通訳の現場では、不安やストレスがつきものだ。しかし、現場に入り仕事に集中すると、そのストレスを感じる時間は減る。そして、仕事が終わって家に帰る頃には「今日も無事に終わった」とホッとするのだ。
一方で、仕事が終わっても疲れが取れず、しばらく落ち込むことがある現場もある。それが「病院での医療通訳」だ。医療通訳とは、言語や文化が異なる患者さんと医師の間に入り、コミュニケーションを円滑に行う役割のこと。患者さんの病状や治療についての重大な情報を扱うため、精神的な負担が大きくなる。
医療通訳の現場では、患者さんと数十時間以上を一緒に過ごすことが多く、まるで家族の一員のように思われることもある。言葉が通じない異文化の壁があるなかで、通訳者は患者さんにとって非常に重要な存在になるのだ。普段の通訳業務以上に気を張る必要があり、患者さんの気持ちや距離感にも気を配らないといけない。
今回のエッセイでは、イタリア人の患者さんとの関係からもらった勇気の話を書きたいと思う。
ある春、都内の病院から通訳の問い合わせがあった。イタリア人の患者さんが手術を受けるために来日するので、医療通訳をしてほしいとのことだった。その連絡を受けた瞬間、極度のプレッシャーが押し寄せてきたのを覚えている。仕事を引き受け、資料や医療記録を確認すると、珍しい癌の中でもさらに珍しいケースであることが分かり、血の凍る思いがした。日本での治療を選んだ理由は、最新の医療がここにしかなかったからだそう。つまり、この患者さんにとって生き残るための最後の希望だったのだ。患者さんは英語も話せたけど、人生をかけた手術のため、イタリア人ネイティブの通訳者を必要としていた。
春から夏にかけて、毎日イタリア語と日本語の医療にまつわる資料を必死に勉強した。勉強すればするほど、知らない知識が広がり、看護師さんとどんな状態でも会話できるように細かいところまで調べた。医学部の受験生になったかのような気持ちで何度も勉強したのを覚えている。
そして季節が巡り、患者さんに会う日が来た。日本の文化に慣れるため、手術の1週間前に来日した患者さんは、奥さんと3人の子供も一緒に来ていて、素敵な家族だった。ただ、患者さんの顔には家族への愛情と不安が入り混じっていたようだった。今回は通訳者として、マイナスのニュアンスを感じられる言葉遣いや発言を避けることに決めていた。ところが、言葉は選べても、表情のコントロールが最も難しいと分かったのは、ずっと後のことだった。これは通訳よりも高いハードルだった。
入院期間中、毎日自分も病院に通勤しながらイタリア人の患者さんとずっと一緒に過ごし、彼の精神的な波が激しいことを感じていた。笑ったり、泣いたり、家族の話をしたりするなかで、僕も笑顔で会話や通訳をする。このような状況の中、自分の辛さや落ち込みを出さないよう努めることに必死だった。
患者さんの笑顔が増えるにつれ、僕も辛さを忘れることができる。でも、病院を出て木の下のベンチに座り1人になると笑顔が消えて、涙が止まらなくなる。それでも、患者さんが楽になることが僕の全てだったのだ。
ついに手術の日、僕は麻酔をかける前と手術後にオペ室に入ることを許可されていた。麻酔をかける直前、患者さんは小さな声で僕に「ありがとう」と言った。僕は少し震えながら彼の手を握り、「この強い人をどうか助けてください」と祈った。
この手術は8時間以上かかり、その間、患者さんの奥さんと手術室の前の通路でひたすら話しながら待っていた。その長い会話の中でも彼女の口から何度も「ありがとう」という言葉が出ていた。同じ言葉を夫婦から聞き、胸がいっぱいになった。そのとき気がついた。この家族を支えるために接していた僕は、いつの間にか彼らに支えてもらっていたのだと。
数週間前まで一切関わりがなかった人たちが、僕にとって家族のような存在になった瞬間だった。奥さんと話すことで、それまで辛いと思っていた医療通訳の仕事を続ける力をもらった。仕事やお金とは関係なく、ただ「自分の行動で相手を救える」ということで、生きる大切さを再認識したのだ。そして、この力によってきっと新しい明日を迎えることができると確信していた。
手術が終わり、その夜は僕も病院に泊まることとなった。看護師さんは1時間半ごとに患者さんの意識確認をしに来て、その度に僕も起きて通訳をした。暗い真夜中に看護師さんの笑顔とエネルギーが、まるで流れ星のように患者さんと僕に降り注いだ。
さらに、病院では看護師さんの強さと笑顔にも支えられた。看護師さんが忙しい中でイタリア語での会話を調べてくれたことにも感激した。「体調はどうですか?」「いい天気ですね」など、少しの言葉でも患者さんの母国語で会話しようという看護師さんの心遣いは、このイタリア人家族の心を和らげた。この「思いやり」を見て、僕もただ通訳するだけではなく、相手の心に寄り添った行動をしなければと、頭が下がる思いだった。
医療通訳者は、医者や看護師と共に患者さんにとって温かい環境を作る必要がある。病院が辛いだけの場所ではなく、良い思い出も残る場所であることが大切だと思うようになったのだ。
無事に、イタリア人の患者さんの難しい手術は大成功し、リハビリも順調に進んで帰国することになった。
患者さんは僕に、「手術の心配がたくさんあったけど、初来日の不安や言葉と異文化に対する困難は一度も感じなかった。日本についていろいろ教えてくれたおかげで日本の人々の動きや考え方を少し理解できた。マッシは通訳者というよりも、僕たち家族の一員。これからもずっと家族だ。」と言ってくれた。
その言葉を聞いて、患者さんの前で悲しい顔や涙を見せず、日本の医療従事者の人たちと共に戦って良かったと心の底から感じた。
医療通訳中に様々な壁を乗り越え、環境や笑顔の大切さを五感で感じることができた。イタリア人の患者さんは、未だに僕に感謝のメッセージを送ってくれていて、辛さよりも僕や看護師さん達と困難を乗り越えたという、当時のポジティブな経験が強く心に残っているのではないかと思う。
人間同士を繋ぐ糸は、ピュアな感謝の言葉の中に隠れているのだ。
マッシ
通訳、エッセイスト。1983年イタリア北部ピエモンテ州、カザーレ・モンフェッラート生まれ。トリノ大学院文学部日本語学科修士課程。2007年に日本に移住し日伊逐次通訳者として活動する。通訳者としての本業の傍ら、書くことや言葉についての興味や理解を深めたいと思い、自然な形でライターとしても活動を開始。2019年8月はnoteアカウントも作成し、Twitterを含めて日本全国に話題に。初めての書籍『イタリア人マッシがぶっとんだ、日本の神グルメ』が2022年発売。