ばかりだと信じて疑わない気持ちは、どこかで大事にしていてほしいとも思うのです。働くことは、辛い現実と向き合うことでもあるけど、一方でそれまで全く想像もつかなかった自分を知ることでもある。こんなに人付き合いが苦手で、人とうまく話せない私が、鬼初見だらけのインタビューであなたの学費を捻出している。そういう時いつも心のティモンディ高岸が「やればできる」って微笑みかけてくるのです。
でもなんだかんだ楽しくバイトしてる様子の長男を見て、ちょっとホッとしております。そう、折り合いよな、人生も労働も折り合い大事……と一人しみじみしておりましたら、どうやらバイト先の同世代女子と一緒に帰るのが楽しいようで、まあ労働そんなもんだなと思いました。
西澤千央
1976年、神奈川県生まれ。実家の飲み屋で働きながら、『KING』(講談社)でライターデビュー。現在『文春オンライン』(文藝春秋)や『Quick Japan』(太田出版)、『GINZA』(マガジンハウス)、『中央公論』(中央公論新社)などでインタビューやコラムを執筆。