暗い部屋の中、PC画面のブルーライトが女性の顔を照らしている。あくびを嚙みころしながら、私に自己紹介をするよう促す。

この日のオンライン英会話の先生はアンゴラ共和国に住んでいる人だった。休みの日は何をしているんですかと聞くと、「週末は絶対のんびりします。私はワーク・ライフ・バランスを何より大切にしているので」と返ってきた。

日本は朝の9時だが、アンゴラは真夜中の1時。いままさに私が彼女のワーク・ライフ・バランスを崩しているのではないかと申し訳なくなった。

PCやスマホでどこにいてもできる仕事が増えて、ワーク・ライフ・バランスが個人の裁量に委ねられるようになった。意識して生活を守らないと24時間ビジネスタイムになってしまう。もはやフリーランスに限ったことではないだろう。

私にとってワーク・ライフ・バランスとは、ほぼ「ワーク・散歩・バランス」のことだ。散歩は生活の象徴であり、仕事に新鮮な空気をおくりこむ相棒でもある。

1日のスケジュールにいかに散歩を入れ込むか。通勤などがない分、普段は1000歩前後しか歩いていない。いつもスマホの歩数カウントを見て愕然とする。

仕事も好きだけれど、利益や目的を求めない時間が私には必要だ。ただうろうろしたい。誰かに認められなくても、いい結果が出ない時でも、道の真ん中に落ちている小文字の「y」みたいな枝を見つけて「めっちゃyだな」って思えれば良い日だ。散歩はそのことをこまめに確認する時間でもある。

しかし、仕事の合間をぬって散歩をするのはなかなか簡単なことではない。夜は暗くて一人で歩くのは不安なので、日が沈む前に散歩を完了させなければならない。夏はまだいいけれど、冬だと散歩のラストオーダーは16時半。だけど日中はするべきことが詰まっていて、散歩をする小一時間すら惜しいと感じてしまう。タイミングが非常に難しい。

最近は、どんなに忙しくても腹をくくって散歩に出かけることにしている。締め切りが迫っていようが、人生で一番大切なことは散歩なのだと自分を説得してスニーカーを履く。そうやってワーク・散歩・バランスの手綱を握っている。

今日は山の方に歩いて行こうか、それとも大きな通りをずっとまっすぐ行こうか。気に入っているのは踏切から見えるブドウ畑や、カラスよけのCDがきらきら揺れてる裏道。ケーキショップの前を通るのは買わない日でもなんかうれしい。どこからか野焼きの煙の匂いがしてくると、おばあちゃんちに帰りたくなる。

出かけてみると、何も考えていないつもりでもアイデアが浮かんできたり、リフレッシュされて帰宅後の集中力がものすごく上がったりする。実は忙しい時ほど散歩をしたほうがいい。

ただ、だからといってアイデアや回復目当ての散歩だとも思いたくない。散歩はあくまで散歩だからいいのだ。散歩という神聖なものに仕事的な下心を持ち込みたくない。散歩で目的にしていいのは、「猫の数を数える」くらいまで。

それでは、原稿の途中ですが、暗くなる前に散歩に行ってまいります。いい石とかあったら、こんど報告しますね。また。


藤岡みなみ
1988年生まれ。文筆家、ラジオパーソナリティなど。時間SFと縄文時代が好きで、読書や遺跡巡りって実在するタイムトラベルでは?と思い2019年からタイムトラベル専門書店utoutoを始める。
主な著書に異文化をテーマにしたエッセイ集『パンダのうんこはいい匂い』(左右社)などがある。