誰もが「ちがう」想いや悩みを持って⽣きています。でも、もしかしたら誰かが導き出した答えが、あなたの答えにもなるかもしれません。「根ほり花ほり10アンケート」では、さまざまな業界で活躍する“あの人”に、10の質問を投げかけます。今回は、東京科学大学リベラルアーツ研究教育院教授の柳瀬博一さんが登場。

きっと、「みんなちがって、みんなおんなじ」。たくさんの花のタネを、あなたの心にも蒔いてみてくださいね。


柳瀬博一(やなせ・ひろいち)

東京科学大学 教授。1964年 静岡県浜松市生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業。日経マグロウヒル社(現・日経BP社)に入社、編集者として活躍。2018年4月に退社して、東京工業大学(現・東京科学大学)リベラルアーツ研究教育院教授に就任。著書『国道16号線』『カワセミ都市トーキョー』『アンパンマンと日本人』『上野がすごい』など


2018年まで30年間、日経BP社で記者と編集者をやっていました。2012年に、担当著者の池上彰さんが東京工業大学でリベラルアーツ教育を行うことになり、教授に就任したのをきっかけに、東工大と池上さんの本を作る機会をいただきました。そのご縁で大学教育にメディア側から関わることになり、今では専任教員として大学教育の当事者になっています。

1番の楽しみは毎年たくさんの若い人たちと授業を通じて触れ合うことができる点です。大学ではメディア論を教えているのですが、若者たちのメディアとの関わり方は、日経時代にはなかなかリアルに知ることができませんでした。学生たちに教わることの方がはるかに多い。そこが楽しいですね。


来た球はとりあえず全部打つ。

出版社で30年記者と編集者をやってきた実感として、ですが、本当におもしろい企画、本当におもしろいテーマは、「そのときの自分の中にはない」というのが私の経験的な結論です。若い時はもちろん、歳を取っても、です。

それはなぜか。理由は明確です。私が、たいしたことのない人間だからです。1人の人間がたかだか数十年の人生で得られる知識や経験は、地球の歴史や人類の歴史と比べると、本当にちいさなものです。つまり、人間はほとんど何も知らないまま、死んじゃうわけです。

ところが、人間は愚かで傲慢なので、たかだか10年や100年程度の経験で、自分の好き嫌いやできるできないやいいこと悪いことを決めちゃう。つまり、自分で決めちゃうと、すでに自分の中にある「囲い」から絶対に出られなくなる。だから、私は、人から頼まれたこと、向こうからやってきたこと、すべてを聞くことにしています。聞いたうえで、なるべく無茶振りな企画ほど、「やる」と決めています。おかげで、人生には退屈しないですね。世界は個人より大きいのです。


やったことのない方を選びます。

先ほどの「世界は個人より大きい」の話と基本的には同じ、です。人生の分かれ道で、どっちかを選ばないといけない場合は、今までやったことのない方、出会ったことのない方、難しそうな方を必ず選ぶ。失敗するかもしれない。でも、失敗って「遊び」です。あらゆるゲームは「負ける」からおもしろい。どうやって勝とうとするか、トライするからおもしろい。人生も一緒です。楽な方は、おもしろくない。


シャワーを浴びて、コーヒーを飲みます。で、とっとと歩き出す。頭じゃなくて、体を動かす。仕事に行きたくない、というのは、よっぽど体調が悪いのでない限り、「頭が嫌がってる」んですね。でも、頭は体の奴隷です。体を動かすと頭も動く。逆は案外ありません。だからシャワーを浴びて、コーヒーを飲んで、交感神経を刺激して、とっとと外に出る。で、おすすめは、いつもより1つ先の駅まで歩く。案外歩いたこと、なかったりするじゃないですか。一駅歩くだけで、日常が変わります。すると脳みそが刺激されて「楽しく」なったりする。駅に着いて、それでも行きたくなかったら、反対の電車に乗っちゃいましょう。終点まで行っちゃいましょう。大丈夫。あなたがいなくても世界は動いています。


