「キャリアが途切れてしまうかもしれない」「収入が減ってしまう」「復職できるだろうか」、そんな不安を抱え、育児休暇(以下、育休)の長期間取得をためらう人は少なくない。

「仕事と育児、どちらを優先するべきか……」。多くのビジネスパーソンを悩ませるテーマだが、プルデンシャル生命のライフプランナー安澤絢さんは、思い切って4年間の育休を取得した。「生まれたばかりの子どもと、全力で向き合えるのはこのときしかないと思った」と話す。

入社12年目の安澤さん。ライフプランナーとしてのキャリアのうち、約3分の1を家庭に費やしたことになる。それでも「休むことに不安はまったくなかった」と言い切る彼女は、いかにしてその考えに至ったのか。“専業主夫”となった夫との関係や、復職後の働き方の変化、子どもたちへの向き合い方……安澤さんの話を聞くと、イマドキの柔軟な家族のカタチが見えてくる。



4年間の育休で得られたもの

「賑やかですみません。取材の迷惑になりませんか?」と気遣いながら、安澤さんは自宅のリビングへと案内してくれた。楽しそうにはしゃぐ子どもたちを見て、迷惑どころか、こちらもつい笑顔になる。安澤さんは現在、入社12年目を迎えたライフプランナーであり、小学1年生の長女、6歳の長男、そして4歳の次男を育てる3児のママでもある。

長女を授かったのは、ライフプランナーになって3年目に入ったタイミング。転職し、仕事にも慣れてきて、さあこれから……という時だったと当時を振り返る。

「入社1年目と2年目はしっかりと結果を残せました。『このまま3年目も……!』と意気込んでいたときに、長女の妊娠がわかり、どのくらい仕事を休むべきか悩みましたね。結果的に、産休と育休を合わせて5か月で復職しました」

「本当に5か月でいいの?って、何度も何度も自問自答しました」と語る安澤さん。自宅でわが子をその手に抱きながら、“仕事を頑張りたい気持ち”と“子どもと一緒にいたい気持ち”がせめぎ合っていたという。

「早々に復職してまた全力で頑張れたことは自信になりました。でもその数年後、長男と次男を出産したときには、思い切って4年間の育休を取得しています。私はずっとライフプランナーという仕事をしていくと決めていたので、『何十年というキャリアの中で、4年間くらい子育てに専念したっていいじゃない』って思えたんです」

長く育休を取得すれば、キャリアにブランク期間ができる。そこに後悔はなかったのだろうか。

「後悔はまったくありません。子どもとずっと一緒にいられて、日々成長していくこの子たちの“二度とない”瞬間を見守ることができましたから」


プルデンシャルだからできた選択。「育休」はブランクではなく、強み

「不安はなかったです。でもそれはプルデンシャルだからかもしれない」と、安澤さんは言う。

そもそもライフプランナーは、「いつ・どこで・誰と会うか」、また「仕事のペース」も自分で決めることができる。そしてお客さまへの貢献がダイレクトに報酬や待遇に直結する。柔軟で自由度の高い働き方が大きな魅力だ。休んでいる間にキャリアアップのチャンスを逃すということもない。安澤さん自身も「キャリアを中断した」という思いはないという。

「唯一心配だったのは、お客さまにご迷惑をおかけしてしまうことでした。お手続きが必要なときなどにすぐに自分で対応することができなくなります。お休みの間は、管理職や同僚のライフプランナーに代わりに対応してもらうことになるので……」

しかし、復職後にお客さまからかけられた言葉は、「久しぶり!」「お子さん、もうそんなに大きくなったの?」「3人も育ててすごいね」……といった温かいものだったそうだ。これは、不在中もしっかりとフォローする体制が社内で出来上がっていること、そして安澤さんがお客さま一人ひとりと丁寧に向き合ってきたからこそだろう。

一般的に、長い期間の育休を取得することは、そう簡単なことではない。厚生労働省の調査では、女性の育休取得期間は10〜12か月が最多となっている。一方で、プルデンシャルは育休取得を推奨するだけでなく、育休を取得したライフプランナーやそのフォローをする社員を支える制度も整う。安澤さんの場合は、3人のお子さんの出産それぞれに「出生祝金」を受け取り、保育料などの一部を会社が補助する「育児両立支援手当」も受け取っている。「休むときにも、復職するときにも、お金の不安がなくとても助かりました」と話す。

「4年間の育休を経験したことで、専業主婦の方々の気持ちも分かるようになりました。ずっと子どもと向き合うのは、幸せだけどとても大変なことなんだなって。自分が経験したことで、幅広いお客さまに心から寄り添うことができるようになった。これが今では自分の強みになっていると思います」

