「肩書きはなんですか?」と聞かれるといつも困る。ひとつだけ答えるとしたら文筆家。もうひとつ増やしてラジオパーソナリティ。でも本当はあと4つか5つあって、正直に全部並べると今度は「本業はどれですか?」と聞かれてしまう。人は、だれかの人となりをつかもうとするとき、職業で判断したいものなのかもしれない。何者なのかはっきりしてくれ、と思われている気がする。

本業でいうとやはり文筆家だ。仕事量や自分が思う魂の形としてはそう。一方で、肩書きが7つあること自体がとても自分らしいとも思う。

ある時は書店の店主。店にぴったりの本を取次店に注文して、新刊がぎっしりつまったダンボールを開ける瞬間がたまらない。またある時はドキュメンタリー映画のプロデューサー。お金を集めるのは得意じゃないけれど、ノンフィクションに向き合うのはひりひりと面白い。自分たちの映画をバリアフリー化したくて、講習を受け音声ガイドディスクライバーの仕事も始めた。目の見えない人が映画を観るための副音声の原稿を作っている。

誰かと働く楽しさを教えてくれたのはクリエイティブディレクターという仕事。「こんなものがあったらいいな」と、企画書に偏愛を詰め込んで手渡す。

1日のうちに肩書きが何度も変わる。午前中、ディレクターとして企画会議に出て、午後に本の発注と連載の執筆に取り組む。夕方ラジオの選曲をして、夜はプロデューサーとして監督とミーティング。いつもこの調子だから、どれかひとつが私ですと言い切るのは難しい。

複数の仕事をしていてよかったと思うことはたくさんある。最近しみじみと気に入っているのは、時々訪れる答え合わせの瞬間だ。例えば原稿を依頼されることもあれば、依頼する立場のこともある。ああ、だからあの人はあの時こういう言葉をくれたのだとか、こうやってもらえたらこんなに助かるのだとか、表と裏の立場の経験がリンクしてはっとすることが多い。誰かの気遣いに数年後に気がついて、もう会えない人に対してひとりでじんわりとありがたがったりすることもある。

複数の柱があることも私を安心させてくれる。金銭面はもちろん、アイデンティティが立体的になったことが大きい。会議で上手くいかなくて落ち込んだ日も、ラジオでうまく喋れたら気持ちを立て直せる。映画プロデューサーとしての私はなぜかとても厳しく、気を引き締め続けるのが苦しい日もあるが、編集者にどーんと受け止めてもらうだけの気まぐれな著者になる時もある。どちらかだけだったら自分のことを「きつい性格」とか「おおざっぱな性格」と決めつけて思い悩んでしまうだろう。性格じゃない、立場なんだと理解して楽になった。

一方で、いろいろやりすぎているせいで全部中途半端なんじゃないかとか、わかりにくい人だと思われているんじゃないか、などの不安はずっと抱いてきた。そんな中、台湾の天才デジタル大臣ことオードリー・タン氏が「20年後の子どもたちが憧れる職業は?」という質問に「スラッシュ」と答えていたことに励まされた。複数の肩書きを持つという意味を記号の「/」で表している。かっこいい。私は多才なのではなく、単にやってみたがりなだけだけれど。

もちろん複業こそが素晴らしいと思っているわけではない。一つのことをずっと続けている人のことを何より尊敬するし、その道一本だからこそたどり着ける真理というのは絶対にあるだろう。どちらが良いというものではなく、自分が心地よく力を発揮できればなんでもいいのだと思う。それに、ずっとひとつの仕事をしている人だって、とても多面的な存在のはずだ。ある時は優秀な部下で、ある時は厳しい先輩で、家に帰れば母だったり、地域のしっかり者だったりするかもしれない。人は誰でもスラッシュである。

今年からは編集者と構成作家の仕事も本格的に始まって、いよいよ肩書きが両手に収まらなくなりそうだ。どんどん多面体になって、最後には球体のような自分で転がっていきたい。心地よく、愉快なほうへ。



藤岡みなみ
1988年生まれ。文筆家、ラジオパーソナリティなど。時間SFと縄文時代が好きで、読書や遺跡巡りって実在するタイムトラベルでは?と思い2019年からタイムトラベル専門書店utoutoを始める。
主な著書に異文化をテーマにしたエッセイ集『パンダのうんこはいい匂い』(左右社)などがある。