全然ダメじゃありません。やりたいことは、外からやってくることの方が多いです。自分の中を探すと辛くなる。だから、とりあえず目の前に来たことをやってみる。やりたいことや目標って、頭で考えている部分が大きい。むしろ体を動かしているうちに、やってることがやりたいことや目標に変わっていったりするものです。


不安がない方がヤバいです。漠然とした不安というのは、むしろ未来についてのスタンスとしてはデフォルトだと思ってください。で、頭で考えて動かないときは、体を動かす。「仕事に行きたくないとき」と同じ回答になりますが、おすすめは「歩く」ことです。近所を歩く。仕事場の近くを、学校の近くを、歩く。

案外、「近所」って歩いていないでしょう? 歩くと、自分の身近に自分が気づかなかったものがいっぱいあるのが見えてくる。古い畳屋さんが今でもあって職人さんが畳を縫っていたり、びっくりするほど緑が豊かな公園があったり。歩くと、世界の深さと広さに触れることが簡単にできる。道が1つじゃないことが体でわかったりするんです。


空いてる時間があったら、とにかく歩きます。歩くのは、私にとって「運動」じゃなくて「旅」です。旅だから、ぼんやり歩かない。探偵のように、あたりをジロジロ観察しながら歩く。どんなものも見逃さないぞ、と歩く。歩くと観察をセットにすれば、それはもうどこに行っても「旅」をしていることになります。ノーコストで、あらゆる時間が、レジャーになる。

お金について。無駄遣いできるほどお金はないですが、経験したことのないチャンスがたまたま巡ってきたら、お金も時間も惜しまず使います。ものよりも、知らないところに行くチャンスがあったら、とにかく参加する。そんなときはケチらない。


たいがい、なんとかなる。

とりあえず61歳まで生きてきた、ということは、「たいがい、なんとかなってきた」わけです。その都度その都度、もうダメだ、もうヤバい、ということは何度もありました。交通事故に遭って危険な状態になったときや、重病にかかって半年間苦しんだときなどなど……。

けれど、多分「なんとかなった」。なので、もうダメだと思っても意外と、人間、大丈夫、ということですね。でも、このことは過去の自分には教えません。だって、教えたらつまんないでしょ。ゲームの結末を知っている人生なんてくだらない。だから、ほんとは、「教えてあげないよ」が私のメッセージです。


海の近くで一日中海中にいたい。山の近くで一日山の中にいたい。都会のど真ん中で、毎日映画を見まくりたい。下町の片隅で、毎日スナックを飲み歩きたい。誰もいない静かな図書館で、一日中読書をしていたい。将来じゃなくて、今もやりたいことはいくらでもあって。それはひとつの場所、ひとつの暮らし、ひとつの生き方に収斂(しゅうれん)できません。なので、実際は、そのときたまたま出会った場所と出会った機会を、「今やりたいこと」にするでしょうね。


「自分らしく働く」なんてこと、考えたこともありません。

働くのは自分なんだから、自分が働いたら、中身がなんであろうと、それが「自分らしく働く」になるに決まっている。働く、ってのは、脳内のしょぼい妄想なんかじゃなく、体が先に動くことであり、働くということは、必ずその先に仕事仲間とお客さんがいます。大切なのは、同じチームの人間とよりおもしろく仕事ができることであり、お客さんに、お客さんが想像する以上のサービスや成果を提供できることです。


月曜日の朝、私は最寄り駅のホームで、家にPCを忘れてきたことに気づき、来た道を戻ることに。「この暑い中、月曜からツイてないな」と気分が沈みましたが、仕方なくでも歩き始めると徐々に冷静になり、家に着く頃には「朝イチでMTG入れなくて正解だったな」「ついでに涼しい服に着替えちゃおう」と不思議と前向きになっていました。「頭は体の奴隷です。体を動かすと頭も動く」という柳瀬さんのご回答を拝見し、私の頭と体に起こっていたことはこれだったのか!と納得。気が進まない時、億劫に感じる時、背中を押してくれる言葉に出会えた気がします。素敵なメッセージをありがとうございました!