このエッセイの最終回では、相手の言葉を利用して活動していた通訳者の僕は、嵐の中にいるように人生を進むうちに、ライターとして言葉の新しい展開の始まりを見届けていた、という話をしようと思う。

通訳の仕事には、ある種の匿名性がある。あくまでも僕は「言葉の橋渡し」をする存在であり、個人的な意見や考えを表明することは当然なかった。僕の言葉は、あくまでも発言者の言葉の代弁であり、僕はその陰に隠れていた記憶が1番多い。

思想の自由さを隠し個性を出さないようにしていた通訳の現場から、真逆ともいえる文筆の世界へ。自分らしさを好きなだけ読者に届けられるようになったのだ。エッセイや記事を書くことで自分が裸になれるような感覚もある。

通訳は、相手のためだけに万全な下準備をしても、ストレスと不安の気持ちがだんだん膨らんでいく。外から見た自分は冷静だが、心の中はまるで嵐に向かう船のようだ。その中で言葉を訳すだけではなく、文化や、その国のマナーを考慮するなど、作業が山ほどある。無事に仕事を終えても、また陰ながら次の仕事の準備作業に入る。

この通訳業の陰の生活と付き合って十数年経ったのち、執筆業を始めたことによって言葉は太陽の光を浴びた。言葉は、多くの人に届けることができるのだと実感できた。資料の下準備の代わりに、人生の経験を積む。文章には国境がなく読まれれば読まれるほど、ずっと広がる。それから、今まで通訳では1ミリも出さなかった独自性は、羽を広げて自由に飛べるようになった。

ある日は、幼少期の体験や、ふと思ったこと、気がついたことをメモにしてしばらく育てた。種に水をやりながら大切にすると立派なオークの木に育つように、自分の文章力も上がる。言葉を書くことで新たな自分の一面を知ることもある。自分で書いたことに対して、自分が驚いたり感動したりする。そして世に出すことで、読者との共感も始まるのだ。同じ言葉と向き合う職業であっても、新しい目線と自由さがあるだけで、こんなに人生が変わるなんて、たとえ無人島にいたとしても孤独を感じないだろう。

ライターになった今、僕は自分を縛っていたものから解放されて目が覚めたように感じている。自分の言葉で考えを自由に表現して読者に伝えることで、まるで舞台の中心に立ったような感覚があるのだ。自分自身の生き方や人間というものについて改めて深く考える時間が増えた。より自由な表現活動ができている。

通訳者からライターへと僕の人生は大きく変わったけど、両者の間には共通点も存在する。それは、言葉に対する深い愛情と、言葉を通じて人々に何かを伝えたいという強い思い。通訳の仕事で培った、言葉のニュアンスを捉える能力や、正確に情報を伝える能力は、ライターとしての僕にも大きな力になっている。そして、ライターになった今、言葉が持つ力を改めて実感している。

言葉は、単なるコミュニケーションの手段ではない。言葉は、思想を形作り、文化を創造し、そして、世の中を変える力を持っている。僕は、これからも言葉を使って、多くの人々に何かを伝え続けていきたい。その過程で、言葉の持つ無限の可能性をもっと深く探求していきたい気持ちが強くなっている。自分の中に溜まっていた言葉が、自然に自分の道を見つけたのだ。

自分が好きな仕事をしているうちに、「言葉の形」を感じられるようになった。もしそれを誰でも見れるようになれば、日常生活の大きな支えになるのではないかと思う。通訳現場の経験を抜き出しながら、ライターとして自分の言葉を投げたら、読者から戻ってきた感動や喜びは何よりも次へのステップへの力になった。僕の失敗や経験を言葉にすることで、最強の教材にもなるだろう。通訳者からライターになって陰に隠れていた言葉が丸見えになった。そして人生がより楽しくなった。

マッシ
通訳、エッセイスト。1983年イタリア北部ピエモンテ州、カザーレ・モンフェッラート生まれ。トリノ大学院文学部日本語学科修士課程。2007年に日本に移住し日伊逐次通訳者として活動する。通訳者としての本業の傍ら、書くことや言葉についての興味や理解を深めたいと思い、自然な形でライターとしても活動を開始。2019年8月はnoteアカウントも作成し、Twitterを含めて日本全国に話題に。初めての書籍『イタリア人マッシがぶっとんだ、日本の神グルメ』が2022年発売。