そう語る安澤さんの笑顔は、とても晴れやかだ。


憧れを胸に飛び込んだMRの道と、直面した現実

安澤さんの前職はMR(Medical Representative)。医薬品の品質・有効性・安全性などの情報を扱う専門家で、多くは製薬会社の営業部門に所属している。扱う商材は異なるが、ライフプランナーと同じ営業職だ。

「昔からテレビっ子で、特に医療系のドラマが大好き。文系の学部に進学したので、医師や看護師になるという選択肢はありませんでしたが、ドラマを通じてMRの仕事を知り、『私も患者さんの役に立ちたい』とMRを目指すようになりました」

製薬会社への就職が決まり、地元の関西を離れて石川県の事業所に配属された安澤さん。MRとして指定されたエリアの病院をまわり、医師を相手に自社医薬品の営業をしていた。憧れて進んだMRの道だったが、日々の仕事の中で次第に違和感を覚えるようになったという。

「薬は患者さんのためのものなのに、営業成績を上げるためにどうしても目の前のお医者さんの印象に残ることばかりを考えるようになってしまって……。それに、せっかくお医者さんと信頼関係を築いても、担当エリアが変わればお会いする機会がなくなってしまうことに寂しさを感じていました」

さらに、「患者さんの役に立つ」ことを夢見ていた安澤さんにとって、どうにもできない制約があった。「例え私がおすすめした薬が効いたとしても、患者さんの喜びの声を直接聞くことはできません。薬機法上、MRは患者さんと直接接触することが禁止されているためです」

人の役に立てるMRという仕事自体は、好き。でも、お客さまの声を直接聞きたい……。そんな悶々とした気持ちを抱えながら働いていた2年目に、安澤さんはプルデンシャルと出会った。

※医薬品、医療機器等の品質、有効性及び安全性の確保等に関する法律

「96%」の人々にも保障の大切さを伝えたい 人生を変えた出会い

▲ご提供写真 同僚とフットサルを楽しむ、前職時代の安澤さん(右)

「MR2年目のとき、プルデンシャルの大阪の支社の採用担当者から連絡がありました。私は大学でアメリカンフットボール部のマネージャーをしていたのですが、OBの方が『物怖じしない子だから、向いているんじゃないか』と紹介してくれたみたいで」と、先ほどまでのもの寂しげな表情から一転して、安澤さんは笑った。

石川から大阪まで何度か足を運び、プルデンシャルの採用担当者と会った。しかし結果は不合格。「もっと営業成績がよくなったらまたおいで」と言われてしまったという。

「とにかく悔しかったことを覚えています。ただ、そのときに聞いた『頑張っても頑張らなくても変わらない人生では頑張れない』というフレーズが心に響いて忘れられなくて。不合格になったことで、人生を変えたい、プルデンシャルで働きたいという気持ちがより強くなりました。そこから必死でMRとしての営業成績を上げて、もう一度採用面接にトライ。MR3年目の7月にやっと転職できたんです」

MRとライフプランナー。どちらも同じ営業職とはいえ、有形商材である「医薬品」と無形商材である「生命保険」では、大きな違いがある。転職に不安はなかったのだろうか。

「不安はありませんでした。採用の過程で、日本の生命保険契約の保険金額の平均を教えてもらったのですが、果たしてその額で残されたご家族を守れるのか……と愕然としました。そして、お客さまに見合った適切な保障をご提案することの大切さを理解しました。でも当時は、大阪の生命保険加入者のうち、プルデンシャルの加入者は4%くらいしかいないと聞いて。それなら残りの96%の方々に保障の大切さをお伝えできる。私にも絶対できる……!そう思えたんです」

「転職後は、先輩方から刺激を受けてとにかくがむしゃらに働きました。お客さまが描く人生設計や夢をお伺いして、オーダーメイドで生命保険を設計してご提案する。そこに強いやりがいを感じて。自分でお客さまを見つけなくてはいけない大変さはあります。でも、逆に言えば自分が好きな方とだけお付き合いしていけるということなんです。MR時代には諦めていた『お客さまと生涯のお付き合い』ができるところも魅力的でした」

そうしてプルデンシャルに入社した安澤さんは、1年目から高成績を収めるライフプランナーとなった。4年間の育休を経て、現在は復職しているが、そんな安澤さんを支える大切な存在がいる。次男の誕生を機に「専業主夫」になった夫の育郎さんだ。

「最初は、夫に家事と育児を任せることに抵抗がありました。嫌々やっていたら申し訳ないなと……。でもそんな心配をよそに、夫は生き生きと専業主夫に転身してくれました。復職後、私が全力で仕事に取り組めているのは、夫のおかげなんです」

執筆:大川 竜弥
撮影:梶 礼哉