「数年前に支社内アンケートをとった時に、『安澤さんが教えるスタイルは古い。過去の成功体験に固執している』と書かれていたんです。目にしたときはショックだったし、正直腹も立ちました。でも、1週間ぐらい悶々と考えているうちに、自分が変わらないといけないタイミングだと気づいたんです」

そう語るのは、プルデンシャル生命・名古屋中央支社で支社長を務める安澤哲郎さん。新卒で入行した銀行時代も、プルデンシャルに転職してからも結果を残し続けてきた安澤さんは、「自分の価値観に絶対の自信を持っていた」という。しかし管理職としてキャリアを積むにつれて、その成功体験が足枷となってゆく――。安澤さんは過去の成功体験をどう整理し、変化への一歩を踏み出したのだろうか。今回は、「生き残るために変化しつづける」という、ビジネスパーソンとしての安澤さんの変遷を辿ってみたい。


▼プロフィール
安澤哲郎(やすざわ・てつろう)

滋賀県生まれ。早稲田大学卒業後、滋賀県を拠点とする金融機関に入社。2006年にプルデンシャル生命に入社。ライフプランナー、営業所長として経験を積み、2015年に支社長に就任。




仕事に誇りを持つ父に抱いた「憧れ」

滋賀県で建築設計事務所を営む父と、専業主婦の母のもとに三兄弟の長男として生まれた安澤さん。「やんちゃな子どもだった」という安澤さんにとって、人として間違ったことをした時に叱り飛ばしてくる父は、あたたかくも厳しい存在だった。

同時に、自分の手がけた建物を子どもたちに見せては、「あれはわしが死んでも遺る。わしの生きた爪痕や」と誇らしげに語る姿に憧れたという。

「仕事にプライドを持つ父に影響を受けていたんでしょうね。東京の大学に進学し、就職活動では、建築の一つ上のレイヤーである“街づくり”に携われる、東京の大手不動産ディベロッパーを受け、内定をもらいました。うれしい反面、地元での就職を望んでいた両親にどう伝えようかと悩みましたね」

意を決して伝えたところ、待っていたのは思いがけない父の言葉だった。

――滋賀に帰ってこいって言うたけど、好きに生きろ。わしの夢は、おまえがおもろい人生を送ってくれることやから、とにかく全力で生きてこい。

「叱られることを想像していただけに、そのギャップに深い愛情を感じ、目から大量の汗が流れました(笑)」

自分を深く愛してくれる両親への想いが溢れ、東京での就職はやめたという。すぐさま地元の金融機関を受け、滋賀で生きる道を選んだ。


銀行員時代の迷いを経て見つけた新たな道。
「会社ではなく、お客さまに尽くしてほしい」という言葉に胸を打たれた

金融機関ではいい仲間に恵まれ、営業職として成長していく。投資信託の販売や住宅ローン営業などでエリアでも有数の成績を挙げた。一方でキャリアとしては、支店業務、本部での為替ディーラー、本店営業部などを転々としたため、「専門性を極めている人への引け目があった」と振り返る。そんな迷いが生じている時に、担当していた企業が事業を畳むことになってしまった。

「いま思えば、債務超過の企業に追加で融資をすることは預金者保護の観点からも不可能だと理解しています。ただ、そのときはなんとか会社を存続させようとしている経営者を支援できなかったことに対して、罪悪感や後悔、担当者としての無力感を覚えました」

悶々とした日々を送るなかで、コンタクトをとってきたのがプルデンシャルだった。過去に他の生命保険会社から強引に勧誘されたことがあり、生命保険にあまりいいイメージがなかったという安澤さん。しかし当時の支社長と営業所長に対面したことで、そのイメージが一変する。

「それまでも他の保険会社からスカウトいただいていて、その際は待遇の良さなどをアピールされました。一方のプルデンシャルは、お金の話が一切なかった。『生命保険業界を変えるんだ』という使命感に燃えたお二人の姿がとにかくかっこよくて……。そして言われた、『私たちは、雨が降る前に傘を売って、雨が降ったらそれを広げてもらうのが仕事だ』という言葉にも胸を打たれました。お客さまがお元気なうちにご契約いただいて、万が一のことがあったときに保険金をお届けする……。自分も、人生の逆境にある人の役に立つ仕事がしてみたい。そう思って、入社を決めました」

保険営業は決して甘くないと覚悟していた。しかし入社式で言われたのは「会社ではなく、お客さまに尽くしてほしい」という言葉だった。お客さまへの貢献がダイレクトに報酬と連動する仕組みにも惹かれた。

「先日私の支社に入った新入社員も、入社式での社長の挨拶で、まさに同じ言葉を聞いたと言っていました。私が入社したころから何代も社長は変わっているのに、同じことを言い続けている。スカウトされた際に、『プルデンシャルのように綺麗ごとで成り立つ会社が一社ぐらいあってもいい』と言われましたが、まさにそれを体現していますよね」


管理職の醍醐味を味わい尽くした営業所長時代

プルデンシャル入社後、ライフプランナーとしてのスタートも好調だった。銀行員時代からの営業経験に加え、指導してくれた営業所長の存在も大きい。営業所長から生命保険の重要性をしっかりと叩き込まれて理解できていたおかげで、お客さまの前でも自信を持って説明し、じっくり話を聞いてもらえる機会を得られた。

「当時、滋賀ではプルデンシャルの知名度は低かったものの、友人からは『いい仕事してるやん』って言われたり、お客さまにマッチする保険を設計したことに感謝していただいたり。前職では得られなかった経験が単純にうれしかったですし、自分の中で小さな成功体験が積みあがっていきました」

入社半年後には管理職への道が開かれた。ただし社内事情が重なり、実際に営業所長に就任したのは入社4年目でのこと。管理職としての新たな業務は、人材のスカウトと育成だった。自身が優秀なプレイヤーだった分、人を指導することに戸惑いはなかったかとたずねると、「正直、自分で動くほうが楽だと思いましたよ」と笑う。

営業所長となっても、安澤さんは順調に結果を残していった。一緒に働く仲間を増やすための採用活動も育成にも注力し、スカウトしたメンバー全員が社内で表彰を受けるという実績を挙げた。

結果を出せた理由は2つある。1つ目は「この人なら絶対に使命感を持って働いてくれる」と思えるほど惚れ込んだ人材だけをスカウトしたこと。2つ目は徹底した指導。トレーニング期間は1日中つきっきり。営業職はふとした仕草でお客さまの信頼を損なうこともあるため、ペンの持ち方や向け方といった所作はもちろん、購入する文房具の指定まで行う「熱血指導」を徹底した。

もともと信頼できる人物だけをスカウトしていることに加え、結果が伴ったこともあり、営業所内の人間関係は極めて良好だった。メンバーからも慕われ、「営業所長としての醍醐味を味わい尽くした」と振り返る。

ところがこの成功体験が、その後、昇進して支社の“長”となった安澤さんを悩ませる一因となっていく――。

執筆:佐伯香織 撮影:高島裕介